1932年①
今回も、年譜を読もう。レオーニは1932年にマリネッティと出会い、未来派の作品展に参加する。また、石油会社で会計の仕事に就き、長男ルイスが誕生している。
未来派との交流について、年譜には次のように記されている。
サヴォーナで開催された未来派の作品展に油画6点を出品し、「飛行画家」として紹介されるが、未来派との考え方の違いを自覚する。(p.216)
「未来派との考え方の違い」とは、どのような違いだったのだろうか。図録の解説部分を読むと「彼らがファシズムに傾倒するにつれ違和感を感じはじめ」(p.16 担当:森泉文美)とあるため、その「違い」が政治的なものだったのだろうと推し量ることができる。ただ、多木浩二の『未来派 百年後を羨望した芸術家たち』(2021年)によれば、1919年にムッソリーニが作った「戦闘ファッシ」という組織には、未来派のグループが含まれていたという(p.137)。この戦闘ファッシ(戦闘者ファッシとも)はのちのファシスタ党の母体となっており、第一次世界大戦直後の時点で、未来派は既に破壊的な側面を露わにしている。
1931年のムナーリの年譜には、5月12日にジェノヴァで「航空絵画展」が催されたとあるけれど、1932年に「『飛行画家』として紹介」されたというレオーニは、これを観ていただろうか。1932年はムナーリも「航空画家」や「航空絵画」という言葉をタイトルに含む展覧会(パリで開催された「エンリコ・プランポリーニとイタリアの未来派航空画家たち」展とミラノで開催された「未来派航空絵画展」)に参加している。
1932年のムナーリの年譜を見ると、昨年に引き続き、グラフィックの仕事を手がけている。ムナーリの挿画が掲載された『カンパリの吟遊詩人』第5集の出版。そして、『フトゥリズモ』誌に、絵画作品《空間の中の旅》が掲載されている。展覧会については、先に挙げた2つのグループ展のほか、4月から10月にかけて開催された第18回ヴェネツィア・ビエンナーレに、9月あら10月にかけてトリノで開催された「第4回州美術展覧会および第90回美術振興協会展」に、参加している。
【書誌情報】
奥田亜希子編「ブルーノ・ムナーリ年譜」『ブルーノ・ムナーリ』求龍堂、2018年、pp. 342-357
「レオ・レオーニ 年譜」森泉文美・松岡希代子著『だれも知らないレオ・レオーニ』玄光社、2020年、pp. 216-219 ※執筆担当者の表示なし
多木浩二『未来派 百年後を羨望した芸術家たち』コトニ社、2021年
遠藤知恵子(センター助手)