2022年5月26日木曜日

ムナーリとレオーニ(21)

1938

 
 『だれも知らないレオ・レオーニ』の年譜には、1937年の出来事の記載がない。だから、今回は一年とばして1938年の年譜を読む。
 年譜には、この年、「ナチス・ドイツがチェコスロバキアのズデーテン地方に侵入」(p.217)とある。チェコスロバキアは当時の国名で、ズデーテン地方は現在のチェコ共和国の領土である。また、この1938年は、イタリアで人種法が公布された年であることも、記されている。
 レオーニの父ルイスは、「スペイン系ユダヤ人セファルディムの出身」(p.216)。レオーニとその家族にとって、ヨーロッパは安心できる場所ではなくなっていた。そこで、「アメリカ入国を視野に、家族と共にスイスに移住」(p.217)。レオーニの次男パオロはこの年の年末にスイスで誕生したとある。レオーニは1929年にスイスのチューリッヒ大学経済学部の聴講生をしていたから、全く知らない国というわけではなかっただろうけれど、長男ルイスはまだ6歳、次男パオロは生まれたて。出産して間もない妻のノーラはどれほど大変だっただろうかと、想像するとなんだか気が重くなる。
 レオーニは2年前の1936年にデザイン事務所「レオ・レオーニ スタジオ」を立ち上げたばかりだったけれど、そうした素敵な出来事が、すごく遠いことのように思えてしまった。
 
【書誌情報】
「レオ・レオーニ 年譜」『だれも知らないレオ・レオーニ』玄光社、2020年、pp.216-219 ※執筆担当者の表示なし

遠藤知恵子(センター助手)