2021年12月17日金曜日

ムナーリとレオーニ(14)

1934年①


今回は、年譜を読み進めよう。

レオーニは1934年、建築雑誌『Casabella』の編集長エドアルド・ペルシコと出会い、編集に協力したり記事を執筆したりしている。このペルシコの紹介により、レオーニは製菓会社モッタに、広告部長ディーノ・ヴィッラーニのアシスタントとして就職する。また、ルーマニア生まれの漫画家で挿絵画家のソール・スタインバーグ(1914-1999)やシナリオライターのチェーザレ・サヴァッティーニ(1902-1989)と親交を深めた。建築の雑誌に関わったからなのだろうか、年譜には不動産の話題が2つある。ひとつは妻ノーラの母の遺産で購入した土地に「6つの小さな家をデザイン」したこと、もうひとつは「ジャン・カルロ・パランティによって建てられたばかりのモダンなアパートに住」んだことである(p.217)。

一方のムナーリだが、この1934年に、二つの宣言に参加している。「未来派航空造形技術宣言」と「壁面造形宣言」である。

 

31日、未来派の定期刊行物『サンテリア』に、ブルーノ・ムナーリ、カルロ・マンゾーニ、ジェリンド・フルラン、リカス、レジーナの「ミラノ未来派グループ」による「未来派航空造形技術宣言」が掲載される。(p.343

 

『スティーレ・フトゥリスタ』誌15号に、マリネッティらとともにムナーリが署名した「壁面造形宣言」が掲載される。(同上)

 

年譜によると、ムナーリは、トレ・アルティ画廊で開催された未来派25周年の展覧会に参加した折、開会式で「未来派航空造形技術宣言」を読んでいる。

壁画の宣言については、どうだったのだろう。6月から10月にかけてミラノのパラッツォ・デッラルテで開催された「イタリア航空学展」で、ジュゼッペ・パガーノ設計の「イカロスの間」に壁画を描いたそうだが、この壁画は宣言に関係あるだろうか。また、ムナーリは、この年の11月から翌年の1月にかけて、ジェノヴァのパラッツォ・ドゥカーレで開催された「第1回壁面造形展」に参加している。

1934年には上記の展覧会も含め、ムナーリは合わせて7つのグループ展に参加。また、ムナーリが表紙と挿画を担当したトゥッリオ・ダルビゾラの『叙情的な西瓜(情熱的な長編詩)』が、7月に刊行される。この年、ムナーリはディルマ・カルネヴァーリと結婚し、ミラノのヴィットリア・コロンナ通りに住居兼アトリエを構えている。

 

【書誌情報】

奥田亜希子編「ブルーノ・ムナーリ年譜」『ブルーノ・ムナーリ』求龍堂、2018年、pp. 342-357

「レオ・レオーニ 年譜」『だれも知らないレオ・レオーニ』玄光社、2020年、pp. 216-219 ※執筆担当者の表示なし

 

遠藤知恵子(センター助手)