2026年5月28日木曜日

ミニ展示 5月28日~6月10日

シンポジウム直前! ミニ展示

 530日(土)に、白百合女子大学キャンパスにて「コバルト文庫創刊50周年記念シンポジウム コバルト文庫50年と少女カルチャー」が開催されます。

 児童文化研究センター入り口のミニ展示でも、少女小説や少女マンガなどの「少女カルチャー」に関連するセンター所蔵資料をピックアップしてご紹介いたします。

 

岩淵宏子ほか編『少女小説事典』東京堂出版、2015


 1冊目の『少女小説事典』は、明治から平成までの約110年にわたる少女小説の歴史や、主要な作家と作品、そして少女小説を理解するのに役立つ関連事項・関連領域を紹介する事典です。久米依子・岩淵宏子・長谷川啓による歴史解説、作家紹介に続く、主要作品やシリーズについて解説するパートでは、作品が発表年・刊行年の順に並んでおり、通しで読むことで少女小説の変遷が掴めるように構成されています。調べものに便利な参考図書(レファレンス・ブック)であると同時に、通読にも適した「読む事典」です。

History 「少女小説」の歴史を考える上でまず挙げておきたい重要な出来事は、雑誌『少年世界』(1895年創刊)に「少女」欄が設けられたこと。それまでの少年雑誌は少女も読者に想定しており、この場合の「少年」は「年少者」というほどの意味をもつ言葉でした。時代ごとのジェンダー観を色濃く反映しながら変遷していく「少女」のための小説、「少女小説」は、日本の近代化とともに性別役割分担が進行したことを背景に、「少年」から「少女」が分離、独立しだしたこの頃から書かれ、読まれるようになっていきます。そして、1899年の高等女学校令により少女向けの読み物へのニーズが高まると、少女小説が続々と創刊します。

明治期の少女小説では、良妻賢母教育の流れを汲む教訓物語が中心的な位置を占めていました。しかし、少女雑誌の読者投稿欄は、少女たち自身により、特色ある文体を形成する独自のコミュニティへと成長し、大正後期~昭和前期になって豊かに花開きます。コバルト文庫の数々の作品は、その流れを受け継ぐものであると、歴史的に位置づけられています。

 

図書の家編『少女マンガの宇宙:SF&ファンタジー1970-80年代』立東舎、2017

 

「今回は少女小説のミニ展示でしょ? どうしてマンガの本?」と思われた皆様、大変良い疑問をもっていただき、ありがとうございます。現在、児童文化研究センターでは、故・星敬氏旧蔵「コバルト文庫」少女小説コレクション受け入れに伴う整備作業をしています。コバルト文庫の表紙絵を刊行年順に並べながら作業をしていると、それぞれの出版時期の少女マンガの表紙絵と絵柄が似通っていることに気がつき、少女小説と少女マンガの近さを改めて実感させられます。それが、とても楽しいのです。『少女マンガの宇宙:SF&ファンタジー1970-80年代』は、ジャンルはSFとファンタジー、時代は1970年代から80年代を対象としており、90年代初頭までのこれらのジャンルの少女マンガの表紙絵を見ることができます。この時期のコバルト文庫の表紙絵と比べながら、当時の雰囲気を味わうのにとても良い一冊です。

History 明治後期から大正期にかけて続々と創刊された少女雑誌は、人気挿絵画家によるイラストレーションに彩られていました。『少女小説事典』の大串尚代「少女マンガと少女小説」(pp.349-352)によると、少女小説のストーリーと、挿絵の抒情的な視覚的表現は、戦後、黎明期にあった少女向けのストーリーマンガへと引き継がれていきます。1970年代、少女小説はいったん退潮しますが、一方の少女マンガは黄金期を迎えます(『少女マンガの宇宙:SF&ファンタジー1970-80年代』は、まさにその黄金期の作品の中から、SFとファンタジー作品を紹介する本です。なお、コバルト文庫は1976年に刊行を開始)。80年代、コバルト文庫は、少女マンガ家による表紙と挿絵に彩られ、10代の読者の等身大に近い、口語的な文章表現によって人気を博します。

少女マンガと少女小説はお互いに影響し合いながら成長を続ける親友同士。現在は、どちらもメディアミックスの時代を突き進んでいます。

 

本田和子『異文化としての子ども』紀伊国屋書店、1982

 

 児童学を専門とする本田和子が「子ども」を考察対象として書いた『異文化としての子ども』ですが、第3章の「変貌するまなざし」の第3節「「ひらひら」の系譜——少女、この境界的なるもの」と第4節「「少女」の誕生——一九二〇年、花開く少女」は少女論です。

