2022年11月25日金曜日

ムナーリとレオーニ(27)

1944

 

 194398日、イタリアは連合国軍に無条件降伏し、敗戦を迎えた。ムナーリの年譜には世界情勢や政治に関わる記載が非常に少ないため、前回(1943年)、うっかり失念していたのだけれど、1944年にはもう、イタリアの対外戦争はひとまず終結していた。

 戦争が終わったから…か、どうかは分からないが、1942年・1943年には見られなかった展覧会の記載が、1944年には2つもある。どちらもミラノの画廊で開かれたムナーリの個展で、このうちの1つには「抽象絵画」というタイトルがついている。

出版物の仕事についての記載も、前年の2件から増えて、5件もある。そのうちの1件は未出版に終わった企画。『ABCダダ』という題名の本だったそうだ。年譜には、「21の挿画からなる本」(p.344)という説明がある。イタリアで、ダダ…? しかも1944年に。すごく気になる。何をしたかったのだろう。出版されたものの中にはムナーリ編『ムナーリの図解ユーモア・カタログ』(ミラノ、ウルトラ出版)なんて、楽しそうなタイトルの書籍もあって、平和っていいな、と思う。

 

【書誌情報】

奥田亜希子編「ブルーノ・ムナーリ年譜」『ブルーノ・ムナーリ』求龍堂、2018年、pp.342-357

遠藤知恵子(センター助手)

2022年11月18日金曜日

ミニ展示 11月18日~12月2日

 センター入り口で、センター蔵書のミニ展示を行っております。こちらの図書は、展示期間中も貸し出しをすることができます。どうぞお気軽にご利用ください。

展示中の図書
『クローディアの秘密
E.L.カニグズバーク作 松永ふみ子訳
岩波書店 1969

秋の実りと冬支度

 暦の上では立冬を過ぎ、キャンパス内の木々も少しずつ冬支度を始めています。
 紅葉の色づきは寒暖差が激しいほど鮮やかになるといいますが、私たち人間のほうは、この気候で風邪をひきやすくなってしまいますね。朝晩は身体を冷やさぬよう、暖かくしてお過ごしください。

柿の向こうでシマウマ氏が覗き込んでいるのは
熊沢健児氏のお土産(猿牙彫根付 銘「正民」の
写真絵葉書 19c 大阪市立美術館蔵)です。



ムナーリとレオーニ(26)

 1943

 

 レオーニの年譜には1943年の記載がないので、今回も、読むのはムナーリの1943年の年譜のみ。

この年のムナーリには、写真に関わる話題が二つある。『写真イタリアの写真に関する活動についての初の検証』(ドムス出版グループ、ミラノ。本のタイトル、原文ママ)にムナーリの写真作品が掲載され、『フォトグラファーレ』(『ノーテ・フォトグラーフィケ』誌の定期購読者に無料配布された)に「絵筆を伴った写真」という記事が掲載される。この2誌については、図録に誌面の掲載は見られない。

前回は漫画のことが話題になり、今回は写真。ムナーリが『テンポ』誌のアートディレクターに就任したのは1939年のことだった。漫画も写真も雑誌には欠かせない表現様式であり表現媒体だから、この2年分の年譜を読んで「あ! ムナーリが、雑誌の人になってる。」と、思わず呟きそうになってしまったのだけれど、実際のところはどうだったのだろう。

 

【書誌情報】

奥田亜希子編「ブルーノ・ムナーリ年譜」『ブルーノ・ムナーリ』求龍堂、2018年、pp.342-357

遠藤知恵子(センター助手)

2022年11月11日金曜日

ムナーリとレオーニ(25)

1942

 

 この年、ムナーリはトリノのエイナウディという出版社から、『ムナーリのABCの本』と『ムナーリの機械』を出版している。この不定期連載を始めてかれこれ1年以上が経って、ようやく絵本の登場である…!

『ムナーリの機械』については、大学図書館でフランス語訳のものを読むことができる。図録の解説によると、この絵本は「漫画家ルーブ・ゴールドバーグが着想した装置に影響を受けた」絵本であり、また、ここに見られる「機械」は「学生時代に友人を笑わせるために考案し始めた」ものなのだという(執筆者TY=髙嶋雄一郎、p.143)。美術を専門とする研究者にとっては、この絵本は、ムナーリの一連の《役に立たない機械》シリーズの関連資料のような位置づけなのだろうか。

これまでにも何度か参照している太田岳人さんの論考の一つ、「漫画作品から絵本へ:『ムナーリの機械』の制作過程に関する一考察」(『早稲田大学イタリア研究所研究紀要』第9号、20203月、pp.1-28)によると、『ムナーリの機械』はエイナウディの「子供と青年の叢書」のうちの1冊だったそうだ。機関リポジトリで読めるPDF版の論文では図版が見られないのがもどかしいけれど、ユーモア紙『セッテベッロ』に掲載された1938年から1941年までのムナーリの漫画が、絵本『ムナーリの機械』の「機械」の原型になっているという事実がそれ自体で興味深い。また、ちょっと胡散臭いムナーリの「機械」に関する太田さんの説明が可笑しくて(胡散臭いものは、真面目に説明すればするほどかえって笑いを誘う)、論文を読んでいるはずなのについつい笑ってしまうのである。ファシズム政権下という背景を踏まえたうえで読み返すと、時には痛々しさも感じてしまうこの「笑い」について、正直、どう受け止めれば良いのか分からない。まずは手に届く範囲の資料をありのままに読んでいけたら、と思う。

