2021年12月15日水曜日

ムナーリとレオーニ(13)

1933年② ボッチョーニとサンテリア


今回は年譜を読み進めず、前回をちょっと振り返りつつ、寄り道しよう。

ムナーリは、193361日から20日までミラノのペーザロ画廊で開催された「ウンベルト・ボッチョーニへの未来派的オマージュ」展に参加していた。このグループ展より3年前の1930年には、1016日から1130日にかけてミラノのペーザロ画廊で開催された「建築家サンテリアと未来派画家22人」展に参加している。これらの展覧会にみられる「ウンベルト・ボッチョーニ」も「建築家サンテリア」も、未来派の第一世代と見做されている芸術家だ。

 前にも参照し、引用した多木浩二の『未来派 百年後を羨望した芸術家たち』では、未来派の盛期が「未来派創立宣言」が発表された1909年から10年間ほどの期間だったという見方が提示されている(じゃあ、その後の未来派はいったい何だったのかという疑問が湧いてくるが、その疑問はひとまず措いておくとしよう)。ボッチョーニもサンテリアも、未来派の一員としてごく短い期間、活動し、第一次世界大戦に従軍して命を落とした。多木はこの二人を重要な芸術家と位置付けて、詳しく取り上げている。

 ウンベルト・ボッチョーニ(1882-1916)は印象派や象徴主義の影響を強く受けた画家だったが、1912年頃から彫刻を作り始め、「未来派彫刻技法宣言」(1912411日)を発表した。

『未来派 百年後を羨望した芸術家たち』には、この時期に発表された主な宣言文のほか、「第2章 未来派ギャラリー」というタイトルのもと、未来派のメンバーが作った作品や関連資料の図版が収録されている。複製(写真図版)に基づく個人的な感想になってしまうのだけれど、作品の印象を、ちょっと書いておきたい。「未来派ギャラリー」のページに写真図版が収められているボッチョーニの彫刻作品は、〈一本の壜の空間への展開〉(1912年)と〈空間における連続性の唯一の形態〉(1913年)の2点。〈一本の壜の空間への展開〉は、1本の壜が斜めに切られ、切断面が何もない空間に触れている。傾斜し段になった上に台座があり、この台座に壜の形態が鎮座しているのだが、静止しているはずの壜を「展開」させることで、壜の形態とその周囲の空間とが、互いに緊張感を持って触れ合っている。〈空間における連続性の唯一の形態〉の方は、タイトルに含まれる「唯一の」という強気な言葉にほのかな抵抗を感じないでもない。でも、歩行する人体が空間をどのように切り開きながら歩いていくのか、また、人体の運動がどのようにして空間を占めながら進んでいくのか、堂々たる姿の彫刻を見せつけられると、このタイトルにも納得せざるを得ないような気がしてくる。

 もう一人の芸術家、建築家のアントニオ・サンテリア(1888-1916)の作品については、「未来派ギャラリー」の図版で、スケッチを見ることができる。描かれているのは、近代的な住宅や、教会、礼拝堂、灯台、発電所、駅(駅は駅でも、列車と飛行機のための駅である)、巨大なビルディングが立ち並ぶ都市、等々。コンクリート、鉄、ガラスといった、人工的な素材で作る巨大建造物をイメージして描かれたもののようだ。収録された図版はいずれも建造物の外観を紙に描いたものだが、それらの内部をサンテリアはどのようにデザインするつもりだったのだろうか。それらの建造物からは、人間の営みは見えてこない。なお、「未来派ギャラリー」に収録された設計図のうち、〈モニュメンタルな建築〉(1914年)が、コモ湖畔にあるサンテリア記念碑(第一次世界大戦戦没者のための記念碑)のデザインのもととなっているという。

 

【書誌情報】

多木浩二『未来派 百年後を羨望した芸術家たち』コトニ社、2021

 

遠藤知恵子(センター助手)