2024年2月29日木曜日

ムナーリとレオーニ(33)

1949年②

 今回は、ムナーリの年譜を読んでいこう。

1949年、ムナーリは3月に個展を開催し、4つのグループ展に参加している。また、「第27回ミラノ国際見本市でモンテカティーニ社の展示プランを手がける」(p.345)とある。どんな仕事だろう。作品展示と違って、ちょっと想像しづらい。ムナーリ自身の作品でないと、図版入りで紹介されることは滅多にないので、かえって気になってしまう。

ともあれ、この年もムナーリは活躍中である。前年に引き続き、具体芸術に関連する作品展示(グループ展の「具体芸術ポートフォリオ第4集 リトグラフ24点」に参加。会期は924-107日。会場はミラノのサルト書店)に参加し、世界的な芸術運動の只中に身を置き、途切れることなく作品発表を続けている。

1949年は玩具に関する事柄がふたつある。ひとつは雑誌掲載、もうひとつはグループ展への参加である。

まずはグループ展。12月に、ムナーリはミラノのアンヌンチャータ画廊で「アーティストのおもちゃ(クリスマス・プレゼント)」展に参加している。前年にも、同じ画廊で開催された「アーティストのおもちゃ」展に参加していた。1948年のグループ展の名称には「クリスマス・プレゼント」という言葉は見られないけれど、開催されたのは12月。やはり、クリスマスを意識した作品展だったと考えて間違いないのではないだろうか。

次に雑誌記事について。ムナーリの挿絵と写真付きの記事「ナイロンのひげをもったフォームラバーの猫」が『ピレッリ―情報と技術の雑誌』誌2巻第4号に掲載されたとある。年譜によると、この記事で紹介された猫の玩具は、ワイヤー入りのフォームラバーで作られた玩具、《小ざるのジジ》の原型となったそうだ。後年、ムナーリはこの《小ざるのジジ》でコンパッソ・ドーロ(金のコンパス)賞を受賞することになる。フォームラバー(foam rubber)はマットレスやクッションなどの素材にもなる、海綿のような多孔性のゴムである。「ナイロンのひげをもったフォームラバーの猫」の図版は残念ながら図録に収録されていないのだが、軽くてソフトな、肌ざわりの良い猫ちゃんだったのであろうと推察される。

図録では、ムナーリの言葉を引きながら具体芸術の作品の特徴を説明している(p.83 文章:奥田亜希子)。作品を構成する色と色、そして形と形の組み合わせが楽しい絵画作品や、ページをめくるごとに変化する「読めない本」シリーズなど、この時期のムナーリの作品は、色、形、動き、またそれらの関係性といった構成要素それ自体を味わい、全体の調和を楽しむことに力点が置かれているらしい。それらは、現実世界のあれこれのなかに、参照事項を持たない作品群である…が、まぁそうは言っても、作品から意味や物語を読み取るのは私たち鑑賞者の勝手であるし、それは具体芸術運動に参加していた当時のムナーリの作品であっても変わらない。

ただ、絵の背景と思っていた白や灰色の部分が、画面をじっと見ているうちに主役のように引き立って美しく見えたり、入り組んだ形に組み合わされた色面ががっぷり四つに組んでいるように見えたりして面白いのは、きっと、ムナーリの苦心の賜物なのだろう。


【書誌情報】

奥田亜希子編「ブルーノ・ムナーリ年譜」『ブルーノ・ムナーリ』求龍堂、2018年、pp.342-357

「レオ・レオーニ 年譜」『だれも知らないレオ・レオーニ』玄光社、2020年、pp.216-219 ※執筆担当者の表示なし


遠藤知恵子(センター助手)

2024年2月22日木曜日

ミニ展示 2月26日~3月6日

 センター入り口で、センター蔵書のミニ展示を行っております。


ブライアン・フラウド 絵 アリ・バーク 文

ルーンの魔法のことば 妖精の国のルーン文字

神戸万知 訳 原書房 2007年


 展示期間中も貸し出しをすることができます。

 どうぞお気軽にご利用ください。

2024年2月15日木曜日

ムナーリとレオーニ(32)

1949年①

 今回は、レオーニの年譜を読んでいく。

前年、大手広告代理店を退社し、フリーランスのデザイナーとなったレオーニは、CBS放送、オリヴェッティ・アメリカ支店などのポスターや広告を手がける。オリヴェッティはタイプライターなどの製造販売をする企業である。1931年にムナーリがリッカルド・リカスとともにミラノで立ち上げた「ストゥディオRM」でも、オリヴェッティ社の仕事をしていたことが思い出される。

