2019年10月31日木曜日

金田くん


 小学一年生の時だったかと思う。
当時私は、東京都国分寺市周辺に暮らしていた。

 ちなみにその二年後に、宮城県へと父親の仕事の関係で引っ越すことになるのだが、その頃の私は知る由もない。
幼馴染と言える友人たちと遊び、日々を過ごしていた。

そんなある日、友人たちとの会話の中でバレンタイン・デーの話題が出る。
バレンタイン・デーはヴァレンティヌスという人の処刑された日である。ヴァレンティヌスは、皇帝の許可なく、愛し合う恋人たちを結婚させた聖人だそうだ。

しかし、当時の私も、私の友人たちもそんな知識は一切持ち合わせていなかった。
ただ、女の子が気になる男の子にチョコレートを贈る日だという認識しかなかったのである。

その後、話の流れで、何故か「金田くん」という男の子に皆でチョコレートをあげようということになった。
「金田くんはチョコレートをもらえないかもしれない」という理由で。
ちなみに金田くんは仮名である。

今思えば、大きなお世話だし、大変失礼な話である。
そもそも金田くん以外にも男の子はいたし、その中で、何故、金田くんだけにスポットライトが当たったのかという疑問もある。
 
 兎にも角にも、私は友達と示し合わせ、チョコレートを用意し、金田くんに渡しに行くことになった。固く約束をした後、その日は帰路に着いた。
 
 そして、約束の日。
 チョコレートを片手に、集合場所に向かった私は、友人たちの姿を見て仰天した。

 私以外誰も、チョコレートを持っていない。

 ギョッとしている私に構わず、友人たちは「じゃあ、行こうか」と何気ない顔をして、歩き始める。
 私は頭が真っ白になっていた。何が起こったのか、全く分からない。

 まず「何故私以外チョコレートを持っていないのか」という疑問が浮かんだ。
 次に「何故皆涼し気な顔なのか」という疑問。
 
そして、「このままいけば、私は金田くんに誤解を受けないだろうか」という疑問も。

このように多くの疑問が頭に浮かびながらも、友人たちの後ろについて歩いた。

たどり着いたのは、小学校に近い、集合住宅地。
男の子たちが、家の前にある道でボール遊びに興じている。

そこには金田くんもいた。彼は、汗を流しながら遊んでいる。

状況は全く違う。
全く違うのだが、金田くんの姿を見た時、私は処刑台の前に立たされたマリー・アントワネットのような気持ちになっていた。

「おーい、金田くん」

 固まっている私に構いもせず、友人たちは金田くんをご親切にも呼び出してくれた。

「律子ちゃんが渡したいものがあるんだって」

「余計なことを!」と友人に対して、心の中で叫ぶ。
しかし、小心者の私は何も言えない。
真っ赤な顔で、「こ、これ…あげる…」と蚊の鳴くような声とともに、チョコレートを差し出した。

金田くんは怪訝そうに、私の顔とチョコレートを交互に見ていた。
そして、少し間を空けてからチョコレートを受け取り、再び男の子たちの群れに戻って行った。

「良かったね」

 そう言って、金田くんを呆然と見つめる私の肩を叩く友人。
心なしかニヤニヤしていた気がする。

「良かったね」と言えることは何一つ無かった。

 むしろ、真っ赤な顔でチョコレートを差し出す構図は、「本当に私が金田くんに惚れている」ように見えないこともない。
 いや、むしろ、そうとしか見えないのではないだろうか。

 しかし、私はその時は「処刑直後」であったため、魂が抜け出ている状態だった。反論したり、怒り狂ったりする気力さえもなかったのである。

 だから、肩を叩いた友人に対しても「う、うん…」と小さく返事を帰すだけに留まった。

 そして、この話はその日の夜、急展開を迎える。
なんと金田くんが、チョコレートのお返しにハンカチを携えて私の家にやって来たのである。

 チョコレートを渡した日、私は時間が経つに連れて、「恥ずかしさ」がエスカレーターのように徐々に高まっていった。
 夕方になって、家に帰った時は「恥ずかしさ」という「恥ずかしさ」が体の中の血管の中を這いまわっている状態にまで陥っていた気がする。

