2023年5月26日金曜日

【書評番号5】小林エリカ『光の子ども』第1部、全3巻、リトルモア、2013年/2016年/2019年


 1896年、日本では北海道から宮城にかけて大地震と津波が襲い(明治三陸地震津波)、ヨーロッパではヴィルヘルム・コンラート・レントゲンが発見したX線の存在に人々が夢中になった。それから115年後の日本に、このマンガの主人公、光が生まれる。東日本大震災と津波による福島第一原子力発電所の事故が起きた年に生まれた光に、母親は「ほんとうに、あなたは光みたいだったの」(第1巻、11ページ)と言う。光には「光」が見えた。

 「光」を帯びた雨が街に降り注ぐある日、光は猫のエルヴィンを追って1900年のパリに行き、マリ・キュリーとピエール・キュリーの娘、イレーヌと出会う。このときから、現在と過去、日本とヨーロッパを行き来して「光」を追う旅が始まる。

 12年前の震災を覚えている私たちは、光が見る「光」とはおそらく放射能のことだとすぐ気づくことができるのだが、物語のいわゆる設定に関する言及が極端に少ないため確かなことは言えない。この作品の作者が読者に示すものはおもに事柄の断片、歴史的事実に関する説明や図版、図表といったものであって、それらの資料の合間を縫うように、光と「光」の物語が進み、100年前を生きた実在の人々の物語が同時並行で進んでいく。それら、いくつもの物語を一冊の本の中に「まとめ上げよう」とする意思は、この作品からは感じ取れない…というより、「まとめてたまるか」という反骨精神すら、あるような気がする。複雑なことを一つの大きな物語に統合するような野蛮な真似はせず、十分に複雑であるように物語る。

 同じ時代に、異なる地域でどんなことが起きていたのか。その時代・その地域を生きた人々はどんな一生を送ったのか。世界を覆う大きな出来事である戦争や科学の進歩に、彼ら・彼女ら、一人一人、どんな意味を見出していたのか。1900年代初頭の人々は、存在を確認されたばかりの放射性物質が人類にもたらすかも知れない「進歩」に胸を躍らせ、放射能の危険性を理解している光はキュリーらの研究をなんとかして止めたいと願う。二つの願いは物語の中でぶつかり合う。

 物語の中で放射能を暗示する「光」にも、二面性がある。作者の小林は「光」に「過去の時間を伝えてくれる」(第1巻、12ページ)という能力を与えている。物語の登場人物を死に至らしめるかも知れない危険な「光」に、この物語のプロットを可能にする重要な役割を持たせているのだ。高村光太郎や吉本隆明、あるいは手塚治虫ならまだしも、21世紀の作家がこのような「光」のメタファーを用いて物語を書くとは。レントゲン博士やキュリー夫妻による研究は後続の研究者たちに引き継がれ、医療やエネルギー、そして軍事に「応用」された。その推移は私たちも知っている通りであるが、小林は既に知っていることを新鮮な物語にして語り起こしてくれる。第2部はどうなるのか、続きが気になる。



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