単行本として刊行されてすぐ、この少女論に当たるパートは注目を集めていたようです。『子どもの館』第10巻第11号(198211月)の「座談会〈“少女的なもの”をめぐって〉」では、座談会の始めに、司会者は本田に「少女」に関心を抱いた理由を尋ねています。それによると、本田が「少女」について考えようとした理由は、児童文学・児童文化を論じる専門家が少女文化をあまりに無視しているということ、そして、1960年頃から本田自身が少女マンガを面白いと感じ、「これは知っている世界だ」(p.12)と、そこに描き出される「世界」を再発見したことにあります。このとき本田が再発見した世界こそ、大正期から昭和前期の少女雑誌、少女小説の世界でした。戦前期の少女小説と戦後の少女マンガに共通する「少女的なもの」を「ひらひら」のような特徴的なキーワードを提示し、柔らかに輪郭づけていきます。

本田和子の『異文化としての子ども』に収められた少女論は、いまでも重要な基本文献の一つ。菅聡子編『〈少女小説〉ワンダーランド:明治から平成まで』(2008年)で本田が菅のインタビューを受けた「いま、少女を語るということ」では本田の子ども研究の中の少女論がまず話題になっていますし、今年2月に刊行された山田萌果『おぞましさと戯れる少女たち:フェミニズム美学から読む日本現代美術の少女表象』(青弓社)でも、本田の少女論が取り上げられ、その内容が現在のフェミニズム的視点から精査されています。

History 『異文化としての子ども』が単行本化された1982年は、雑誌『Cobalt』創刊の年です。この雑誌と姉妹関係にある少女小説レーベル「コバルト文庫」は1976年、「集英社文庫コバルト・シリーズ」をその前身として開始されました。「集英社文庫コバルト・シリーズ」から数えて、2026年は50周年に当たります。「コバルト文庫」では、読者とあまり年齢の変わらない作家が、口語的表現を用いて、読者の等身大に近い主人公を登場させるなど、本田和子が論じた「少女」たちの「ひらひらの系譜」とは異なる、率直な文体による溌溂とした作品が次々に発表されます。

 雑誌『Cobalt』も、少女小説レーベル「コバルト文庫」も、ただ作品を提供して読者を楽しませるだけのものではありませんでした。『Cobalt』は継続前誌『小説ジュニア』の頃から新人賞を設けることで、積極的に新しい才能を見つけていきます。新人賞には、読者の少女たちに「あなたは主体的に書くことのできる存在なのです」と、伝える役割もあります。

自分たち自身の文体で、自分たち自身の物語を——この点に関しては、大正後期~昭和前期の少女雑誌と変わっていないのかもしれません。

 

【書誌情報】

  • 岩淵宏子ほか編『少女小説事典』東京堂出版、2015
  • 図書の家編『少女マンガの宇宙:SF&ファンタジー1970-80年代』立東舎、2017
  • 本田和子『異文化としての子ども』紀伊国屋書店、1982

児童文化研究センターの蔵書です。

借りられる資料です(利用できる人:児童文化研究センターの構成員と児童文学専攻の大学院生・研究生、本学教員の方々など)。展示期間中も貸し出しに制限はありません。ぜひ、お手に取ってご覧ください。

 

【この記事の参考文献】

  • 菅聡子編『〈少女小説〉ワンダーランド:明治から平成まで』明治書院、2008

特に、第1章「〈少女小説〉の歴史をふりかえる」(執筆担当:菅聡子・藤本恵、pp.5-23)とキーワード解説「少女小説レーベル」(執筆担当:川原塚瑞穂、pp.163-164)を参照しながら本記事を作成いたしました。

