2026年6月12日金曜日

ミニ展示 6月12日~6月18日

茨木のり子生誕100

詩人、茨木のり子は1926612日生まれ。ご存命でしたら、本日、2026612日は100回目のお誕生日です。茨木のり子というと、『自分の感受性くらい』(1977年)や『倚りかからず』(1999年)といった茨木の後半生における代表的な詩集とともに、谷川俊太郎が撮影した肖像写真を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。

【展示本】

『韓国子守唄 チェジャン歌』

ペク・チャンウ 詩、ハン・ジヒ 絵、大竹聖美 訳

古今社、2003

 

『論文集 韓国キリスト教児童文学資料集』

大竹聖美 責任編集

東京純心大学こども文化研究センター、20162

 

茨木のり子は韓国語の詩の翻訳でも知られています。このことにちなんで、今回の展示本は『韓国子守唄 チェジャン歌』(ペク・チャンウ詩、ハン・ジヒ絵、大竹聖美訳、古今社、2003年)と『論文集 韓国キリスト教児童文学資料集』(大竹聖美責任編集、東京純心大学こども文化研究センター、20162月)の2冊です。翻訳や責任編集を務めた大竹聖美先生は、本学大学院児童文化専攻のOGで東京純心大学教授、本学でも韓国児童文学の授業を担当されています。

『韓国子守唄 チェジャン歌』は韓国に伝承されてきた子守歌をそのまま、あるいは現代語に直して紹介する絵本です。『論文集 韓国キリスト教児童文学資料集』には、茨木のり子が好きだった尹東柱(ユン・ドンジュ)の詩のうち、「おねしょの地図」「えんとつ」「こおろぎと ぼくと」が対訳で紹介されています。

茨木がハングルの勉強を始めたのは50歳の頃です。49歳になる年、夫の三浦安信と死別し、翌年からハングルを学び始めました。彼女の韓国語学習の直接の理由は、夫を失った悲しみから立ち直るため勉強にのめり込む必要があったことだと言えそうですが、それよりずっと前、少女の頃に『朝鮮民謡選』(金素雲訳編、岩波文庫、1933年)を愛読していたと、茨木はエッセイ集『ハングルへの旅』(朝日文庫、1989年。1986年朝日新聞社刊)に書いています。同書によると、1945年の敗戦直後からいつかハングルを学びたいと思っていたそうです。また、戦後、古代史研究が解放されると茨木はむさぼるように古代史を読み、韓国語を学んで『古事記』を読み直してみたくなります。日本の多くの詩人たちがヨーロッパ語圏の詩を訳しているように、自分も隣国の詩を原詩で読み、訳してみたいという意欲もありました。韓国の詩人、洪允淑(ホン・ユンスク)の一言で、韓国併合から降伏文書調印まで、日本が隣国の方々に日本語教育を強いてきたことにハッと気づかされ、今度は自分が韓国語を学ぶ番だと感じたことも、動機の一つ。他にも、李朝民画が好きだったことも、陶器の好きな目利きの祖母への憧憬も、ともかく本当にたくさんの動機があって、それらを全てひっくるめて「隣の国のことばですもの」(p.24)とまとめて、茨木のり子はハングルを学びます。

茨木の韓国語学習は、韓国童話集『うかれがらす』(金善慶文、丸木俊絵、筑摩書房、1986年)の翻訳や、翻訳詩集『韓国現代詩選』(花神社、1990年)などに実を結びました。

 

【書誌情報】

茨木のり子『ハングルへの旅』朝日文庫、1989年(1986年朝日新聞社刊の文庫版)

大竹聖美責任編集『論文集 韓国キリスト教児童文学資料集』東京純心大学こども文化研究センター、20162

ペク・チャンウ詩、ハン・ジヒ絵『韓国子守唄 チェジャン歌』大竹聖美訳、古今社、2003