2023年5月12日金曜日

ムナーリとレオーニ(31)

1948

 

 今回も、ムナーリとレオーニ、それぞれの年譜を読んでいこう。

 1948年、ムナーリは、春にニューヨークで個展を開催。船で輸送した「《役に立たない機械》などが破損し、ロメオ・トニネッリの事務所での小規模な展示」(p.345)になったとある。しかし、作品の破損という災難はあったけれど、3つの個展を開催し、5つのグループ展に参加。おもにミラノでコンスタントに作品発表を続けている。

 ムナーリの年譜をレオーニのそれと比べたとき特に印象的なのは、やはり芸術運動への参加だ。前回、1947年の年譜を読んだときにはあまり注目していなかったのだけれど、この年にミラノで開催された具体芸術の展覧会「抽象芸術・具体芸術」に、ムナーリも参加していた。この展覧会には、マックス・ビル(1908-1994。スイス生まれの画家・彫刻家・デザイナー)や、ジャン・アルプ(1887-1966。シュトラスブルク出身。画家・彫刻家・詩人)も出品していたそうだ。194812月には、ムナーリはアタナージオ・ソルダーティ(1896-1953)やジッロ・ドルフレス(1910-2018)らとともに、「MACMovimento Arte Concreta/具体芸術運動)」設立に加わっている。未来派の一員だったころ、宣言に署名したといったたぐいの記載をたまに目にしたけれど(例えば、1941年の「未来派原始宣言」第2版)、戦後も、ムナーリはグループでの芸術運動に参加していた。一方のレオーニの年譜には、1932年に未来派の作品展に参加したことが記されていたけれど、ムナーリのように芸術運動に参加したことを示す記述は、ほかに見当たらない。

 ところで、レオーニの1948年は節目の年になった。N.W.エイヤー(フィラデルフィアの大手広告代理店)を退社。勤め人としての生活に終止符を打った。

 

【書誌情報】

奥田亜希子編「ブルーノ・ムナーリ年譜」『ブルーノ・ムナーリ』求龍堂、2018年、pp.342-357

「レオ・レオーニ 年譜」『だれも知らないレオ・レオーニ』玄光社、2020年、pp.216-219 ※執筆担当者の表示なし


遠藤知恵子(センター助手)