1936①
今回も引き続き、レオーニの年譜を読んでいきたい。
ジェノヴァ大学を卒業した翌年の1936年、レオーニは製菓会社のモッタを退職し、デザイン事務所「レオ・レオーニ
スタジオ」を設立している。場所はミラノ市内のアパート。この時期すでに、ムナーリが同じくミラノで、リッカルド・リカスと共同のデザイン事務所「ストゥディオR+M」を立ち上げて活動している。(ところで、このデザイン事務所の立ち上げ時期について、昨年11月25日のブログ記事で1931年と記したのだけれど、インターネットで入手できる情報では1930年となっている。私が年譜を読み間違えてしまったのか…と、恐る恐る年譜を見返すのだが、やはり1931年のところに事務所立ち上げのことが書いてある)。
『だれも知らないレオ・レオーニ』展図録には太田岳人さんの「特別寄稿 両大戦間期のイタリアのメディア文化」(pp.36-37)が収録されており、それによると、1927年の国勢調査で確認された620の出版社のうち、197社がミラノを中心とするロンバルディア州にあったとのことである。太田さんのこのテクストによれば、日本の東京のような一極集中ではなかったが、1930年代のイタリアにおける本格的なメディア文化の定着を先導した出版社の多くがミラノを拠点としていたという。そんなすごいところで、ムナーリもレオーニもグラフィック・デザインの仕事をしていたのである。この特別寄稿のページに掲載された、グラフィック・デザイン専門誌の表紙画像3種を眺めながら、「いいなぁ」と溜息が出てしまう。
1936年頃のレオーニの作品についてだが、図録には、「1936年頃以降」という制作時期とともに、「レオ・レオーニ スタジオ」の主要クライアントだった羊毛製造会社ロッシのポスター、パンフレット、広告、商品ラベル、商品タグなどの図版が収録されている。どれもお洒落で、一本筋が通っている。
【書誌情報】
「レオ・レオーニ 年譜」『だれも知らないレオ・レオーニ』玄光社、2020年、pp.216-219 ※執筆担当者の表示なし
ムナーリとリカスの「ストゥディオR+M」の設立時期について確認したインターネット上の情報源は、①「MunArt」の「Biographical Notes」のページです。また、②太田岳人「『ムナーリの機械』の起源: 漫画文化との関連を中心に」(『イタリア学会誌』第66号、2016年、pp.1-20)も参考にしました(最終閲覧日2022/4/13)。
① https://www.munart.org/index.php?p=1 英語で書かれた年譜のページです。
② https://ci.nii.ac.jp/naid/130006248488 こちらはCiniiの論文情報です。J-StageでPDFをダウンロードし、参照しました。
遠藤知恵子(センター助手)