白百合女子大学図書館の本です。

本学教授(児童文化学科)の藤本恵先生も執筆者の一人です。

2026年5月15日金曜日

ミニ展示 5月15日~5月27日

展示中の資料

『こどもとしょかん』第175号、2022年秋
 
 『こどもとしょかん』のバックナンバーより。今回展示する第175号(2022年秋)は、ちょうど、「児童図書館基本蔵書目録」全3巻の編纂プロジェクトが終わった頃に発行されたものです。ノンフィクション分野の目録である第3巻『知識の海へ』の、選書にまつわる裏話を読むことができます。
 児童書のノンフィクション分野の本は「知識の本」とも呼ばれます。科学技術は日々刷新されていますし、社会も刻々と変化しているため、知識の本も、基本的には新しいもののほうが、子どもたちにとって「役に立つ本」ということになります。しかし、杉山きく子「『知識の海へ』航海記」には、こんなことが書かれています。 
『知識の海へ』の中には、その知識や情報は古いという本も収録しています。内容が最新でなくても、主題へのアプローチ方法、子どもの興味を惹きつける書き方、アイデアの独創性、著者の真実への探求心や自然への豊かな感性など、独自性や長所をもった本こそ、子どもと本にかかわる大人の方が手に取ってほしいし、そこから学べることもあると思います。(p.9
 知識や情報は古びるけれど、その本がもつ独自性や長所はもっと長い時間を生き延びるという、含蓄ある言葉ですね。本はときに、100年前に生きた遠い国の人とも私たちを出会わせてくれます。
 ところで、『こどもとしょかん』には毎号、書評が掲載されています。175号では、2022年夏に刊行された2冊、『クリシュナのつるぎ:インドのむかしばなし』と『両手にトカレフ』の書評を読むことができます。『クリシュナのつるぎ:インドのむかしばなし』の書評執筆者、清水千秋が「日本人には、あまり馴染みのないヒンドゥー神話の絵本」(p.23)と述べており、確かに、清水が紹介するあらすじを読むだけでも、既にとても新鮮です。清水の書評にはこの本が再刊された経緯(本書は1969年岩崎書店刊『クリシュナのつるぎ——インドの説話』の改訂版)も記されていて、この本への興味をさらにそそられます。
 一方、『両手にトカレフ』は、現代イギリスが舞台のリアリズム作品です。薬物依存の母に悩まされながら小学生の弟チャーリーの面倒を見て暮らす、中学生のミアの物語です。ミアが直面する貧困や空腹、ミドルクラスの同級生たちとの間に感じる目に見えない壁や疎外感など、読んでいると胸が重くなるような場面が多いのですが、読書家のミアは、本の中の、いま自分がいるのとは「違う世界」(p.24)に逃げ込み、毎日を乗り切ろうとします。ミアがのめり込む本は、日本のアナキスト、金子文子(1903-1926)の自伝です。
 書評執筆者の林直子は、ミアがフミコにのめり込んでいく様子を、「読み進むほどにフミコと自分が重なっていく。フミコと一体となって毎日への憤りをつのらせ、思いはやがて詩[ルビ:リリック]となってほとばしる」(p.24)と描写します。林が書いているように、ミアは文子と自分を重ね、(そして、林の書評にもう一つ付け加えるならば、ケイ・テンペストのラップのリリックを知ったことをきっかけに)自分自身の詩の言葉を結晶させ始めます。フミコ、すごいですね(そして、ケイ・テンペストもすごい)。
 今年は文子の没後100年に当たる年。これまで文子についての調査研究や、地道な執筆活動を続けてきた人たちの作品が注目される年です。文子に惹かれ、のめり込む人が、実はかなり多かったということに不意に気づかされて驚くのが、この2026年という年かもしれません。文子の魅力とは? ミアに寄り添うように『両手にトカレフ』を読んだら、何か分るでしょうか。
 
【書誌情報】
『こどもとしょかん』第175号、2022年秋
展示期間中も借りられます。お手に取ってご覧ください。

2026年5月1日金曜日

汐崎順子編『子どもの読書を考える事典』朝倉書店、2023年

 児童文学の歴史をつくった重要な人物や出来事、記念碑的な作品やシリーズ、出版史において重要な役割を果たした出版社など、児童文学についての事典は、子どもの本にまつわるさまざまなことに解説を加え、私たちに理解を促してくれます。ちょっと調べものをするだけのつもりが、いつの間にか時間を忘れて読み浸っていた……などという人も多いのではないでしょうか? 『子どもの読書を考える事典』も、そうした事典のひとつです。

考える人たちの輪の中に

 この事典の執筆者は、研究者や翻訳家、図書館員、教員、編集者、作家といった、さまざまな立場から子どもの読書に関わりをもつ人たちです。そんな、子どもの読書について長年考えてきた人たちが、〈つくる〉、〈読む〉、〈つなぐ〉の3つのチームに分かれ、それぞれのテーマについて書いています。この小さなブログ記事では紹介しきれないくらいの、盛りだくさんの内容は、索引なども含めると全部で495ページあります。

 子どもと読書に関するさまざまな事柄を整理し、読者に伝えることに加え、子どもと読書について一緒に考えようよと誘う、『子どもの読書を考える事典』。まだ読んだことがないという方も、この事典を手に取って、考える人たちの輪の中に、入ってみませんか?

