2024年7月27日土曜日

夏期閉室のお知らせ

 児童文化研究センターは、7月28日(日)から9月19日(木)まで、閉室とさせていただきます。ご不便をおかけいたしますが、なにとぞご了承くださいませ。
 厳しい暑さが続いておりますので、くれぐれもご自愛ください。

ムナーリとレオーニ(44)

1958年② レオーニ


今回は、1958年のレオーニ。この年、レオーニは48歳になる。年譜を読もう。

1958年のレオーニは、前年に3か月間滞在していたインドを再び訪れ、さらにアジア各地をまわる。また、アメリカ国内の5都市の美術館で個展を開催し、その個展では実在する人物と想像上の人物が入り混じったシリーズ「想像肖像」の作品や、グラフィックデザインの仕事が紹介されたそうだ。

インドといえば、タラブックス(憧れの出版社です)を生んだ国ではありませんか!私も行ってみたい!などと、レオーニを羨ましく思いながら年譜を読むのだが、この年、後味の悪い出来事が起きている。

レオーニはブリュッセル万国博覧会のアメリカ館特設パヴィリオン「未完成の仕事」の企画・デザインを担当したのだが、会期の途中で閉鎖されてしまった。ことの経緯については、図録に収録された松岡希代子「絵本作家レオ・レオーニの誕生と『あおくんときいろちゃん』」に記されている。

松岡によると、レオーニが担当したパヴィリオンはメインパヴィリオンとは別に、タイム・ライフがスポンサーとなった小規模な特設パヴィリオンだった。そこでは、ソ連によるネガティヴ・プロパガンダに対抗するために、アメリカの国内問題を率直に取り上げる展示がなされた。展示は三部構成で、アメリカの抱える問題を伝える第1部「混沌」、どのような手段により問題解決に向かっているのかを展示する第2部「進捗状況」、そして、第3部の「望まれる未来」。

3部の最後に展示された1枚の写真が、アメリカ南部の一部議員の間で問題視されることとなり、一般公開から3週間後にパヴィリオンそのものが閉鎖に追い込まれたそうだ。その写真とは、次のようなもの。

 

それは、肌の色もさまざまな7人の子どもたちが手を繋いで輪になり、マザーグースの1つ「Ring-a-Ring-o’ Roses(薔薇の花輪を作ろう)」を歌う様子を捉えた、活き活きとした写真作品でした(p.172

 

 人種など関係なく、一緒に元気に遊ぶ子どもたちの姿。これこそ、まさに「望まれる未来」そのものなのでは?と言いたくなるが、当時はこうした写真を「問題視」することがまかり通っていたのだ。州によっては、有色人種の人々から人権を剥奪したり、差別を正当化したりするような内容の法律がまだ生きていた。当時のアメリカが公民権運動のただなかにあったことを思うと、この写真を問題視することの背景には、平等が怖くて仕方ない人たちが数多くいたということなのだろう。哀れなものだ。が、そんな人たちによる政治的圧力のせいで、精魂込めた展示が台無しにされてはたまったものではない。

 ところで、マザーグース「Ring-a-Ring-o’ Roses(薔薇の花輪を作ろう)」は、次のようなもの。

 

Ring-a-ring o’ roses,(バラの花輪を作ろう)

A pocket full of posies,(ポケットにいっぱいの花)

  A-tishoo! A-tishoo!(ハックション! ハックション!)

We all fall down.(さあみんな たおれちゃおう)

       原文は『マザー・グースのうた 第二集 ばらのはなわを つくろうよ』より。( )内は遠藤拙訳。日本語訳のお手本は谷川俊太郎。

 

『マザー・グースのうた 第二集 ばらのはなわを つくろうよ』谷川俊太郎訳、堀内誠一イラストレイション、草思社、1975年、後付4ページ ※Ring-a-ring o’ rosesの、oの前に“-”がないのは、原文ママです。

 

 途中の、くしゃみをするところで笑ってしまう。マザーグース、面白いな。

せっかくだから、日本語訳は谷川俊太郎訳を参考にして自分でつけてみた。かっこでくくったのがそれ。当たり前だけど、難しかった。でも面白い。

 

