児童文化研究センターは、12月23日(木)から1月5日(水)まで閉室とさせていただきます。
ご不便をおかけいたしますが、なにとぞご了承くださいませ。
本年もありがとうございました。 こちらの画像は、冬至の長い影法師を楽しみながら テーブルの上でポーズを取る熊沢健児氏とひつじ氏です。 |
1934年、レオーニは製菓会社モッタに就職した。モッタは1919年に創業し、イタリアのクリスマス(イタリアではクリスマスを“ナターレ”と言うそうだ)で食べられる「パネトーネ」で有名になったという。手元にある電子辞書(デジタル大辞泉)で調べてみたが、パネトーネは“パネットーネ”とも言い、果物の砂糖漬けやレーズンを入れて焼く、豪華な菓子パンのようなお菓子だ。実際のパネットーネはかなり大きいらしいのだが、個人的には、その、腰高まんじゅうにも通ずるところのある福々しいシルエットに好感を抱いた。
図録の解説「製菓会社モッタのデザイン戦略」(p.23 担当:森泉文美)によれば、モッタでレオーニの上司となったディーノ・ヴィッラーニは、1934年に広告部長として起用され、ブランドリニューアルに向けて企業コンクールの企画やイベントへの協賛、全国的な広告キャンペーンなどを打ち出した。レオーニはモッタのブランドリニューアルのタイミングで、ヴィッラーニのアシスタントとして採用された。これはレオーニにとって大変なチャンスだったのだろう。
モッタがブランドリニューアルのために行った広告キャンペーンとは、どのくらい画期的なことだったのだろう。解説には、「パネトーネの生地や設備を利用して開発したイースター用のケーキ「コロンバ」の成功は企業マーケティング戦略の先駆的な例として評価されています」(同上)とある。
図録に収録された印刷物や広告原画のなかに、コロンバのパンフレット「伝統・伝説(TRADIZIONE
LEGGENDA)」の図版がある。鳩とオリーブの葉を図案化し、淡いピンクとエメラルドグリーンの2色でまとめている。レオーニが制作した広告だという。白抜きになった鳩の形が、咲きかかった百合のように愛らしい。解説には「中世にミラノを勝利に導いた鳩たちを象ったパンの起源を語ったもの」(p.24)とあり、背後に物語のあるイメージなのだということが分かる。
レオーニはまた、「モッタレッロ」というキャラクターをデザインしている。モッタレッロという名前はちょっと発音しづらいけれど、日本語風に名付け直すとしたらどんな名前になるだろう。モッタさん?
モッタ坊や? 新聞広告からとられたモッタレッロの図版を改めて眺めてみると、丸顔で、コックさんの帽子を被り、手にはパネットーネを持ったモッタレッロは、円や台形といった単純な形をもとにデザインされている。斜めの線や、背景の黒のコントラストによってシャープな印象を与えるけれど、嫌味なところが一つもない、愛らしいキャラクターだ。
【書誌情報】
『だれも知らないレオ・レオーニ』玄光社、2020年
遠藤知恵子(センター助手)
1934年①
今回は、年譜を読み進めよう。
レオーニは1934年、建築雑誌『Casabella』の編集長エドアルド・ペルシコと出会い、編集に協力したり記事を執筆したりしている。このペルシコの紹介により、レオーニは製菓会社モッタに、広告部長ディーノ・ヴィッラーニのアシスタントとして就職する。また、ルーマニア生まれの漫画家で挿絵画家のソール・スタインバーグ(1914-1999)やシナリオライターのチェーザレ・サヴァッティーニ(1902-1989)と親交を深めた。建築の雑誌に関わったからなのだろうか、年譜には不動産の話題が2つある。ひとつは妻ノーラの母の遺産で購入した土地に「6つの小さな家をデザイン」したこと、もうひとつは「ジャン・カルロ・パランティによって建てられたばかりのモダンなアパートに住」んだことである(p.217)。
一方のムナーリだが、この1934年に、二つの宣言に参加している。「未来派航空造形技術宣言」と「壁面造形宣言」である。
3月1日、未来派の定期刊行物『サンテリア』に、ブルーノ・ムナーリ、カルロ・マンゾーニ、ジェリンド・フルラン、リカス、レジーナの「ミラノ未来派グループ」による「未来派航空造形技術宣言」が掲載される。(p.343)
『スティーレ・フトゥリスタ』誌1巻5号に、マリネッティらとともにムナーリが署名した「壁面造形宣言」が掲載される。(同上)
年譜によると、ムナーリは、トレ・アルティ画廊で開催された未来派25周年の展覧会に参加した折、開会式で「未来派航空造形技術宣言」を読んでいる。
壁画の宣言については、どうだったのだろう。6月から10月にかけてミラノのパラッツォ・デッラルテで開催された「イタリア航空学展」で、ジュゼッペ・パガーノ設計の「イカロスの間」に壁画を描いたそうだが、この壁画は宣言に関係あるだろうか。また、ムナーリは、この年の11月から翌年の1月にかけて、ジェノヴァのパラッツォ・ドゥカーレで開催された「第1回壁面造形展」に参加している。
1934年には上記の展覧会も含め、ムナーリは合わせて7つのグループ展に参加。また、ムナーリが表紙と挿画を担当したトゥッリオ・ダルビゾラの『叙情的な西瓜(情熱的な長編詩)』が、7月に刊行される。この年、ムナーリはディルマ・カルネヴァーリと結婚し、ミラノのヴィットリア・コロンナ通りに住居兼アトリエを構えている。
【書誌情報】
奥田亜希子編「ブルーノ・ムナーリ年譜」『ブルーノ・ムナーリ』求龍堂、2018年、pp. 342-357
「レオ・レオーニ 年譜」『だれも知らないレオ・レオーニ』玄光社、2020年、pp. 216-219 ※執筆担当者の表示なし
こちらの講演会は、大盛況のうちに終了いたしました。
沼辺信一氏講演会 基本情報
光吉文庫のロシア絵本について:コレクションの稀少性と歴史的意義
日時:2022年3月26日(土)13:00~(16:00頃終了予定)
場所:(対面) R. 3203/(遠隔)zoomによる同時配信
※アーカイブの配信はございません。 アーカイブ配信が決定しました!
