2020年11月6日金曜日

【書評】ヒグチユウコ『すきになったら』ブロンズ新社、2016年

 表紙に描かれた少女の眼差しに引き込まれ、思わずこの絵本を手にとってしまった。表紙を開くと、見返しの緑色が深く、美しい。

誰かを好きになったときに起こる心の変化を、少女のモノローグで淡々と語る。少女の物思いをそのまま絵本にしたような作品だ。

好きになったら、相手のことをもっと知りたくなるし、自分のことも知ってもらいたくなる。これは誰にでも起こりうることである。なにか特別な、変わったことを言っているわけではない。そして語る言葉はシンプルである。「好き」という感情を知るたびに心が柔らかになっていくさまを、精確な描線で描かれた、少女の表情ひとつひとつにつぶさに見て取ることができる。

誰かを好きになるということは、相手の弱さや苦しみをも暖かく包み込もうとするということ。それは痛みを伴うことなのかもしれない。だが、好きという感情を知り、柔らかくひらかれた心には、身の回りの風景が今まで知らなかったような相貌を見せ始める。

風景が変わったのではなく見る目が変わったのだが、目にするものひとつひとつの豊かな輝きは、人を愛することを知った少女への、この世界からのプレゼントなのではないだろうか。

少女の言葉に合わせてページを繰るたび、場面ごとの絵の美しさにはっとさせられる。話そのものは動きが少ないが、絵の動線は確かで、場面の移り変わりが自然だ。全てを描き切らない、控えめな絵を見つめていると、余白が呼吸をしているような感覚に囚われる。

 優しさと静かな狂気とを湛え、「わたし」と「あなた」ふたりだけの世界を描き出す絵本である。

この書評は、2020年夏に開催された書評コンクールの応募作品です(書評番号2)