【書誌情報】

松岡希代子「絵本作家レオ・レオーニの誕生と『あおくんときいろちゃん』」『だれも知らないレオ・レオーニ』玄光社、2020年、pp.170-177

「レオ・レオーニ 年譜」『だれも知らないレオ・レオーニ』玄光社、2020年、pp.216-219 ※執筆担当者の表示なし

遠藤知恵子(センター助手)

2024年7月26日金曜日

ムナーリとレオーニ(43)

1958年① ムナーリ

 ブルーノ・ムナーリとレオ・レオーニの年表を読むこの不定期連載、1か月ぶりに再開しよう。

 久しぶりなので、今回と次回はひとりずつ、ゆっくりと読み進めていこう。まずはムナーリの年譜から。

 1958年、ムナーリは51歳になる。グループ展を4回と個展を2回開催し、ムナーリが関わった書籍も3冊出版されている。3冊の本のうちの1冊、『今日の芸術の記録 1958』には、《旅行のための彫刻》のテキストと三次元のオブジェが挿入されていたという。本に立体的なオブジェを挿入?此は如何に?と、図録のページをパラパラと繰って図版を探したが、見当たらなかった。だが、《旅行のための彫刻》ならいくつか載っている。厚紙を折ったり切ったりして立ち上がらせた立体作品である。折りたたんで持ち運ぶことができる。図版で見るムナーリの作品は、持ち運びできるサイズであるにもかかわらず、元気いっぱい、飛び出してくるように見えた。

面白そう、私もやってみたい!旅行のお供に、連れて行きたい!!と、ちょうど、お菓子の空き箱から切り出した厚紙がたくさんあったので、図版を見ながらカッターでキコキコと切れ目を入れ、見よう見まねで折り曲げてみた・・・が、どうにもこうにも、ちまちまとした、真面目くさった感じになってしまい、さまにならない。

(ブルーノ、難しい・・・難しいよ・・・。)心の中で《旅行のための彫刻》の作者に呼びかけながら、いじり過ぎてぐちゃぐちゃになってしまう前に手を止めた。

この年の7月、ムナーリはミラノの自宅で美術評論家の瀧口修造(1903-1979)の訪問を受ける。図録に収録された有福一郎「日本におけるブルーノ・ムナーリ」によると、この訪問で瀧口は《偏光の映写》や《折りたたみのできる彫刻》などの作品と出会ったそうだ(p.317)。それから2年後、先の有福によると、滝口が運営委員を務めていた東京の国立近代美術館、草月アートセンター、そして産経会館国際ホールでムナーリの《偏光の映写》の上映会が開催されることとなる。日本における本格的なブルーノ・ムナーリ受容は、このくらいの時期に始まったようだ。

 

【書誌情報】

奥田亜希子編「ブルーノ・ムナーリ年譜」『ブルーノ・ムナーリ』求龍堂、2018年、pp.342-357

有福一郎「日本におけるブルーノ・ムナーリ」『ブルーノ・ムナーリ』求龍堂、2018年、pp.316-323 ※執筆担当者の表示なし

遠藤知恵子(センター助手)

ムナーリの《旅行のための彫刻》を
真似して作ったオブジェはこちらです。


2024年7月25日木曜日

孔さんの作品

プレイバック! 去年のセンター報!!


 皆さま、いかがお過ごしでしょうか?
 おかげさまで、今年度も無事にセンター報を発行することができました。今年度よりセンター報は電子ジャーナルに生まれ変わり、白百合女子大学ウェブサイト内、児童文化研究センターのページにて公開中です。今後ともご愛読のほど、よろしくお願い申し上げます。

 さて、昨年度のセンター報に、「大学院生活動紹介(インタビュー)」といたしまして、博士課程(後期)在学中の孔阳新照(コウ ヨウシンチョウ)さんの創作活動をご紹介いたしました。そのときに紙幅の関係で記事に収まり切らなかった、孔さんのオリジナル作品を、このブログで紹介したいと思います。
 それでは参りましょう・・・プレイバック! 去年のセンター報!!