 クッションに頭を突っ込み、悶えている私を、母親は笑いながら宥めていた。

 そして、夜。
突然、ピンポーンとチャイムを鳴らす音がする。
応答に出た母親が、私を呼んだ。

「金田くんよ」

その日、もっとも聞きたくないワード、第一位「金田くん」。
私はガタガタと震えながら、玄関に向かい、靴を履いて外に出た。

玄関を出ると、外は激しい雨が降っていた。風も強かった気がする。

外には大きな車が止まっていて、その車の前に金田くんがいた。
金田くんは黄色い雨合羽を被り、手には紙のラッピングのされている「何か」があった。

「これ、今日のお礼」

金田くんはどこか照れ臭そうに、その「何か」を差し出した。

私の心の中は、様々な感情の嵐が吹き荒れた。
「やめてくれ」と。「そんなの、受け取る資格ないんだ」と。

しっちゃかめっちゃかの、グチャグチャだった。

「あ、ありがとう」

しかし、ここでも私は何も言えなかった。小さくお礼を述べることしかできない。

私からお礼の言葉を聞くと、金田くんは嬉しそうに笑い、帰って行った。

トボトボと家の中に戻ってから、私は金田くんからの贈り物の包み紙を開ける。
ピンク色の下地に、ウサギの刺繍がある、可愛いハンカチ。

「可愛いじゃない。良かったわね」

お母さんがニコニコしながら、そう声をかけてくる。

しかしまだ私の中には嵐がたけり狂っていた。

「完全に誤解されたのでは」ということから来るいたたまれなさ。
「金田くん、嬉しそうだったな」という金田くんへの罪悪感。
「よくも」という友人たちへの怒り。

「良かったわね」と言えることは何一つなかった。

しかし、感情がないまぜになり、心が虚ろになっていた私は特に何も言わなかった。
ただ小さく「うん…」と頷くことしかできなかった。
 
今でもそのハンカチは、手元にある。

特にどうということもない。
ないのだが、そのハンカチを見ていると、あの頃の感情の嵐が血管の中を駆け巡る感覚を思い出してしまうのだ。

 
終わり

鳥飼律子
※青い字で書かれた氏名はペンネームです。

2019年10月24日木曜日

熊沢健児の気になる企画展


創刊50周年!


 福音館の月間絵本「かがくのとも」創刊50周年を記念した展覧会「あけてみよう かがくのとびら展」が、今年の夏に開かれていた。いつものように会期終了直前になって駆け込むように見に行った。

会場のアーツ千代田3331は、旧錬成中学校を利用して作られた文化施設だ。ギャラリーやオフィス、カフェレストラン、書籍や様々なグッズを買えるミュージアムショップなどがあり、フリースペースも広く取ってある。お金を使っても、使わなくても、のびのびと過ごすことができるのが魅力の施設である。
また、鑑賞者として訪れるだけでなく、レンタルスペースを使って文化活動をすることもできるし、会議室を借りてビジネスの話をするのもいい。「アーツ(ARTS)」と、複数形の名を冠しているのも伊達じゃないのだ。

そんな、自由な雰囲気の会場でひらかれた、「あけてみよう かがくのとびら展」には、子どもたちの元気が満ちていた。


※乗り物に弱い方は、VRの動きに酔わないようご注意ください。

 ホームページの「展示の様子をパノラマVRでご紹介」で展示会場の様子を見ることができるが、入り口にはそれまでに刊行された「かがくのとも」の表紙画像ずらりと並び、壁には五味太郎『みんなうんち』(1981年)の絵が大きく描かれていた。
パノラマVRを見ても分かる通り、ほとんどがこの展覧会のために設置されたインスタレーションである。

