2022年6月1日水曜日

【書評番号5】『無垢の眼 稲田萌子 枝松直子 成瀬真紀子 宮田佳代子』大谷芳久・丹尾安典 図録編集、早稲田大学會津八一記念博物館、2008年

 

柔らかな宝石——そう呼びたくなるような、濁りのない色彩の作品図版が収録されている。この本は2008年に早稲田大学會津八一記念博物館で開催された「無垢の眼」展の図録である。この展覧会の出品作家は稲田萌子さん・枝松直子さん・成瀬麻紀子さん・宮田佳代子さんの四人。稲田さん・枝松さん・宮田さんはともに町田養護学校を卒業したあと、「クラフト工房 ラ・まの」のメンバーとなっており、成瀬さんは高校を卒業後、詩集のための絵を描いたり、画集を刊行したりしている。(美大卒ではないという意味で)アカデミックな美術教育を受けていない作者の展覧会という点で、いわゆるアール・ブリュットと呼ばれるカテゴリーに分類される展覧会なのだろうけれど、ここに収められた作品を「無垢」と形容するには少しためらいを感じる。

稲田さんの作品はどれも〈無題〉とある。水彩だけで仕上げたものは柔らかに滲む色の面がさまざまなものの形に見えて、見る者に空想を誘う。水彩と貼り絵を併用したものは、とりどりの色彩のかけらが画面にひしめき、ひそひそ話をしているようでもある。枝松さんの作品は布を染料で染めたもので、〈火の鳥がとんでくる〉や〈太陽が光って月にかわってくる〉などのタイトルがついている。オーロラのような染料の滲みが稲田さんの水彩と同じく空想を誘うのだけれど、言葉が添えられることで、その連想は物語へと向かっていく。だから画面は、抽象的な色面が具象へと変容する直前をすっと掬い上げたような感じがする。宮田さんの作品は、たとえば〈イギリス夕日の海〉の丹念なドローイングに引き込まれる。水彩絵の具の淡い色が、夕刻の潮風を表しているのだろうか、よく見ると縦のしましまになっていて、ちょっと可愛い。成瀬さんは水彩絵の具やクレパスを使った具象的な作品が収録されている。水彩画の〈虹のなかにみつけた〉は、淡い色の帯のなかに赤と緑の小さな植物が描かれる。若い樹木に見えるのだが、その二つからは金色のつぶつぶ(光?)が立ち昇っていく。何か素敵な予感を抱かせてくれるつぶつぶだ。

これらの作品はいずれも、作者の視覚的な経験や、物語の受容や、日々の思索の足跡として、そこにあるのだろう。そして、ドローイングをする手の動きはその一つひとつが造形的な経験そのものだ。手を動かし描くという行為の経験を積み重ねて、作品は出来上がる。この図録に収められた作品を「無垢」と形容することをためらってしまう理由は、そこなのだ。

ウィリアム・ブレイクは詩集Song of Innocence and Experienceで、「無垢」と「経験」とを対置した。「無垢」の反対側に「経験」があり、一人の創作者として立つとき、人はもう無垢ではいられない。この本に収録された作品の濁りのなさは、創作者としての経験に裏打ちされたもの。それは、無垢であることと同じくらい尊いことなのではないのだろうか。



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