【絵本】

『不要和糯米团捉迷藏 もちだんごのかくれんぼ遊び』(3歳~)
孔阳新照 文  谷米(グミ) 絵

 もちだんごさんは塩卵(シェンタン)さんとかくれんぼするのが大好き。でも大変、もうすぐ塩卵さんに見つけられちゃう! どうしよう! もちだんごさんは色々な食べ物に変身して、塩卵さんとのかくれんぼをつづけます。

『99颗红豆去旅行 99粒のあずきちゃんのたび』(3歳~)
孔阳新照 文  谷米 絵

 99粒のあずきちゃんが汽車に乗って出発します。おや、駅に着くたびに、あずきちゃんの数がどんどん減って行くよ。どこに行ったんだろう…? あずきでできる中国のお菓子を見てみよう!

【長編作品】

『白露庄园之夏 白露荘園の夏』(小学校3年生以上)
孔阳新照 作 堇桐(キントン) 絵

 三年生の中国人の女の子璐璐(ロロ)さんが、カナダのおじさんの農場、白露荘園に誘われて、夏休みを過ごしにいきます。おどろいたことに、白露荘園の呼啸ヶ丘(嵐が丘)では風の世界を見ることができたり、牛たちが歌をきいて踊ったり、湖が星空の映画館になったり…。ふしぎな田園生活が開演!

 3冊とも文章は中国語で書かれています。
 児童文化研究センターに、孔さんよりご寄贈いただいたものがございますので、気になる作品がある方は、ぜひ、センター助手までお声がけください。お待ちしております!

2024年7月19日金曜日

第7回書評コンクール 猫村たたみ×熊沢健児トークセッション

猫村たたみ
(三文庫の守り猫)
熊沢健児
(ぬいぐるみ・名誉研究員)



猫村:皆さま、ご機嫌いかがかにゃ? センター三文庫の守り猫、猫村たたみですにゃ!

熊沢:どうも、熊沢健児です。第7回も、どうにか開催することができたね。

猫村:にゃ! 開催できて、本当に良かったのにゃ!

熊沢:コンクールにご参加くださった方々、本当にありがとうございました。

猫村:心よりお礼申し上げますにゃ!

熊沢:さあ、第7回コンクールの振り返りを始めよう。

猫村:トークセッション、始まり始まりにゃ~!

熊沢:最初の書評は、しあわせもりあわせさんの作品。『チャーリー・ブラウンなぜなんだい?——ともだちがおもい病気になったとき』の書評だね。登場人物やストーリーを、情報過多にならない範囲で丁寧に説明し、登場人物の言った大切な言葉、これは、ライナスの言葉だと思うけれど、しっかり印象に残る形で引用している。

猫村:にゃ! 書評なのにゃけど、私、この引用部分で心を掴まれてしまったのにゃ。ぐっとくる台詞にゃね~。そうして読む人の心をつかんだ上で、この絵本のもとににゃったアニメーション作品が生まれた経緯や、日本語訳をした人たちが医療従事者にゃったことが説明されるのにゃ。にゃから、私、思わず「にゃ~む」と唸りながら読んでしまったのにゃよ。日本語版と原書の違いを説明するところまで読んだとき、「原題を調べて両方とも読まにゃくっちゃ!」とググったのにゃ!

熊沢:うん。Why, Charlie Brown, why? だね。書評の構成が巧みなのは確かだけど、この絵本を本当に大事だと思っているからこそ、読んでいる人の気持ちを作品へと向かわせることができるんだよね。

猫村:そうなのにゃよ~。

熊沢:私も、もっと絵本への愛情を率直に表現するよう、しあわせもりあわせさんを見習わないと。

猫村:熊沢君が書く書評の持ち味は、紹介する書物への愛がちょっと屈折しているところなのにゃよ。「魅力を潰す」にゃなんていうような、一周まわってポジティブな言い回しで作品の良さを伝えるのにゃからね。今回の『蛇の棲む水たまり』も、とっても熊沢君らしい文章にゃと、私は思ったのにゃ!

熊沢:(ええと…これは、褒められているのだろうか?)あ、ありがとう…?

猫村:どういたしましてにゃ!