展示されていた原画作品は、鎌田歩『どうろせいそうしゃ』(200910月号)、横溝英一『はしる はしる とっきゅうれっしゃ』(199910月号)、みねおみつ『ちいさなひこうきのたび』(20075月号)、谷川夏樹『かもつせんのいちにち』(20183月号)の4作品。額縁に入った原画のわきに、その絵が印刷されて出来上がった本が置いてあり、壁には拡大された乗り物の絵が直接プリントされていた。原画の干渉もやはり、動き回りながら体感する、ダイナミックな展示だった。

だが、最も特徴的だったことは、すべての展示物が子どもたちの身体のスケールに合わせて作られているということである。身長30cm足らずのぬいぐるみである私からすればそれでも充分すぎるほどに大きいのだが、子どもたちが展示物の間を歩き回り、探検できるように設計されていた。大人たちの多くは、そんな子どもたちを見守りながら、ちょっと背中を丸めたり腰をかがめたりして展示品を見てまわっていた。

 広い世界を知るための展示スタイルである。じっくり落ち着いて作品を味わうより、身体を使って体験することに主眼が置かれていて、意識は常に外へ外へと向かう。
そんな展示スタイルに応じるように、この展示の特設サイトには「かがくのとも+1」というページがある。


ここでは、ハードカバーになった「かがくのとも」109冊の内容に合わせて、出版社にかかわりなく、読書の広がりを楽しむことができる。展示会終了後も、好奇心は広がり続ける。

 子どもたちには、不思議に満ちたこの世界への入り口を、大人たちにはさらなる広がりと奥深さを見せてくれる。面白さの持続する、忘れがたい企画展となった。

熊沢健児(ぬいぐるみ・名誉研究員)


2019年10月18日金曜日

エッセイ イメージを散歩する

(2)MOMATコレクション 1950s-1960s

   東京国立近代美術館 Room7-Room8 201964-1020


 東京国立近代美術館の常設展示室Room7で、小さな冊子を手に取った。「ご自由にお持ちください」の台に置かれた、簡素なホチキスどめの冊子である。
 B5サイズの変形。表紙には横書きのタイトルが、下から上へ向かって読めるよう、印字されている。

The Essence of Japan Unearthed?
Unearthing the Past, Constructing the Future
「土」のなかに「日本」はあった?/掘り起こしたあとに、何が建ったか

英文和文併記の長いタイトルの下に、所蔵作品の一つである猪熊弦一郎(1902-1993)の《驚く可き風景(B)》(1969年、油彩・キャンバス、文化庁管理換)がプリントされている。
タイトルの文字と天地が同じ向きになるよう配置されたこの絵には、地中から地上に向って突き出た縦長の構造体(たぶん、高層のビルディング)と、地中に埋まっている横長の構造体(古代社会の遺構?)がリズミカルに配置されている。地上の世界は白い空、地中の世界は赤い土と塗り分けられており、構造体は黒・茶・ピンク・赤・白などで描かれる。地上の景と地中の景、いずれにしても、土地の景色がこの絵のモチーフである。

日本語では屋外の景色を風の景と書いて「風景」と呼ぶが、英語ではlandscape、地の景と呼ぶ。どちらかというと英語のlandscape(敢えて言うなら「地景」)ということばの方が、この絵に描かれているものに近い。
そして、この表紙絵、《驚く可き風景(B)》は、真ん中よりやや上のところで、タイトルと水平方向に山折りされている。描かれた「地景」のうち地下深くの様子は、冊子を手に取って折り目を開かないと見えないようになっているのである。表紙の折り返しは補強や見た目の美しさのためだけではなく、手に取った人に“折り目を開く”という小さな行動を起こさせる仕掛けでもある。それは一つのメッセージとなる――表面ばかり眺めていないで、ちょっとひと手間かけて、より深いところに意識を向けてみようよ、と。

 この冊子と今回の展示は過ぎ去った過去の時間と現在の私たちが生きる時間を地層に譬える。1964年の東京オリンピックに象徴される戦後の復興の層と、東日本大震災からの復興五輪と位置付けられる2020年の東京オリンピックを間近に控えた、現在の私たちの時代の層。1964年の東京オリンピックの時代を振り返る作業を通じて、2020年の東京オリンピック後の時間を想像するよう鑑賞者を導く、といったところが、この冊子の主な製作意図なのだろう。

