2021年12月10日金曜日

ムナーリとレオーニ(12)

 1933年①


 年譜を読み進めよう。

1933年、レオーニは石油会社での会計の仕事を辞め、学業に励んだのち、アムステルダムに移住。アムステルダムでは事務用品販売会社のセールスマンとして働く。だが、オランダの徴兵制から逃れるために、年末にイタリアに戻る。それにしても、レオーニは引っ越しが多い。

 一方のムナーリは、ミラノで仕事を続ける。年譜にはまず、「『文学年鑑1933』に12点のフォトモンタージュ作品《1933年の状況》をはじめとする、複数の挿絵が掲載される」(p.343)とある。また、ムナーリが装丁した『ヴィア・ボーデンバッハ』(フィレンツ・ケレメンディ著)がボンビアーニ出版から刊行されたとのこと。出版物の仕事が、相変わらず充実していたようだ。

 「フォトモンタージュ」という言葉を『岩波 西洋美術用語辞典』で引いてみると、「多重露光や多重焼き付け、あるいはフィルムの切り貼りによって、異なる映像を組み合わせたり、重ね合わせたりする写真技法。広い意味ではフォト・コラージュを含む場合がある」(p.259)とある。撮影の段階や現像の段階、あるいはフィルムになってからと、どの時点でどんなふうにモンタージュするかはさまざまだけれど、要するに、写真のイメージを切り貼りして画面を構成する、写真表現に特有の技法…と考えれば良さそうだ。

『文学年鑑1933』のフォトモンタージュ作品12点のうち、6点の図版が図録に収録されている。掲載図版のうち、4点がフォトモンタージュで作ったものらしく、残りの2点はペンなどで描いたドローイングに見える。フォトモンタージュ作品は複雑にイメージを切り貼りしているが、ドローイングのほうも、なかなか複雑だ。2点のうち、「先駆的」と題する1点は、機械装置のなかに動物たちを動力源として組み込んだ絵柄。絵そのものはそれほど複雑ではないけれど、「先駆的」というタイトルと、動力源としての動物という組み合わせが皮肉で、見ると考え込まずにはいられないような諷刺的なイメージだ。「全体演劇」と題するもう1点は、さまざまな要素を組み合わせている。二つの四角形の手前に地球儀を思わせる円形を配し、小さな梯子のようなもの、隣接する二つの平たい建造物(二つとも、ニューヨークのフラットアイアンビルディングのように平らだ)、持ち手のついた円柱(ビールジョッキにも見える)といったものを組み合わせ、画面中央へ寄せ気味に構成している…と、一応、見たままに、描かれているものを言葉にしてみたつもりなのだが、なんだか、かえって分かりづらくなってしまったかもしれない。

1933年のムナーリは展覧会での作品発表も精力的に行なっている。3月から4月にかけてミラノで開催された「ロンバルディア州ファシスト美術連合展」に参加したのを始まりに、5月から10月にかけて開催の第5回ミラノ・ビエンナーレに未来派として参加、6月にミラノのペーザロ画廊で開催された「ウンベルト・ボッチョーニへの未来派的オマージュ」展ほか、全部で6つのグループ展に参加している。さらにこの年は、ミラノのトレ・アルティ画廊で「ブルーノ・ムナーリ個展」を開催している。ムナーリはこの初個展で、《役に立たない機械》を展示した。

 

【書誌情報】

奥田亜希子編「ブルーノ・ムナーリ年譜」『ブルーノ・ムナーリ』求龍堂、2018年、pp. 342-357

「レオ・レオーニ 年譜」『だれも知らないレオ・レオーニ』玄光社、2020年、pp. 216-219 ※執筆担当者の表示なし

益田朋幸・喜多崎親編著『岩波 西洋美術用語辞典』岩波書店、2005

 

遠藤知恵子(センター助手)