熊沢:(あ、褒めてくれてたんだ…。)君の書いた『ねずみじょうど』の書評も、君らしさ全開だったよ。君が、絵本をとても素直に楽しんでいることがよく分かった。

猫村:ありがとうにゃ!

熊沢:どういたしまして。

猫村:にゃにゃ! 今回は絶滅危惧ⅠB類(環境省レッドリスト)のゲンゴロウブナさんが参加しているのにゃ。大変にゃ!

熊沢:いやいや、魚の名前はペンネームだから。書いたのは人間だよ。

猫村:にゃにゃ、そうにゃの? 人間がかぼちゃ人の皆さんのように賢く暮らせるようになったら、本物のゲンゴロウブナさんたちも安心して暮らせるのかにゃ~。

熊沢:そうだね。環境問題は待ったなしだからね。私は、ゲンゴロウブナさんが絵本と一緒に紹介していたジェイン・ジェイコブズ関連資料2点のうち、映画の方は見たことがあったけれど、『アメリカ大都市の死と生』はまだ読んだことがなかった。日本語訳は出ていないものと、勝手に思い込んでいたよ。

猫村:熊沢君らしくにゃい勘違いにゃね~。

熊沢:そうかな? 私はけっこう、そそっかしい方だという自覚があるよ。でも、ともかく、こうして日本語訳の存在を知ることができて本当に良かったよ。

猫村:前から知っている作品とも、新たに出会い直すことができるのにゃ。熊沢君は、ジェイコブズと出会い直せたのにゃね。

熊沢:そうだね。今回、それがとても嬉しかった。

猫村:めでたしめでたしにゃ!

熊沢:いや、あともう一作品あるよ。ブックレットを紹介する、ほうじ茶の親友さんの書評が残っている。「めでたしめでたし」はその後でね。君はライブラリアンでもあるから、ほうじ茶の親友さんに共感する部分がたくさんあったのでは?

猫村:そうなのにゃ。私、ヒューインズさんとムーアさんには、一度、サインをもらいに行ったことがあるのにゃよ。

熊沢:え…? それは、あの…例の、妖怪トンネル(※)を通っていくという、あの時間旅行?

猫村:そうなのにゃ。むかし勤務していた妖怪図書館の同僚の皆さんと、研修旅行に行ったのにゃ。にゃけど、お二人とも神々しすぎて、とてもにゃないけれど、サインが欲しいにゃなんて言い出せにゃくて…私、英語は苦手にゃし…。

熊沢:いつも好奇心のまま目標に突入していく君が、珍しいね。

猫村:自分でも、私らしくにゃかったと思うのにゃ…。

熊沢:たまにはそういうこともあるよ。

猫村:にゃけどね、それくらい憧れるロールモデルがいるってこと、私、とても幸せなのにゃ。

熊沢:うん。自分がこうなりたいと思えるようなロールモデルがいるって、幸せなことだね。

猫村:ほうじ茶の親友さんは、学校司書や図書館の児童サービス担当として働いている方々を応援したかったのにゃね。女性の多い職場にゃし。

熊沢:そうだね。彼女たちは本が大好きな子どもたちにとって、かけがえのないロールモデルだよ。子どもは社会の宝なんてよく言われることだけれど、彼女たちだって宝だよ。

猫村:そうなのにゃ! 司書さんたちだけにゃなくて、生まれたときからみんな宝なのにゃ。宝物を探しに旅に出る必要なんてないのにゃ!

熊沢:うん。現代の宝を見つけたところで、そろそろ……

猫村:めでたしめでたし!

熊沢:最後までお読みくださって、ありがとうございました。

猫村:ありがとうございましたにゃ!

熊沢:第7回書評コンクールの振り返り、これにてお開きにいたします。

猫村:これからも書評コンクールが続いていくよう、がんばりますにゃ!

熊沢:皆さま、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

猫村:よろしくお願いいたしますにゃ~。


皆さま、ありがとうございました。

※猫村たたみは現代を生きる妖怪(猫又)です。妖怪トンネルを通って時間旅行をすることを趣味としております。

第7回書評コンクール 結果発表

 第7回書評コンクールにご参加いただきまして、誠にありがとうございました。
 投票結果を発表いたします。

書評番号1 しあわせもりあわせさん(構成員) 8票
書評番号2 熊沢健児さん(児童文化研究センター名誉研究員) 1票
書評番号3 猫村たたみさん(センター三文庫の守り猫) 0票
書評番号4 ゲンゴロウブナさん(教職員) 0票
書評番号5 ほうじ茶の親友さん(教職員) 2票

 第7回書評コンクール最優秀賞は、しあわせもりあわせさんに決定いたしました。
 おめでとうございます!