本を〈つくる〉、子どもの〈読む〉を見つめる、本と子どもを〈つなぐ〉

 先ほど「3つのチーム」と呼びましたが、『子どもの読書を考える事典』では、「子どもの本作りに関わってきた人たち」、「子どもの姿を知る人たち」、「子どもに本をつないできた人たち」(汐崎順子「はじめに」p.2)が執筆者となり、子どもの読書に関連するさまざまなトピックを〈つくる〉〈読む〉〈つなぐ〉の3つの観点に整理し、解説します。

 この本の中心となる関心事は、大人と異なる存在として見いだされる「子ども」と、その読書という行為。私たち大人の大半が「子どもにとって読書は良いことだ」と信じて疑わないけれど、子どもの読書について考えるというのは、見た目ほど単純な作業ではなく、常に何らかの不確かさが伴います。この本の冒頭、総論に当たる第1部は、この不確かさを言語化し、解きほぐします。

 総論も〈つくる〉〈読む〉〈つなぐ〉に分かれていますので、順に見ていきましょう。

 まず、〈つくる〉では、奥山恵(児童文学評論家)と水間千恵(白百合女子大学教授)のコンビが「『子ども』と『子どもの本』」と題して、「子ども」という概念の変遷と子どもの本の歴史について概説、21世紀の大人と子どもの関係性を人権の観点から素描します。「子ども」観と子どもの本の歴史は、時代や社会に左右されながら互いに関わり合って変化しており、子どもの本を〈つくる〉大人たちは、このような複雑さの中で仕事をしているのだということが分かります。

 次の〈読む〉は井元有里(元公共図書館員)・汐崎順子(慶應義塾大学・早稲田大学非常勤講師)の「『読書』と子ども」。読書とは何かという問いを、読書様式の変遷、言語や文字の習得、そして他者から言葉や物語を受け取る経験へと広げ、論じていきます。幼い頃は身近な大人から絵本を読み聞かせてもらっていたが、成長するに従い、徐々に一人読みへと移行したという人が多いと思いますが、子どもと読書を考えるにあたり、本を読むという行為の表層に囚われない、より本質的なものの見方が求められているようです。この章で、私たちは読書を根源的に捉え直すことを促されます。

 最後の〈つなぐ〉は村上恭子(学校司書)と渡邊春菜(学校法人桐朋学園桐朋小学校司書教諭)の「子どもと読書を『つなぐ』」という章題のもと、子どもと読書をつなぐ場としての図書館や、図書館行政に関わった人々、そして、関連する政策といったものの歴史を中心に概説します。公共図書館や学校図書館といった場は、貧富の差に関係なくその場所で生活をする人々に開かれています。図書館は〈つなぐ〉ことの意義を問い、考えるにはうってつけの場であることが分かります。

 〈つくる〉〈読む〉〈つなぐ〉の3つの側面からこの本の総論にあたる事柄を掴んだら、各論へ。大勢の人がそれぞれの立場から見て文章に綴った、子どもと読書のある風景が広がります。

大人たちのネットワーク

 子どもと読書をつなごうとする人たちの存在や、そんな人たちの取り組みについて教え、考えさせてくれるこの事典。でも、個人的には、この本を読んでいるうちに、子どもと読書をめぐる大人たちのネットワークが気になり始めてきました。

 子どもと読書をつなぐ様々な取り組みを続ける中で、大人もまた、自分と同じ志を持って取り組む別の大人たちとのつながりを手に入れることがあります。また、日々の取り組みの中で、そのようなつながりを切実に必要としています。

 子どもにとって読書が貴重な経験であるのと同じように、大人にとっても、自分とよく似た仲間の存在を知るということは貴重な経験です(だって、ほら、大人になってしまうと、友達や仲間を作るのって、難しいじゃないですか)。子どもたちのためにと頑張っているように見えて、実は私たち大人の方が、子どもたちからかけがえのない経験をもらっているのかもしれません。


【書誌情報】

汐崎順子編『子どもの読書を考える事典』朝倉書店、2023年

※本文中に記載した、執筆者のプロフィールは本書の「執筆者プロフィール」によるものです。

遠藤知恵子(センター助手)

GW期間 閉室のお知らせ

 児童文化研究センターは、5月2日(土)から6日(水)まで閉室とさせていただきます。
 ご不便をおかけいたしますが、なにとぞご了承くださいませ。