 そうしたメッセージを担っているからだろうか、この冊子のテクストには、異なる時代や異なる地域といった異質なものどうしを重ね合わせて楽しみ、重ね合わせることによって発見する、という思考方法、「見立て」が満ちていた。
たとえば、子ども向けの美術書である久野健『みづゑ文庫 土器とはにわ』(美術出版社、1951年)の、埴輪の造形美についての解説から、冊子はこんな記述を引用している。孫引きになってしまうのだが、ここにもそれを引いておく。

すべてのものを、円筒形の中に、たくみに形づくり、それに物それ自身が持っているいのちを、いきいきと吹き込んでいるその巧みさは、ほんとうに、おどろくべきものがあります。ところが、これはピカソが主張している近代芸術の一派である立体派(キュービズム)の精神に通じるのです。立体派の根本的な理論になっている有名な言葉は、セザンヌが1904年にエミール・ベルナールに宛てた手紙の中に書かれています。
「自然は、球体、円錐体、円筒体として取り扱わねばならない…」
はにわは、今からおよそ千数百年前に、すべてのものを、円筒体として、取り扱った彫刻なのです。はにわが、今日もなお活き活きとした彫刻として、その生命を持ちつづけているのは、少しも不思議ではありません。
花井久穂企画・執筆『MOMATコレクション 1950s-1960s 「土」のなかに「日本」はあった?/掘り起こしたあとに、何が建ったか』(東京国立近代美術館、2019年)7ページより、久野健『みづゑ文庫 土器とはにわ』(美術出版社、1951年、49ページ)

 すべてのものの形を円筒形へと還元してのける埴輪と、自然を球体や円錐体や円筒体として表現しようとするキュビスムを重ね合わせ、千数百年前の日本列島に住んでいた人たちが、「立体派(キュービズム)の精神」に通じる造形感覚を有していた、と、“西洋の進んだ美術”に“日本の埴輪”を重ね合わせ、現在も保ちつづけられている埴輪の「彫刻」としての美を発見する。
 技術的な問題をすっ飛ばしていきなり「精神」を論じることの危うさは言うまでもないが、とにかくこうして、異質なもの同士を重ね合わせる想像力によって、土の中から掘り出された「日本」の価値を見いだしていたのだということが分かる。
 要するに、埴輪をキュビスムの彫刻に見立てているわけだが、物事を分かりやすく説明する「見立て」は、様々な場面でみられる。いま引用した埴輪についての説明に近いもので、私が真っ先に思い付いたのは、つい最近まで使われていた国語教科書の「生き物は円柱形」という説明文だ。

 地球には、たくさんの、さまざまな生き物がいる。生き物の、最も生き物らしいところは、多様だというところだろう。しかし、よく見ると、その中に共通性がある。形のうえでの分かりやすい共通性は、「生き物は円柱形だ」という点だ。

本川達雄「生き物は円柱形」
(『国語 5 銀河』光村図書出版、2011年、40-44ページ)40ページ

生き物の体の形に注目し、「円柱形」がどんな生き物にも共通する基本となる形であることを説明する。

ミミズやヘビは、円柱そのものだし、ウナギもそうだ。ネコやイヌのあしや胴体も、丸くて長い、つまり円柱形。植物だって円柱形だ。木の幹や枝、草のくきは円柱形。円柱形が集まって、全体が作られている。

同上

一見、円柱形に見えないものでも、よく見ると円柱形を基本として形作られている。そう説明したうえで、円柱形であることのメリットを、外部からかかってくる力に耐えて形を保てる強さと、移動するときの抵抗の少なさ=速さだと説明し、「円柱形は強い。円柱形は速い。だからこそ、生き物の体の基本となっているといっていいだろう」(同、44ページ)とまとめる。
 生き物の形が円柱形を基本としているという主張の根拠を、強さや速さといった機能的な側面にのみ見出している点に、生き物の体を機械のようなものとみなしてしまう危うさがないわけではない。だが、この説明文は、「多様なものの中から共通性を見いだし、なぜ同じなのかを考えることも、実におもしろい」(同上)と締めくくられている。ここでの考察の原動力は「おもしろい」という気持ち、つまり好奇心なのだということが分かる。仮説を実証するために強いとか早いとかいった、功利的な事柄を挙げている割には、それを述べる動機は、好奇心を満足させる喜びなのである。