リレー展示「本について話そう」第8回(最終回)

 2024年度のリレー展示、テーマは「児童文学・児童文化を初めて学ぶ人が読んでおきたい基本図書」です。最終回となる第8回は、現代絵本の研究書です。

谷本誠剛・灰島かり 編

絵本をひらく:現代絵本の研究

人文書院 2006年

本のタイトルをクリックすると、リンク先のキャプションを読むことができます。


 夏の訪れとともに始まるオープンキャンパスの季節を意識して、本を選びました。

 児童文化研究センター入り口の、メールボックスの上に展示しています。貸し出しをすることもできますので、どうぞお手に取ってご覧ください。

2024年7月12日金曜日

リレー展示「本について話そう」第7回

 2024年度のリレー展示、テーマは「児童文学・児童文化を初めて学ぶ人が読んでおきたい基本図書」です。第7回は、日本の絵本史です。


鳥越信 編 『はじめて学ぶ 日本の絵本史』全3巻

ミネルヴァ書房、2001年(第1巻)/2002年(第2巻・第3巻)

本のタイトルをクリックすると、リンク先のキャプションを読むことができます。


 夏の訪れとともに始まるオープンキャンパスの季節を意識して、本を選びました。

 児童文化研究センター入り口の、メールボックスの上に展示しています。貸し出しをすることもできますので、どうぞお手に取ってご覧ください。

2024年7月5日金曜日

第7回書評コンクール 応募作品を公開します

 第7回書評コンクールの応募作品を公開いたします。今回は5本のご応募がありました。ご応募、ありがとうございます。


【書評番号1】

『チャーリー・ブラウンなぜなんだい?——ともだちがおもい病気になったとき』チャールズ・M・シュルツ作、細谷亮太訳、岩崎書店、1991年


【書評番号2】

『蛇の棲む水たまり』梨木香歩 文 鹿児島睦 絵 ブルーシープ 2023年


【書評番号3】

『ねずみじょうど』瀬田貞二 再話 丸木位里 画 福音館書店 1967年


【書評番号4】

『かぼちゃ人類学入門』河原田徹 さく 福音館書店 1994年


【書評番号5】

『児童図書館の先駆者たち アメリカ・日本』東京子ども図書館、2021年


 優秀作品は投票で決定いたします。


 投票方法:GoogleForms (クリックすると投票フォームが開きます)


 投票できる人:児童文化研究センター構成員と本学学生


 投票締め切り:2024年7月18日(木)


 結果発表:7月19日(金)


 投票は書評の執筆者名を伏せた状態で行い、結果発表のときに各書評の執筆者を発表いたします。


 ぜひご参加ください!

【書評番号1】チャールズ・M・シュルツ作、細谷亮太訳『チャーリー・ブラウンなぜなんだい?——ともだちがおもい病気になったとき』、岩崎書店、1991年

 いつも一緒に遊んでいた大切な友達が重い病気になったら、子どもの受けるショックはいかばかりだろう。ライナス——お気に入りの毛布がないと安心できない、「ライナスの毛布」のあのライナス——は、友達のジャニスが白血病で入院してしまい、味わったことのない心の痛みを感じる。

 ライナスの周りには、その痛みに寄り添ってくれる親友のチャーリー・ブラウンだけでなく、痛みをさらに強めるような子どもたちもいる。さわったら病気がうつると言ってくる姉のルーシーや、化学療法で髪が抜けたジャニスをからかういじめっ子、退院したジャニスが先生にえこひいきされていると陰口を叩くクラスメイトたち。そして、ジャニスが病気になってから、自分たちはいつもなにか放っておかれている感じがすると言う、ジャニスのきょうだいたち。

