センター入り口で、センター蔵書のミニ展示を行っております。
今回は、新たにご寄贈を受けた福田清人関連資料(目録)です。センターの打ち合わせスペース、向かって左側の本棚の、目録のところにあります。
展示中の本
『福田清人文庫』第1号~第20号
立教女学院短期大学図書館編 1992~2002年
目録に加え、『福田清人・人と文学』(鼎書房、2011年)もご寄贈いただきました。展示期間中も貸し出しをすることができます。どうぞお気軽にご利用ください。
センター入り口で、センター蔵書のミニ展示を行っております。
今回は、新たにご寄贈を受けた福田清人関連資料(目録)です。センターの打ち合わせスペース、向かって左側の本棚の、目録のところにあります。
展示中の本
『福田清人文庫』第1号~第20号
立教女学院短期大学図書館編 1992~2002年
目録に加え、『福田清人・人と文学』(鼎書房、2011年)もご寄贈いただきました。展示期間中も貸し出しをすることができます。どうぞお気軽にご利用ください。
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猫村たたみ (三文庫の守り猫) |
書評コンクールの投票結果を発表いたします。
深見けいと(学生)・・・・・・・得票数4
しあわせもりあわせ(一般)・・・得票数5
熊沢健児(その他)・・・・・・・得票数0
猫村たたみ(その他)・・・・・・得票数2
遠藤知恵子(職員)・・・・・・・得票数1
最も得票数が多かったのは、書評番号2、『いろんな国のオノマトペ』(世界のことばあそび⑤)の書評を書いた、しあわせもりあわせさんでした。
作品応募や投票にご参加くださった皆さま、いつも見守って下さる皆さまに、心よりお礼を申し上げます。
センター入り口で、センター蔵書のミニ展示を行っております。
今回は、研究奨励で購入された本です。研究奨励やプロジェクトで購入された本は、センターの打ち合わせスペース、向かって左側に排架されています。
展示中の本
『会えてよかった』
安野光雅 朝日新聞出版 2013年
こちらの図書は展示期間中も貸し出しをすることができます。どうぞお気軽にご利用ください。
センター入り口で、センター蔵書のミニ展示を行っております。
展示中の本
『世界一のパンダファミリー』
神戸万知 文・写真 講談社 青い鳥文庫 2017年
こちらの図書は展示期間中も貸し出しをすることができます。どうぞお気軽にご利用ください。
第5回書評コンクールの応募作品を公開いたします。
今回は5本の応募がありました。
【書評番号1】東君平『おはようどうわ』全10巻、サンリオ、1992-2000年
【書評番号2】『いろんな国のオノマトペ』(世界のことばあそび⑤)、こどもくらぶ編、旺文社、2008年
【書評番号3】エリナー・ドーリィ『キュリー夫人』光吉夏弥訳、岩波少年文庫、1974年
【書評番号4】de Brunhoff, Laurent, Bonhomme. Hachette, 1965(ド・ブリュノフ、ロラン『ボノム』アシェット、1965年)
【書評番号5】『無垢の眼 稲田萌子 枝松直子 成瀬麻紀子 宮田佳代子』大谷芳久・丹尾安典 図録編集、早稲田大学會津八一記念博物館、2008年
ご応募くださった皆様に、心よりお礼を申し上げます。
優秀作品は、構成員による投票で決定いたします。メールでご投票いただくか、あるいは、5月27日にメーリングリストにてURLをお送りした投票フォームをご利用ください。
投票締め切り 6月15日(水) 投票結果の発表 6月16日(木)
センター構成員であればどなたでも、お1人につき1票、ご投票いただくことができます。ぜひご参加ください。
※5月27日に公開した記事(書評)の掲載順等に訂正があったため、本日6月1日、再掲いたしました。書評の内容は27日公開時と同じです。ご迷惑をおかけいたしまして、申し訳ございませんでした。また、ご指摘くださった方に、この場をお借りしてお礼申し上げます。ありがとうございました。