また、この年から1962年にかけて、レオーニはビジネス雑誌『Fortune』の社外アートディレクターを務める。『Fortune』での仕事について、この時期の解説「グラフィックデザイン:アメリカ時代」(p.38文章:森泉文美)には、「『Fortune』を約10年にわたってビジネスマンのための文化的な媒体に育て上げ」たとある。

Fortune』は、『TIME』や『LIFE』を発行するタイム社のヘンリー・ルースが19302月に創刊した。図録の解説「『Fortune』での仕事」(pp.55-56 文章:森泉)によると、「創刊当時に掲げていた目標は「美しい本づくりで『ビジネスに文学の形』を与えること」で、リサーチャー(主な担い手は大学を卒業した女性)と記者がユニットを組み、取材し、幅広い分野にわたる、内容の確かな記事を作っていた。写真やイラストレーションといった視覚的要素も重視され、それらが「ビジネスマンの事業をドラマティックに語るのに最適」と考えられていたのだそうだ。「ビジネスマンの事業をドラマティックに」と言われると、城山三郎の経済小説を思い浮かべてしまうけれど、あくまでもデザインの話である。

 「『Fortune』での仕事」によると、レオーニは19497月号からこの雑誌のアートディレクションを担当し、それから2年あまりが過ぎた19519月号から、編集方針の変更に従い、雑誌の構造を変えていった。フォントをより読みやすいものに変更し、余白を有効活用、広告と本文を分け、記事の流れをつくり、整えた。さまざまなアーティストを起用し、毎号変化に富んだ表紙が賛否両論を呼び、当時の美術学校の制作課題となることも多かったという。さらにレオーニは『Fortune』で表紙のデザインコンクールを企画し、19535月号でアメリカのデザイン学校を特集、コンクールで優勝したハロルド・Y・シルヴァーマン(当時、イェール大学芸術学部の学生)の作品を同号の表紙に採用した。

解説文から離れて年譜に戻ると、この年、レオーニはMoMA(ニューヨーク近代美術館)で開催された第28回アートディレクターズ・クラブ広告出版芸術賞に出品し、2つの賞を受賞している。この時期のレオーニの活躍ぶりに、眩暈がする思いである。

だが、『Fortune195312月号の年間購読贈呈用クリスマスカードの図版とキャプションを見ると、どんなに活躍していても、以前と変わらない部分もあるのかな?と思えてくる。蛇腹状に折りたたまれ、1面ごとに1文字ずつ、MERRYCHRISTMASが記されたカードの裏側には、1951年から53年までの表紙と、使用されなかった表紙案が12枚印刷されている。使用されなかった表紙案からは、レオーニがかつて勤めていたN.W.エイヤーで、社内限定で刊行されていたと推測されている没原稿集のことが思い起こされる。没原稿にはユーモアある言葉で、没になった理由が赤字で書き込まれていた。

大量の案のなかからたった一つが採用されるのがデザインの仕事というものなのだろうけれど、選ばれたものはその状況における「最適解」なのであって、没になったものが魅力に欠けているとは限らない。没原稿に対する人道的なふるまいは、フリーランスになってからも変わらなかったのではないか、そんなふうに想像してみると、少し嬉しくなってくるのである。

 

【書誌情報】

奥田亜希子編「ブルーノ・ムナーリ年譜」『ブルーノ・ムナーリ』求龍堂、2018年、pp.342-357

「レオ・レオーニ 年譜」『だれも知らないレオ・レオーニ』玄光社、2020年、pp.216-219 ※執筆担当者の表示なし

 

遠藤知恵子(センター助手)

熊沢健児の呟き

 2月5日の大雪から一転して、すっかり季節は春である。文人石の後ろが雪で白くなっていたことも、池に氷が張っていたことも、まるで嘘のようだ。

2024年2月7日撮影
雪がまだ残っていた頃

2024年2月7日撮影
氷の張った池に、鴨がやって来た

 寒さは身体にこたえるが、家にこもって過ごす分、前から気になっていた映画や、シリーズものの映像作品を鑑賞するには適している。元来、アニメーション作品をあまり観てこなかった私だが、先日、『進撃の巨人』のアニメ版(本編)をコンプリートした。面白かった…!
 研究仲間から借りてきたOADで、スピンオフ作品も3種類ほど確認することができた。この感動を燃料として、今年は去年より、アダプテーション研究を頑張れるだろうか(コミックも、読まなくっちゃ)。

熊沢健児(ぬいぐるみ・名誉研究員)



2024年2月15日撮影
梅が咲きました

2024年2月8日木曜日

ミニ展示 2月8日~22日

 センター入り口で、センター蔵書のミニ展示を行なっております。


荒川弘
鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST 全27巻
スクウェア・エニックス、2002-2010年

 展示期間中も貸し出しをすることができます。
 どうぞお気軽にご利用ください。