 無理解による敵意にさらされるジャニスを、ライナスはいつもかばい、守る。

  「ジャニスは、なにかわるいことをしたから、がんになったんじゃないよ。
  たまたま病気になった、ただそれだけのことだよ」

 この作品は、スヌーピーが登場する漫画『ピーナッツ』の作者シュルツ氏の元に届いた、小児病院の看護師からの手紙がきっかけで生まれた。「がんとたたかっている幼い子どもたちのために、スヌーピーと仲間たちの力をかしてほしいのです」——その願いに応えてテレビアニメが作られ、次に作られたのが本作、絵本である。

 アメリカでテレビアニメ版を観た日本人看護師たちが感激し、日本にいる小児がんの専門医に手紙で教え、絵本版を送ったことで、本作の日本語版が出版された。日本語への翻訳は、その小児科医が行っている。原書も日本語版も、小児がんとたたかう子どもたちを支えてきた医療従事者たちの働きかけで誕生したのだ。

 日本語版ではわかりづらいが、原書では、原画の紙の凹凸による水彩の微妙な濃淡が、そのままくっきりと印刷されている。アニメのフィルムを使ってフィルムコミックにするのではなく、自ら描き下ろした絵で絵本に仕上げたところに、シュルツ氏の熱い思いが感じられる。漫画ではなく絵本の形で、彼は健康な子にも病気の子にも、広く届け、伝えたかったのだ。つらい思いをしている子の気持ちを想像し、わかろうとすることの大切さを。そして、重い病気であることにうしろめたさを感じる必要など、まるでないのだということを。

 重いテーマの作品だが、どんなときも自由気ままにふるまうスヌーピーが、明るさと笑いをもたらしてくれている。

【書評番号2】『蛇の棲む水たまり』 梨木香歩 文 鹿児島睦 絵 ブルーシープ 2023年

 モスグリーンの分厚い表紙をまるくくり抜いたなかに、黒い地に描かれた植物の輪が見える。凝ったデザインに惹きつけられて手に取ると、手のひらよりやや大きいくらいのサイズに親しみ深さを覚える。

 黒い見返しと表題紙の淡い青磁色のコントラストにくらくらしながらページを捲れば、物語の始まりの2行を印字するページはオフホワイト。文章が始まる前に余白をたっぷり取って、「さあ、次のページをどうぞ」と促すかのようである。促されるままにさらにページを捲ると、蛇の棲む水たまりと出会う。物語はこうだ:群れから離れた馬が見つけた、蛇の棲む水たまりのなかには、もう一つの世界がある。この水たまりにやってきた動物が水たまりに飛び込むと、別の生き物に変身する。馬はこの変身の様子を見、やがて、自分も水たまりに飛び込んでみる。そして、変身する。

 文章と絵とは截然とわかたれており、物語の冒頭と終わりを除き、言葉のページは黒地に淡い青色の文字が浮き上がり、絵のページは白地に植物や生き物を組み合わせた、図案化された絵がプリントされている。

 出版社のホームページによると、2023年6月から2024年6月にかけて各地で開催されている展覧会「鹿児島睦 まいにち」展に向けてこの絵本は作られた。陶芸家の鹿児島睦(かごしま まこと)氏が制作した新作の器を見て物語を作ることを依頼された梨木香歩氏が、200点の器を見てテキストを作り、そのテキストに合わせて鹿児島氏が新たに1枚の器を制作したという。

 この絵本が焼き物の器の写真を“絵”としていることを確認した上で、もう一度眺めてみると、真上からのアングルで撮影し、敢えて立体感のない画像にしているためなのだろうが、ぼーっと眺めているだけだとやはり“絵”にしか見えない。その平面的な見た目は、実は、器にとって不自然なものである。

 器の魅力はその立体的かつ触覚的な造形美、つまり、使っているときに掌に感じる心地よさに負うているところが大きいはずなのだが、この絵本ではその三次元の魅力を敢えて潰し、二次元のものとして扱う。本来の魅力を犠牲にする代わりに平面性を獲得した器は、一つ一つに施された絵付けの魅力はそのままに、あくまでも絵本の一要素として働き、他の要素、たとえばテキストやページを順に繰っていったときの絵本全体の構成といったものと調和している。