短編童話集で、見開き一ページで一つの作品となっている。漢字を使われずに書かれたこの童話は、作品ごとにユーモラスな白黒の切り絵が一枚ついていて、絵と物語とがあいまって温かみのある作品になっている。柔らかい言葉の響きが連なる様子は童謡や詩の雰囲気を醸し出しつつ、童話の物語性も併せ持つ、童話というものの定義を問い直させる一作。そしてそうした定義にとらわれないそのままの、一つの作品として受け止めることの大事さを考えさせる作品でもある。
この童話集の作品は、日常の出来事や季節の一場面が人間や動物、時に雨などの無生物を視点として描かれており、どれも劇的な出来事が起きることはない。それにもかかわらず、読み終えてしまうことを惜しみながらページをめくる手が止まらないのは、クスッと笑ってしまうおかしみがありつつ、普段見落としている何気ない日常が、とてつもなく愛おしいものに感じられるような温かみのある作品になっているためでもある。
平易な言葉で語られながら、人の心の真髄を示す一文、消えゆくものへの優しい視点で語られる、温かみがありながら寂しい場面。思い出がふと蘇る瞬間の懐かしさとともに感じる一抹の寂しさ、そしてそのままの世界を受け止める温かな視点。そうしたもの全てがギュッと詰まっている。
おすすめは、7巻の「アサリ」という話。猫がアサリをつつく様子や、スズメにアサリが似ているとする描写は、猫好きな人なら場面を思い浮かべて思わずクスッと笑ってしまう。私は、この話を読んで以来、アサリを見るたびに猫とスズメとが思い浮かぶようになってしまった。
息をつかせぬ展開の物語ももちろん面白いが、一方でこういった日常の中の小休止となるような作品は、言葉で紡がれた物語だからこそ表現し得たと思う。音楽や絵といった他の芸術と比べ、自ら読み、考えることでしか意味すら持たない文学という形を持つからこそ筋の面白さだけでなく、作品全体に漂う柔らかい空気や温かみがゆっくりと伝わってくる。
元々新聞に連載されていたこともあり、季節の移ろいがよく主題となっていて、その描写もとても興味深い。しかし、それだけではなく、普段私たちが見落としてしまうもの、目を背けているものに気づかせる視点は、金子みすゞの詩を彷彿とさせる様な、ハッとさせられるものがある。
魅力を説明しようとすると、光がこぼれ落ちてしまうような一作。何が特別というのではないが、落ち込んでいる時でも、ふとした拍子に何度でも読みたくなり、読むと心にストンと落ちてくる。しかも読み進めるうち、心を前向きにしてくれる、いつも手元に大切に置いておきたくなる宝物のような作品となっている。
作者が若くして亡くなったこともあり、あまり知られていないが童話を愛する人にぜひ読んでほしい作品。
こんな本がほしいな、と思っていたら、望んでいた以上の本に出会えて感動した。それが、この『いろんな国のオノマトペ』だ。英語のオノマトペを集めた本がないものかと探していて、手に取ることができた。
英語だけでなく、韓国語、中国語、タイ語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語、ロシア語の計9か国語のオノマトペがまとめられている。小学生の調べ学習や外国語学習用に作られたらしく、収録語数こそ少ないものの(約360語)、動物の鳴き声や風雨等の自然音、生活音など、項目別に一覧にされていて、国ごとの違いが一目瞭然だ。
何よりすばらしいのは、各言語のネイティヴが発音を収録した付録のCD。シリーズ5巻分が、CD1枚に収められている。カタカナ表記では限界のある各国語の発音が、CDのおかげで非常によくわかる。さらに、同シリーズは「音筆(おんぴつ)」対応になっており、各単語に添えられたマークに音筆で触れると、音筆がその単語を読み上げてくれるらしい。
最初に図書館で本書を借りたときには、当然のようにCDが付いていた。ところが、再度借りたときには、これまた当然のようにCDが付いていなかった。CDポケットの跡もない。司書の方に調べていただいても、その自治体所蔵の同シリーズには、いずれもCDは付いていないという。きつねにつままれた思いで、都内にある図書館の蔵書を検索した。検索しても、オンラインデータでは、CDが付属しているかどうかまではわからない。しかも、他の自治体との相互貸出では、CDは扱っていないという。