 美術館でもらった冊子から国語教科書へ、話はずいぶん遠くまで来てしまった。でも、ついさっき引用した教科書の出版年を見て欲しい。2011年である。2014年度まで使用されていた。

この教科書は東日本大震災が起きる年に出版された。ということは、私たちがあの災害を経験する直前に刊行の準備が進んでいるのである。冊子に書かれている通りに、敗戦からの復興を強く印象付けるイベントだった1964年の東京オリンピックと、東日本大震災からの復興五輪と位置付けられた2020年の東京オリンピックとを、それぞれ一つの層と仮定するならば、「生き物は円柱形」は、1964年の東京オリンピックの層の一番上の部分に位置している。

 戦後の復興の途上にあった時期の埴輪の「見立て」と、復興の記憶がほとんど薄れかかっていた時期の生き物の「見立て」。それぞれに「見立て」の動機は異なるけれど、同じ一つの時代の「層」に位置するものではある。どのような時代の「層」にあろうとも、人間の思考の働きは同じように続いていくのだし、経験や記憶も、同じように積みあがっていく。
 だが、大きな危機を「層」の移り変わりの時期に見立て、そこに時代の切断面を見出すことにより、見えてくることもあるはずだ。そうやって、自分たちが生きている“いま、この場所”を理解しようと試みるのである。

私が美術館で手にした冊子もやはり、そうした試みの一つだったのだと思う。

遠藤知恵子(児童文化研究センター助手)

〈展覧会情報〉
MOMATコレクション 1950s-1960s
東京国立近代美術館 Room7-Room8 201964-1020

〈配布冊子〉
花井久穂企画・執筆『MOMATコレクション 1950s-1960s 「土」のなかに「日本」はあった?/掘り起こしたあとに、何が建ったか』(東京国立近代美術館、2019年)
〈参考資料〉
本川達雄「生き物は円柱形」(『国語 5 銀河』光村図書出版、2011年、40-44ページ)

2019年10月17日木曜日

創作詩

優しさ


持ち主に 見つけてもらえますように
そんな願いを込められて
ガードレールの上にいる


祈る


間に合うといいねと
幼い子が言い
そうだねと
親が応えている

祈ることで誰かが助かるならば
人は皆 祈るだろうか
救急車の姿が見えるたびに
遠くにその音が聞こえるたびに



作:しあわせもりあわせ

2019年10月11日金曜日

エッセイ イメージを散歩する


(1)「井上肇展 ―何処へ―」(千駄木画廊、2019.9.2510.2


 良い絵だから、見てくるといいよ――と、この回顧展を薦めてくれる人がいた。千駄木画廊、駅からちょっと歩くけどね、と。

 井上肇(1932-2009)の絵は、ずっと前に見たことがあった。集英社から刊行された「コレクション 戦争と文学」の『死者たちの語り』(2011年)の口絵として油彩画のカラー図版が収録されている。図版で見た絵も印象的だったが、実際の絵はそれ以上に、迫ってくるものがあった。