 奇妙にストイックな、しかし心惹かれる一冊である。


参考URL

「絵本「蛇の棲む水たまり」」BlueSheepホームページ

https://bluesheep.jp/projects/mizutamari/ (閲覧日2024/6/4)

【書評番号3】『ねずみじょうど』瀬田貞二 再話 丸木位里 画 福音館書店 1967年

 「ねずみのじょうど ねこさえ いなけりゃ このよは ごくらく とんとん」(p.13)

 あねさんねずみたちが歌う、この歌をきいたときほどショックだったことはないのにゃよ! 私、この絵本に出てくるねずみさんたちが可愛くてとっても好きなのにゃ。そもそもねずみさんたちは私のお友達にゃ。食べたりなんか、しないのにゃよ~!

 貧乏なおじいさんが、おばあさんにこしらえてもらったそばもち(そば粉を練って作ったお餅にゃ)を、地面の穴に落としてしまうことから事件は始まるのにゃけど、その穴はねずみさんたちの巣穴だったのにゃ! おじいさんが落としてくれた、おばあさんの美味しいそばもちのお礼に、ねずみさんがおじいさんを巣穴にご招待するのにゃよ。めくるめくアンダーグラウンド(土の下の巣穴にゃからね)の世界へようこそ!なのにゃ。

 お土産までもらって、おじいさんは嬉しい気持ちでおばあさんのところへ帰るのにゃよ。すると、隣に住んでいるめくされじいさんがやってきて…にゃっ、にゃにゃっ! いけないいけない。これ以上言うとネタバレになっちゃうのにゃ。昔話にゃから、大人の皆さまはなんとな~く想像がつくと思うのにゃけど、最後のオチは言わずに、お楽しみに取っておくのにゃ!

 再話は安定の瀬田貞二さんにゃ。絵を描いたのは丸木位里さんにゃよ。この絵本が出版された頃は、丸木さんは俊さん(赤松俊子さん)と共同制作で〈原爆の図〉のシリーズを描き続けていたのにゃ。日本画の手法をマスターしていた丸木さん。若い頃は、ヨーロッパ(アンドレ・ブルトンの「シュルレアリスム宣言」にゃ!)で起こった前衛芸術運動、シュルレアリスムに学んで実験的な方法をたくさん試していたのにゃって。『ねずみじょうど』では、大胆な滲みにゃとか、かすれにゃとかいったものを巧みに使って、ちょっと不気味な暗がりの中に息づいているねずみさんたちのおうちを表現しているのにゃ。ねずみさんたちの浄土(極楽)って、薄暗いのにゃね~。

【書評番号4】『かぼちゃ人類学入門』川原田徹 さく 福音館書店 1994年

 珍しい島もあったものである。でっかいかぼちゃなのである。いったいどのようにしてか分からないが、植物であるかぼちゃのなかに、虫や魚やカエルや鳥やけものや人のいのちが芽生えたのだという。

 このかぼちゃ島に起源をもつかぼちゃ人は、かぼちゃ島で一生を過ごす。何しろ、かぼちゃ島はそれ自体で豊かな資源なのである。かぼちゃ島は生きており、かぼちゃ島のかぼちゃ肉は食べられる。パンやケーキも作れるし、かぼちゃ酒も醸造することができる。

 この豊富な資源に甘え切っていた、かつてのかぼちゃ人は、かぼちゃ肉やその加工品の輸出によって金儲けをし、かぼちゃ島をほりつくし、枯死寸前にまで追い込んだことがある。だが、かぼちゃ島の限界を知ったかぼちゃ人たちは、かぼちゃ島のめぐみを大切に使うことに決め、かぼちゃ島をよみがえらせることに成功した。そして、現在のかぼちゃ島がある。

 本書によれば、かぼちゃ島のかぼちゃ人は、のろまで、とんまなのだという。しかし、とんまは、あほうと似て非なるものである。たとえば、かぼちゃ島の都市計画は見事なのである。本書の20~21ページに記された、かぼちゃ人の町を見ていただきたい。テキストには、「せまい路地がまがりくねって、迷路みたいである」(20ページ)とある。共同の井戸やトイレもあり、水汲みのついでにおしゃべり(テキストの言葉を借りれば「井戸端会議」)、お年寄りが外でひなたぼっこを楽しめる。みんなてんでに好きなことをしているように見えて、人と人との距離感がものすごく近いからコミュニケーションが密なのである。