なかば絶望して、音筆の購入を考えた。本書が税別2,500円なのに対し、音筆は税別で12,000円もする。だが、背に腹は代えられない。本書は絶版なのだから。それなのに、無情にも音筆は「在庫切れ」。どうやら、近年ずっとこの状態らしい。
結局、先ほどとは別の自治体が所蔵している同シリーズ3セットのうち、ある館の第1巻にだけCDが付属していることがわかり、直接出向いて借りることができた。音声資料のありがたさを味わいながら聴く。ああ、ニワトリの鳴き声ひとつとっても、国によって聞こえ方がこんなにも違うのだなぁ。ロシア語の発音は、ヨーロッパの他の言語と比べてかなり独特な感じがするけれど、やはり寒さが関係しているのだろうか。
各国の比較ができるだけでなく、日本国内の違いにも思いを致せるのが、本書の優れている点のひとつだ。犬の鳴き声が平安時代には「びょうびょう」だったことや、ニワトリの鳴き声が全国で「コッケコッコー」に統一された経緯が書かれており、国内のオノマトペの時代性や地域性について調べてみたいと思わせる。正直に言って、本書は小学生だけに読ませるには惜しい。もっと大人の目に触れるところに置いてしかるべきだろう。そうすればおのずと需要が高まり、シリーズが復刊するかもしれない。そうなる日を待ち望んでいる。
原題はThe
Radium Womanとあって少々ぎょっとさせられるが、アメリカのラジウム・ガールズは本書には登場しない(とはいえ、マリー・キュリーも彼女たちと同じように放射線によって健康を脅かされていた)。作者のドーリィは1939年にこの伝記を書き、同年のカーネギー賞を受賞している。本書は1962年に岩波少年少女文庫のために翻訳したものを全面的に改めた新訳版である。
内容に関しては、私たちがよく知っている「キュリー夫人」の伝記そのものと言っていいかもしれない——帝政ロシアの支配下にあったポーランドでの少女時代、フランスで苦学した青年期、結婚し、夫ピエールとともに研究に打ち込みラジウムを発見、夫婦でノーベル物理学賞を受賞。不慮の事故でピエールを失った後もマリーは研究を続けノーベル化学賞を受賞。マリーとピエールの研究は放射線医療に大きく貢献した。そうした功績を、マリーの人柄とともに知ることができる本だ。
キュリー夫妻の発見を当時の人々がどのように受け止めていたかをうかがわせる、次のような記述がある。
そのころ、パリにロイ・フラーというアメリカ人の踊り手がいて、その踊りをいっそう美しく見せるために、ふしぎな照明を使っていた。その舞姫が、マリーに手紙をよこして、チョウの衣装のはねを光らせるのには、ラジウムをどう使えばいいか、聞いてきた。(189)
マリーとピエールはこの申し出を面白がり、ラジウムについて親切に説明したそうだ。
20世紀の前半は、科学の発達やそれがもたらす新しい可能性をまだ素直に喜ぶことができ、科学の進歩を信じることもできたのだろう。そんな無邪気な眼差しに、ラジウムの光はとても美しく映ったのではないか。まっすぐに研究へと突き進むマリーもまた、人間としての、あるいは科学者としての思慮深さとは別に、そうした無邪気さを秘めた人だったのではないだろうか。そんなことをふと考えさせられた、1冊だった。
ふにゃっとした輪郭の、不思議なひとが登場するお話の絵本にゃよ。その名も「ボノム(男の子)」にゃ。山の上の、木の隣にいて、ぽちゃっとしていて、頭の後ろに棘が生えているのにゃよ。
望遠鏡で山の上のボノムを見つけたエミリーは、ボノムがどうしてたったひとりでそんなところにいるのか気になって、山登りを決行するのにゃ。山の上にたどり着いたエミリーがお近づきになろうとして声をかけると、ボノムは木の周りをぐるぐる回り出すのにゃ。チャーミングにゃね~(にゃけど、ボノムは何をしたかったのかにゃ~?)。はじめは警察に捕まえられて動物園の檻に入れられてしまうボノムなのにゃ。でも、エミリーの必死の説得のおかげで、棘の先に栓をすることを条件に出してもらって、エミリーのお家に行くのにゃよ。さてさて、ボノムはエミリーのお家でどんなふうに過ごすのかにゃ? エミリーはボノムと仲良しになれるのかにゃ?
