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児童書のノンフィクション分野の本は「知識の本」とも呼ばれます。科学技術は日々刷新されていますし、社会も刻々と変化しているため、知識の本も、基本的には新しいもののほうが、子どもたちにとって「役に立つ本」ということになります。しかし、杉山きく子「『知識の海へ』航海記」には、こんなことが書かれています。
『知識の海へ』の中には、その知識や情報は古いという本も収録しています。内容が最新でなくても、主題へのアプローチ方法、子どもの興味を惹きつける書き方、アイデアの独創性、著者の真実への探求心や自然への豊かな感性など、独自性や長所をもった本こそ、子どもと本にかかわる大人の方が手に取ってほしいし、そこから学べることもあると思います。(p.9)知識や情報は古びるけれど、その本がもつ独自性や長所はもっと長い時間を生き延びるという、含蓄ある言葉ですね。本はときに、100年前に生きた遠い国の人とも私たちを出会わせてくれます。
ところで、『こどもとしょかん』には毎号、書評が掲載されています。175号では、2022年夏に刊行された2冊、『クリシュナのつるぎ:インドのむかしばなし』と『両手にトカレフ』の書評を読むことができます。『クリシュナのつるぎ:インドのむかしばなし』の書評執筆者、清水千秋が「日本人には、あまり馴染みのないヒンドゥー神話の絵本」(p.23)と述べており、確かに、清水が紹介するあらすじを読むだけでも、既にとても新鮮です。清水の書評にはこの本が再刊された経緯(本書は1969年岩崎書店刊『クリシュナのつるぎ——インドの説話』の改訂版)も記されていて、この本への興味をさらにそそられます。
一方、『両手にトカレフ』は、現代イギリスが舞台のリアリズム作品です。薬物依存の母に悩まされながら小学生の弟チャーリーの面倒を見て暮らす、中学生のミアの物語です。ミアが直面する貧困や空腹、ミドルクラスの同級生たちとの間に感じる目に見えない壁や疎外感など、読んでいると胸が重くなるような場面が多いのですが、読書家のミアは、本の中の、いま自分がいるのとは「違う世界」(p.24)に逃げ込み、毎日を乗り切ろうとします。ミアがのめり込む本は、日本のアナキスト、金子文子(1903-1926)の自伝です。
書評執筆者の林直子は、ミアがフミコにのめり込んでいく様子を、「読み進むほどにフミコと自分が重なっていく。フミコと一体となって毎日への憤りをつのらせ、思いはやがて詩[ルビ:リリック]となってほとばしる」(p.24)と描写します。林が書いているように、ミアは文子と自分を重ね、(そして、林の書評にもう一つ付け加えるならば、ケイ・テンペストのラップのリリックを知ったことをきっかけに)自分自身の詩の言葉を結晶させ始めます。フミコ、すごいですね(そして、ケイ・テンペストもすごい)。
今年は文子の没後100年に当たる年。これまで文子についての調査研究や、地道な執筆活動を続けてきた人たちの作品が注目される年です。文子に惹かれ、のめり込む人が、実はかなり多かったということに不意に気づかされて驚くのが、この2026年という年かもしれません。文子の魅力とは? ミアに寄り添うように『両手にトカレフ』を読んだら、何か分るでしょうか。
『こどもとしょかん』第175号、2022年秋