 たとえば、『死者たちの語り』の口絵になり、この展示のサブタイトルにもなった〈何処へ〉。布でできた粗末な帽子が宙に浮いていて、帽子の中には蜂の巣がある。でも蜂の姿はない。蜂の巣の真ん中あたりから、帽子の顎ひもが下がっている。不思議な絵だった。帽子が宙を浮いているから不思議なのではない。この絵をじっと見ていると、細い顎ひもが、木の枝のように下から上へ、斜めににゅっと生えているように見えてくるからだ。そうして、地面から生えた顎ひもが、その先にある帽子と蜂の巣の重さを支えているように、錯覚しそうになる。
頭の中で整理し、理解している絵の図柄と、カンヴァスの表面から私の目に入って来て、じわじわと私の中にひろがってくる感覚とが、まるで逆なのだ。浮遊感があってしかるべき図柄なのに、不思議なバランスを保っていて、安定しているようにすら見える。
ちょっと風が吹いたくらいでは崩れそうにない――と、絵に対してなんだかおかしな言い回しをしてしまうのだが、そうなのだ。この帽子が蜂の巣と同居する、奇妙な果実に見えてくる。
 カンヴァスに描きこめられた帽子のイメージは、カンヴァスの表面に現れる物質の存在感――薄く塗りつけてある画面は、油絵具に特有のてかてかした質感が抑えられていて、カンヴァス地の凸凹の肌触りが正直に現れている――によって、生々しくこちらに迫ってくる。物に備わっている確かな手ごたえが、現実にはありえないイメージを、こちらの目の奥にまで運んでくる。
 井上は、兄の軍服を繰り返し何度も描いた画家だ。画廊の部屋には、同じ軍服を描いたらしい絵がずらりと並んでいた。帽子を描いた絵は会場にもう1枚飾られていて、その帽子からは鳥の脚が生えていた。見た瞬間、付喪神か、と思ってしまったが、たぶん違う。いや、もしかしたらそうなのかもしれない。人に聞かされたり本で読んだりした昔話のイメージや、目にした光景や、そのほかいろんなものの記憶が井上の中に堆積していて、それらのヴィジョンが、薄紙を重ねるようにして折り畳まれ、カンヴァスに描く図柄となった――きっと、そんなところだったのではないだろうか。
イメージの源泉を突き止めてみたい気持ちも湧いてくるが、それ以上に、井上の内部で起きた、イメージの変容のプロセスに心惹かれる。

繰り返し描かれた軍服の絵。イメージの変容は、繰り返し描き、繰り返し何度も新しく見直す、という行為の中に組み込まれていたはずだ。描きたい、という気持ちに従い、どう描くかを考えながら軍服に触れると、見慣れたはずのその軍服が、描くたびに新しく目の前に現れてくる他者――心の中で語りかけることのできる話し相手――となる。
井上は、描き、語りかけるごとに、軍服をふさわしい姿に見立てている。透明人間が軍服を着ているような、人の形をした空っぽの軍服を描くこともあれば、床に無造作に置いて山脈に見立てて描くこともある。描かれるごとに変わっていく軍服の姿に、井上がこの戦争の遺品を見つめてきた、長い時間を思わずにはいられない。

時間をかけて見続けること――見つめる先にあるものが別の何ものかに姿を変え、こちらの眼差しにこたえてくれるそのときまで、じっと。

満潮の時を待つように絵の前に佇み、そんなことを考えていたのだった。

遠藤知恵子(児童文化研究センター助手)

井上肇〈何処へ〉1979年、油彩、カンヴァス、89.4cm×1303cm
作品データ:千駄木画廊ホームページ展覧会案内より( https://sendagi-garou.jimdosite.com/
 
  〈何処へ〉を口絵として収録している『死者たちの語り』(コレクション 戦争と文学13、集英社、2011年)は白百合女子大学図書館で読むことができます[2階和書 918.6 / Ko79 / 13]。巻末の口絵解説、木下長宏「死者の声に背景はない」(702ページ)および「口絵紹介」(721ページ)に、モデルとなった帽子や画家の井上肇についての説明があります。
  井上肇の作品のうち、〈軍服〉が宮城県美術館の「洲之内コレクション」として所蔵されています。

2019年10月4日金曜日

半額割引


ここにも そこにも
半額割引の商品
胸が締め付けられる

割引コーナーのワゴンに収まりきらず
普通の棚にまで
赤と黄色のシールを貼られ
お客さんが来るのを待っている

この棚の分だけでも全部
買ってあげたいけれど
ごめんなさい

もらった段ボールで
こんな工作ができたと
店員さんに見せに来たあの子も

会計のレジから
袋詰めする台まで
店員さんにカゴを運んでもらっていたお年寄りも

もう来ていないから
こんなにガラガラ

近所にできた大型スーパー
予想を大幅に超える痛手



作詩:しあわせもりあわせ

2019年10月3日木曜日

猫村たたみの三文庫(非)公式ガイド


猫村たたみの三文庫(非)公式ガイド 
(3)三文庫クイズ(初級編)