 かぼちゃ人の町は、ジェイン・ジェイコブズ(1916-2006)の『アメリカ大都市の死と生』(1961年)に記された、都市の多様性を作る四つの条件を見事に満たしている。嘘だと思ったら、鹿島出版会から出ている邦訳(1977年)を読むか、あるいは、映画『ジェイン・ジェイコブズ ニューヨーク都市計画革命』(2016年、アメリカ)を観るかして、ぜひ確認していただきたい。雑駁で、わいわいしているからこそ、多様性を保ちつつ何となくそれらしくまとまることができるのである。

 のろまで、とんまなかぼちゃ人の、それは見事な知恵なのである。そう、本書は知恵の詰まった書物なのである。

【書評番号5】東京子ども図書館編纂『児童図書館の先駆者たち アメリカ・日本』東京子ども図書館、2021年

 正味100ページに満たないブックレットです。Sybille A. Jaguschの論文“First Among Equals: Caroline M. Hewins and Anne C. Moore. Foundations of Library Work with Children”(1990)を紹介する張替惠子「アメリカ児童図書館の先達 ヤグッシュさんの論文から」と日本の図書館界に目を向けた内藤直子・加藤節子「日本児童図書館の黎明期」を収録しています。それぞれ、『こどもとしょかん』77号(1998年春)と78号(1998年夏)からの再録です。

 「アメリカ児童図書館の先達 ヤグッシュさんの論文から」では、二人の図書館員、キャロライン・ヒューインズ(1846-1926)とアン・キャロル・ムーア(1871-1961)が顔写真入りで紹介され、彼女たちの経歴や業績についてかいつまんで説明しています。

 ヒューインズもムーアも19世紀から20世紀初頭に活躍した人たちなのですが、ブックリスト作成や学校との連携といった、現代の図書館員の仕事内容とあまり変わらないことがこの時代に既に行われていたことに、驚きました。当時の取り組みが先駆的かつ実践的だったことが分かります。

 でも、次のくだりには、思わず苦笑してしまいました。


 さらに、児童サービス部門に入る若い女性には、成人部門の同僚より活躍が許されました。男性図書館員が自ら子ども相手の仕事を手がけることはなく“かよわき”女性たちが児童室にこもっていることを歓迎したために、児童図書館員は争いのない領地に陣取り、才能を開花させることができたのです。(p.11)


 彼女たちが先駆的な取り組みをすることができたのは、男性図書館員が児童サービスを自分たちの仕事と思っていなかったから…? それでも、「日本児童図書館の黎明期」のなかで顔写真とともに紹介されている重要人物が全員男性であることを思えば、自分の名前と顔を残すことができた女性図書館員が「いた」ということが、どれだけすごいことか思い知ることができます。

 ヒューインズやムーアが現代の児童サービス担当者・学校司書のロールモデルとなる存在であるのと同じように、現在、さまざまな図書館で子どもたちを相手に日々働いている女性たちは、子どもたちにとってのロールモデルになっています。このブックレットを読みながら、現代日本におけるヒューインズたち、あるいはムーアたちが幸せに活躍できる環境が整うように、祈らずにはいられなくなりました。


2024/7/24 人名の誤記を訂正いたしました。

(誤)アン・キャロライン・ムーア → (正)アン・キャロル・ムーア

リレー展示「本について話そう」第6回

 2024年度のリレー展示、テーマは「児童文学・児童文化を初めて学ぶ人が読んでおきたい基本図書」です。6冊目の本はこちらです。

マックス・リュティ 著
小澤俊夫 訳 岩崎美術社 1969年
本のタイトルをクリックすると、リンク先のキャプションを読むことができます。

 夏の訪れとともに始まるオープンキャンパスの季節を意識して、本を選びました。
 児童文化研究センター入り口の、メールボックスの上に展示しています。貸し出しをすることもできますので、どうぞお手に取ってご覧ください。