2022年9月30日金曜日

光吉文庫の資料から ②世界を巡回した写真展

 The Family of Man. Museum of Modern Art, 1955


 光吉夏弥が 『子供の世界』に寄せた前書きは、こんな一文で締めくくられる。


子供の窓を通して見た、これは今日の世界の人間像だが、子供版“ザ・ファミリー・オブ・マン”というのが、一ばんふさわしいかもしれない。

(クライン・タコニスほか『子供の世界』光吉夏弥訳、平凡社、1957年)

 

 もしかして…と思い、検索してみたら、あった。

英語版の展覧会図録The Family of Manである。展覧会の企画者はエドワード・スタイケン(1879-1973)、図録のアート・ディレクターはレオ・レオーニ(1910-1999)。レオーニが初めての絵本『あおくんときいろちゃん』を出版したのが1959年だから、この図録は、まだ絵本作家になる前のレオーニの仕事である。恐ろしくメジャーな展覧会の図録だけれども、まさかここ白百合で手に取って見られるとは予想していなかった。

 図録のはじめの方に展示風景を写した写真が掲載されている。会場いっぱいにさまざまな大きさの写真パネルを配置したインスタレーションである。人の入っていない展示空間の画像を、精一杯、想像をたくましくして見てみよう。まず、高価な美術品の展示とは違い、展示物と観客の距離感が近そうだ。写真を立体的に組み合わせて構成された空間の中に、観客が入り込んで動き回る。一枚一枚の写真が発するメッセージだけではなく、展示の構成によってもThe Family of Man(人間家族)の世界観を示し、同じ展示を見る人たちに一体感を与えようとしているのだろうか。

展示は68か国から集められた273人の撮影者による503枚の写真から成り、1955年から1962年までに38か国を巡回して9000000人の人々が訪れたという。日本にも来ていた。大変な規模だ。

 図録の写真でその中身を確かめると、新しい生命の誕生を起点として、さまざまな国や地域での子どもの成長や家族のあり方、日々の暮らし方、食、労働、音楽、舞踊、遊び、学び、人の死、戦争、等々が提示されている。中でも興味深いのは、ヨーロッパ、南北アメリカ、中国、日本など各地で撮影された、手をつないで輪になる遊びの写真が並ぶ見開きのページ。人間って、住む場所が違っていても、こんなにも似ているものなのかと驚かされる。

もちろん、人類の普遍性を強調しすぎるこの展示のメッセージには、危うさがある。みんなと同じであることを押し付けられるのは誰にとってもつらいことだし、この展示によってかえってあらわになる貧富の差もある。でも、この遊びのような、意外な一致に興味をそそられてしまうのも事実だ。この驚きはちょうど、シンデレラの類話が世界各地にあるということを知ったときの驚きに似ている。

図録にはプロローグの言葉、写真、キャプションに加えて、古今東西の様々な有名人の言葉が華を添える。その中に岡倉覚三の『茶の本』からの引用を見つけたときは、思わず「おうっ」と声が出そうになってしまった。意外なところで、意外な人に出会う。

 

 しかし、それにしても…と、思う。現役のデザイナーだった頃のレオ・レオーニの、グラフィックの仕事をリアルタイムで見ていた光吉夏弥。羨ましすぎる。

遠藤知恵子(センター助手)


展覧会が巡回した国の数や観客動員数は、DNP Museum Information Japan artscape(URL: https://artscape.jp/index.html)が提供している現代美術用語辞典「アートワード」の「『ザ・ファミリー・オブ・マン(人間家族)』展」の項目(執筆者:小原真史)を参照しました。


2022年9月28日水曜日

光吉文庫の資料から ①フォトエッセイ

 クライン・タコニスほか『子供の世界』光吉夏弥訳、平凡社、1957

 

その判型から、はじめは子どものための写真絵本かと思ったけれど(およそ25×18.5cm48p+後付8p、ハードカバー)、ページを開いてみると、世界中の子どもたちの生活ぶりを写真に収め、聞き取り調査に基づいてテキストをつけられたフォトエッセイだった。振り仮名などもなく、特に子ども向けに出版された本ではないようだ。光吉夏弥の前書き(解説)があって、写真と本文のあとに、撮影者であるマグナムの写真家たちがまとめたデータの抜粋(後付8pの部分)が収録されている。

 被写体となり、取材を受けた子どもたちの名前と出身地、そして写真家の名前と、巻末に付された文章のタイトルは次の通り。

 

 ラップランドのイーサク(クライン・タコニス「トナカイを追う子」)

 イタリアのロベルティーノ(デーヴィッド・シーモア「少年ガイド」)

 アフリカのエマニュエル(ジョージ・ロジャー「近侍の少年」)

 フランスのアルレット(アンリ・カルティエ・ブレッソン「オペラ座の豆バレリーナ」)

 キューバのフアナ(イヴ・アーノルド「キューバの島の娘」)

 イギリスのイアン(インゲ・モラート「小さな紳士」)

 ペルーのマリオ(コーネル・キャパ「アンデスのマリオ」)

 アメリカのゲイリー(エリオット・アーウィット「未来の牧場主」)

 

 近代化された都市空間で生活する子どもと、伝統的な暮らしを守り大自然に囲まれて生活する子ども。金持ちの家の子どもと、大人顔負けの観光ガイドをして家計を支える子ども。上流階級の子どもと、上流も下流もなくただただ元気に走り回る子ども。さまざまなコントラストがあり、思わずじっと写真に見入ってしまう。ちょっと得意がった、いかにもやんちゃな笑顔や、疲れてぼうっと座っている姿も、むつかしい顔をして何やら考えているらしい横顔も、子どもたちの姿はみんな魅力的だ。

取材対象となり、被写体となったこれらの子どもたちのそれぞれの境遇について、光吉は前書きで次のように記している。

 

ある社会では、子供はおとなの世界の現実からできるだけ長く護られている。そして、ある社会では、子供もできるだけ早くおとなの中に繰り入れられる。これも、どっちがいいか簡単にはきめられないことだ。ただ、わたしたちにわかっていいのは、子供には子供の考えがあるということだ。幸せも不幸も、子供は自分で持っているのである。

 

 いまこうして引用のために光吉の文章を打ち込みながら、「ただ、わたしたちにわかっていいのは、」のフレーズが、つん、と胸に刺さった。一瞬、誤植を疑ったけれど、「わたしたちにわかっていい」という言い回しも、なんだかいいと思った。

子どもには子どもの考えがあるということ。わかっているべきだけれど、それを本当にわかるのは、なかなか難しいことでもある。あまり上手に言葉に表してくれない子どもたちは、それでも自分の考えを持って生きているし、幸せや不幸を自分自身で感じることができるひとつの独立した人格を持っている。

 そんなわけで、写真ばかり見ていないで、巻末の文章もきちんと読んで、その上でもう一度、じっくりと写真を見ようと思うのだった。

遠藤知恵子(センター助手)

2022年9月23日金曜日

ミニ展示 9月23日~10月13日

 センター入り口で、センター蔵書のミニ展示を行っております。こちらの本は、展示期間中も貸し出しをすることができます。どうぞお気軽にご利用ください。

 

展示中の本

『昔話の扉をひらこう』

小澤俊夫 暮しの手帖社 2022

 

一緒に展示されている『暮しの手帖』(20222-3月号・8-9月号)には

小澤先生の対談記事やインタビュー記事が掲載されています。

併せてご覧ください。

(三冊とも、暮しの手帖 佐藤礼子様からのご寄贈です)