さて、アメリカのレオーニはこの頃、どうしていたのだろうか。気になるのだけれども、レオーニの年譜は、1942年から1944年まで記載がない。

 

【書誌情報】

奥田亜希子編「ブルーノ・ムナーリ年譜」『ブルーノ・ムナーリ』求龍堂、2018年、pp.342-357


遠藤知恵子(センター助手)

2022年11月3日木曜日

ミニ展示 11月4日~11月18日

 センター入り口で、センター蔵書のミニ展示を行っております。こちらの資料は、展示期間中も貸し出しをすることができます。どうぞお気軽にご利用ください。


展示中の資料

『こどもとしょかん

東京子ども図書館 2022年秋

 

「児童図書館基本蔵書目録」全3巻完結を受けて、

今年8月に刊行された『知識の海へ』を中心とした特集が組まれています。

児童文化研究センターには既刊の目録のうち、『物語の森へ』(2017)が

あります。お手に取ってご覧ください。

ムナーリとレオーニ(24)

1940-1941

  

 今回も、ブルーノ・ムナーリとレオ・レオーニの年譜を読もう。まずはムナーリ。

 19403月、ミラノのミリオーネ画廊で「ブルーノ・ムナーリの形而上のオブジェ」という個展を開催。また、5月から6月にかけて開催された第7回ミラノ・トリエンナーレでは、「近代のグラフィック・アートに関するセクションの展示プランを手がけ、ムナーリ自身も個別展示される」(p.344)とある。ムナーリはミラノ・トリエンナーレでどんな展示空間を作っていたのだろう。気になるけれど、図録からは分からない。また、『世界 空気 水 大地』を出版したということだけれど、これも、図録には見当たらない(1945年にモンダドーリ出版から子どもの絵本を7冊も刊行し、その後も子どもの本を手がけていたことを考えるなら、この『世界 空気 水 大地』も結構重要な資料だと思うのだけれど…)。それから、この年の9月には、息子のアルベルトが誕生している。翌年の1941年には「未来派原始宣言」に署名。12月に「原始グループ展」に参加。年譜には書いてないけれど、19406月、イタリアは第二次世界大戦に参戦している。

 一方のレオーニは、1940年の記述はなし。亡命先のアメリカで、生活の基盤を確かなものにしようと仕事に精を出していたのではないだろうか。1939年に就職したN.W.エイヤーで、1941年にはアートディレクターに昇進している。年譜にはレオーニが担当した企業として「ゼネラル・エレクトリック」や「CCA」が挙げられている。図録の説明によると、CCAはコンテイナー・コーポレーション・オブ・アメリカという段ボール箱製造会社とのこと(p.48 執筆担当:森泉文美)。年譜を読んでいて「CCA」の文字にはいまひとつピンと来なかったけれど、「段ボール」という言葉を見て、ようやく思い出した。展示を見たとき、CCAの一連の広告の中にインドネシアの影絵芝居をもとにデザインされたものがあって、ひどく新鮮だったのだ。

 ところで、図書館でたまたま手に取った『思想の科学』第16号(19637月。手塚治虫と加太こうじの対談記事が掲載されている号である)の共同討議の記事で、こんな発言をしている人がいた。

 

 デザインの問題で、ヨーロッパ、アメリカ等とすぐ例に出されるのがオリベッティのタイプライター。文化の基礎は文字ですから文字の記述を機械化するタイプライターで、世界の文化を引きづって(ママ)ゆくのだというような勢いだった。アメリカだとそれがパッケージング会社なんです。広い曠野を物を運ばなきゃならない。そこが一番デザインがしっかりしている。(p.12 発言者:川添登)

 

 ここでまず思い出されるのは、1931年にムナーリがリッカルド・リカスと立ち上げた「ストゥディオRM」で、オリヴェッティ社と一緒に仕事をしていたこと。あと、発言者の言う「パッケージング会社」が、レオーニが担当したCCAのことなのかどうかは分からないけれど、『だれも知らないレオ・レオーニ』の解説によると、CCA創設者のウォルター・ペプケは、「グラフィックデザインの理論化に大きく貢献した、コロラド州アスペンでの国際デザイン会議を立ち上げたことでも有名」(p.48 執筆担当:森泉文美)とのこと。また、同じく解説によると、ペプケはアメリカのバウハウス派の擁護者でもあったそうだ。

イタリアとアメリカ。こうして年譜を読んでみると、ムナーリとレオーニは、それぞれの場所で、戦後の活躍につながる重要な流れの中にいたようだ。

 

【書誌情報】

「レオ・レオーニ 年譜」『だれも知らないレオ・レオーニ』玄光社、2020年、pp.216-219 ※執筆担当者の表示なし

奥田亜希子編「ブルーノ・ムナーリ年譜」『ブルーノ・ムナーリ』求龍堂、2018年、pp.342-357

報告・多田道太郎、司会・山田宗睦、出席者・今村太平・川添登・長谷川龍生「共同討議・中井正一『美と美学の将来について』」『思想の科学』第16号(19637月)、pp.2-19

 

遠藤知恵子(センター助手)