センター構成員の皆さま、ご機嫌いかがかにゃ?
センター三文庫の守り猫、猫村たたみですにゃ。

10月に入り、大学の後期の授業も本格始動ですにゃ。学校が始まると、約束しなくても決まった曜日に仲間に会えて嬉しいにゃね。私も自分が女学生だった頃のことを思い出して、この時期はほっこりしますにゃ~。

さて、後期最初の三文庫(非)公式ガイドは、三文庫クイズ(初級編)ですにゃ。
クイズは今回も全部で5問ありますにゃ。クイズの答えはこの投稿の最後のところに、全問まとめて発表いたしますにゃ。皆さまはいくつ正解できるかにゃ~?

それでは第1問。(にゃにゃーん!)

 センター入り口から入って一番手前にあるのが金平文庫。この金平文庫の蔵書構成は、元の持ち主である金平聖之助先生がしていた、あるお仕事と深い関係があるのにゃ。何のお仕事か、わかるかにゃ?

 第2問。(にゃにゃーん!)

 金平文庫の奥には冨田文庫があるのにゃ。この冨田文庫の元の持ち主である冨田博之先生は、○○の発展に貢献した方にゃ。○○に当てはまる言葉を入れて欲しいのにゃ。これも、蔵書構成に関係する問題にゃ。

 第3問。(にゃにゃーん!)

 冨田文庫には、ほかにも特色ある資料が含まれているのにゃ。そのうちの一つはキリスト教児童文学に関連する資料にゃ。そして、もう一つは、ある有名な作家の作品に関するコレクションなのにゃけど、作家名と作品タイトルを答えて欲しいのにゃ。

 第4問。(にゃにゃーん!)

 本館4階の児童文化研究室には、約13,000冊の蔵書を収めた光吉文庫のスペースがあるのにゃ。光吉文庫には、ほかにも約46,000枚の○○やスクラップ資料や、直筆メモがあるのにゃよ。さて、○○に当てはまる言葉は何かにゃ?

 第5問。(にゃにゃーん!)

 光吉文庫の元の所有者、光吉夏弥先生は複数の分野で活躍した方にゃ。さて、何の分野で活躍したかにゃ?主なものを三つ、答えて欲しいのにゃ!

 クイズは以上でおしまいにゃ。
 さあ、答え合わせだにゃ!

【クイズの答え】

1
 正解は、「幼年雑誌の編集者」にゃ。
金平文庫は雑誌の企画資料として蒐集した洋書約6,000冊を所蔵しているのにゃ。

 第2
 正解は、「児童演劇運動」にゃ。
 冨田文庫は児童演劇・演劇教育を中心に、約16,000冊の書籍を所蔵しているのにゃ。台本・パンフレット・ちらしなどの文書資料、新聞記事スクラップなども閲覧できるのにゃよ。

 第3
 正解は、「メーテルリンク『青い鳥』」にゃ。
気になる人は、白百合女子大学学術リソース(機関リポジトリと間違えないでにゃ~。 URLは https://opac.shirayuri.ac.jp/lib/resources/jbunko/ にゃ)で検索にゃ!

 第4
 正解は、「情報カード」(または「カード」も可)にゃ。
 今年度の7月発行の『センター報』を読んでくださった皆様には、簡単にゃね~。

 第5
 正解は、「児童文学の翻訳・舞踏・写真」にゃ。
 詳しくは澤田精一さんの講演録(『白百合女子大学児童文化研究センター 研究論文集22』。講演録のURLは http://doi.org/10.24510/00000219 にゃよ!)を読んで欲しいのにゃ。
 この講演録は、白百合女子大学の期間リポジトリからPDFをダウンロードして読むこともできるのにゃよ。

クイズはお楽しみいただけたかにゃ~?
 それでは、皆さま、ごきげんようにゃ~。