ところでですにゃ、実はこの本、日本語訳が出ているのにゃけれど、あまり多くを語らない謎めいた作品にゃったから、金平文庫にあった原書に挑戦したのにゃよ(あ、ちなみに光吉文庫にもあるのにゃ!)。にゃけど、原書を読んでも結局、この絵本の結末をどう受け止めれば良いのか、分からないのにゃよ…ま、それはそれで味わい深いと言えるかもしれないにゃね。
Bonhommeの作者、ロラン・ド・ブリュノフは「ぞうのババール」シリーズの作家ジャン・ド・ブリュノフの息子さんなのですにゃ。お父さんが亡くなった後はこちらのロランさんが「ぞうのババール」シリーズを引き継いでいるのにゃけど、こんな作品もつくられていたとは知らなかったのにゃ! ボノムには俳画っぽい雰囲気があって、たいへん興味深いのにゃ! ボノムとエミリーの関係も、お互いに自立していて、粋ですにゃよ。
柔らかな宝石——そう呼びたくなるような、濁りのない色彩の作品図版が収録されている。この本は2008年に早稲田大学會津八一記念博物館で開催された「無垢の眼」展の図録である。この展覧会の出品作家は稲田萌子さん・枝松直子さん・成瀬麻紀子さん・宮田佳代子さんの四人。稲田さん・枝松さん・宮田さんはともに町田養護学校を卒業したあと、「クラフト工房 ラ・まの」のメンバーとなっており、成瀬さんは高校を卒業後、詩集のための絵を描いたり、画集を刊行したりしている。(美大卒ではないという意味で)アカデミックな美術教育を受けていない作者の展覧会という点で、いわゆるアール・ブリュットと呼ばれるカテゴリーに分類される展覧会なのだろうけれど、ここに収められた作品を「無垢」と形容するには少しためらいを感じる。
稲田さんの作品はどれも〈無題〉とある。水彩だけで仕上げたものは柔らかに滲む色の面がさまざまなものの形に見えて、見る者に空想を誘う。水彩と貼り絵を併用したものは、とりどりの色彩のかけらが画面にひしめき、ひそひそ話をしているようでもある。枝松さんの作品は布を染料で染めたもので、〈火の鳥がとんでくる〉や〈太陽が光って月にかわってくる〉などのタイトルがついている。オーロラのような染料の滲みが稲田さんの水彩と同じく空想を誘うのだけれど、言葉が添えられることで、その連想は物語へと向かっていく。だから画面は、抽象的な色面が具象へと変容する直前をすっと掬い上げたような感じがする。宮田さんの作品は、たとえば〈イギリス夕日の海〉の丹念なドローイングに引き込まれる。水彩絵の具の淡い色が、夕刻の潮風を表しているのだろうか、よく見ると縦のしましまになっていて、ちょっと可愛い。成瀬さんは水彩絵の具やクレパスを使った具象的な作品が収録されている。水彩画の〈虹のなかにみつけた〉は、淡い色の帯のなかに赤と緑の小さな植物が描かれる。若い樹木に見えるのだが、その二つからは金色のつぶつぶ(光?)が立ち昇っていく。何か素敵な予感を抱かせてくれるつぶつぶだ。
これらの作品はいずれも、作者の視覚的な経験や、物語の受容や、日々の思索の足跡として、そこにあるのだろう。そして、ドローイングをする手の動きはその一つひとつが造形的な経験そのものだ。手を動かし描くという行為の経験を積み重ねて、作品は出来上がる。この図録に収められた作品を「無垢」と形容することをためらってしまう理由は、そこなのだ。
ウィリアム・ブレイクは詩集Song of Innocence and
Experienceで、「無垢」と「経験」とを対置した。「無垢」の反対側に「経験」があり、一人の創作者として立つとき、人はもう無垢ではいられない。この本に収録された作品の濁りのなさは、創作者としての経験に裏打ちされたもの。それは、無垢であることと同じくらい尊いことなのではないのだろうか。