2024年7月27日土曜日

ムナーリとレオーニ(44)

1958年② レオーニ


今回は、1958年のレオーニ。この年、レオーニは48歳になる。年譜を読もう。

1958年のレオーニは、前年に3か月間滞在していたインドを再び訪れ、さらにアジア各地をまわる。また、アメリカ国内の5都市の美術館で個展を開催し、その個展では実在する人物と想像上の人物が入り混じったシリーズ「想像肖像」の作品や、グラフィックデザインの仕事が紹介されたそうだ。

インドといえば、タラブックス(憧れの出版社です)を生んだ国ではありませんか!私も行ってみたい!などと、レオーニを羨ましく思いながら年譜を読むのだが、この年、後味の悪い出来事が起きている。

レオーニはブリュッセル万国博覧会のアメリカ館特設パヴィリオン「未完成の仕事」の企画・デザインを担当したのだが、会期の途中で閉鎖されてしまった。ことの経緯については、図録に収録された松岡希代子「絵本作家レオ・レオーニの誕生と『あおくんときいろちゃん』」に記されている。

松岡によると、レオーニが担当したパヴィリオンはメインパヴィリオンとは別に、タイム・ライフがスポンサーとなった小規模な特設パヴィリオンだった。そこでは、ソ連によるネガティヴ・プロパガンダに対抗するために、アメリカの国内問題を率直に取り上げる展示がなされた。展示は三部構成で、アメリカの抱える問題を伝える第1部「混沌」、どのような手段により問題解決に向かっているのかを展示する第2部「進捗状況」、そして、第3部の「望まれる未来」。

3部の最後に展示された1枚の写真が、アメリカ南部の一部議員の間で問題視されることとなり、一般公開から3週間後にパヴィリオンそのものが閉鎖に追い込まれたそうだ。その写真とは、次のようなもの。

 

それは、肌の色もさまざまな7人の子どもたちが手を繋いで輪になり、マザーグースの1つ「Ring-a-Ring-o’ Roses(薔薇の花輪を作ろう)」を歌う様子を捉えた、活き活きとした写真作品でした(p.172

 

 人種など関係なく、一緒に元気に遊ぶ子どもたちの姿。これこそ、まさに「望まれる未来」そのものなのでは?と言いたくなるが、当時はこうした写真を「問題視」することがまかり通っていたのだ。州によっては、有色人種の人々から人権を剥奪したり、差別を正当化したりするような内容の法律がまだ生きていた。当時のアメリカが公民権運動のただなかにあったことを思うと、この写真を問題視することの背景には、平等が怖くて仕方ない人たちが数多くいたということなのだろう。哀れなものだ。が、そんな人たちによる政治的圧力のせいで、精魂込めた展示が台無しにされてはたまったものではない。

 ところで、マザーグース「Ring-a-Ring-o’ Roses(薔薇の花輪を作ろう)」は、次のようなもの。

 

Ring-a-ring o’ roses,(バラの花輪を作ろう)

A pocket full of posies,(ポケットにいっぱいの花)

  A-tishoo! A-tishoo!(ハックション! ハックション!)

We all fall down.(さあみんな たおれちゃおう)

       原文は『マザー・グースのうた 第二集 ばらのはなわを つくろうよ』より。( )内は遠藤拙訳。日本語訳のお手本は谷川俊太郎。

 

『マザー・グースのうた 第二集 ばらのはなわを つくろうよ』谷川俊太郎訳、堀内誠一イラストレイション、草思社、1975年、後付4ページ ※Ring-a-ring o’ rosesの、oの前に“-”がないのは、原文ママです。

 

 途中の、くしゃみをするところで笑ってしまう。マザーグース、面白いな。

せっかくだから、日本語訳は谷川俊太郎訳を参考にして自分でつけてみた。かっこでくくったのがそれ。当たり前だけど、難しかった。でも面白い。

 

【書誌情報】

松岡希代子「絵本作家レオ・レオーニの誕生と『あおくんときいろちゃん』」『だれも知らないレオ・レオーニ』玄光社、2020年、pp.170-177

「レオ・レオーニ 年譜」『だれも知らないレオ・レオーニ』玄光社、2020年、pp.216-219 ※執筆担当者の表示なし

遠藤知恵子(センター助手)