当日ご参加いただけない方にのみ、アーカイブを公開いたします
お申し込み方法
対面、遠隔ともに、事前のお申込みをお願いしております。
※どなたでもご参加いただけます。
2022年3月15日(火)17:00までに、白百合女子大学 児童文化研究センターへ、メール〔jido-bun@shirayuri.ac.jp〕・FAX〔03-3326-1319〕・下記の「お申込みフォーム」のいずれかの方法でお申し込みください。
センター入り口で、センター蔵書(Z本)のミニ展示を行っております。
展示中の本
A・A・ミルン 著 ル・メール 絵『子どもの情景』
早川敦子 訳 パピルス 1996年
全十二編の短編集。各話のタイトルは次の通りです。
王女さまとりんごの木 すずめの木広場 ふたご
ベッドのなかの、ちっちゃなウォーターロー 砂のこどもたち
かわいそうなアン インドへの旅 バーバラの誕生日に
小さな銀のカップ 魔法の丘
ムッシュー・デュポンの三人姉妹 海辺のお城
こちらの図書は展示期間中も貸し出しをすることができます。どうぞお気軽にご利用ください。
今回は年譜を読み進めず、前回をちょっと振り返りつつ、寄り道しよう。
ムナーリは、1933年6月1日から20日までミラノのペーザロ画廊で開催された「ウンベルト・ボッチョーニへの未来派的オマージュ」展に参加していた。このグループ展より3年前の1930年には、10月16日から11月30日にかけてミラノのペーザロ画廊で開催された「建築家サンテリアと未来派画家22人」展に参加している。これらの展覧会にみられる「ウンベルト・ボッチョーニ」も「建築家サンテリア」も、未来派の第一世代と見做されている芸術家だ。
前にも参照し、引用した多木浩二の『未来派 百年後を羨望した芸術家たち』では、未来派の盛期が「未来派創立宣言」が発表された1909年から10年間ほどの期間だったという見方が提示されている(じゃあ、その後の未来派はいったい何だったのかという疑問が湧いてくるが、その疑問はひとまず措いておくとしよう)。ボッチョーニもサンテリアも、未来派の一員としてごく短い期間、活動し、第一次世界大戦に従軍して命を落とした。多木はこの二人を重要な芸術家と位置付けて、詳しく取り上げている。
ウンベルト・ボッチョーニ(1882-1916)は印象派や象徴主義の影響を強く受けた画家だったが、1912年頃から彫刻を作り始め、「未来派彫刻技法宣言」(1912年4月11日)を発表した。
『未来派 百年後を羨望した芸術家たち』には、この時期に発表された主な宣言文のほか、「第2章 未来派ギャラリー」というタイトルのもと、未来派のメンバーが作った作品や関連資料の図版が収録されている。複製(写真図版)に基づく個人的な感想になってしまうのだけれど、作品の印象を、ちょっと書いておきたい。「未来派ギャラリー」のページに写真図版が収められているボッチョーニの彫刻作品は、〈一本の壜の空間への展開〉(1912年)と〈空間における連続性の唯一の形態〉(1913年)の2点。〈一本の壜の空間への展開〉は、1本の壜が斜めに切られ、切断面が何もない空間に触れている。傾斜し段になった上に台座があり、この台座に壜の形態が鎮座しているのだが、静止しているはずの壜を「展開」させることで、壜の形態とその周囲の空間とが、互いに緊張感を持って触れ合っている。〈空間における連続性の唯一の形態〉の方は、タイトルに含まれる「唯一の」という強気な言葉にほのかな抵抗を感じないでもない。でも、歩行する人体が空間をどのように切り開きながら歩いていくのか、また、人体の運動がどのようにして空間を占めながら進んでいくのか、堂々たる姿の彫刻を見せつけられると、このタイトルにも納得せざるを得ないような気がしてくる。
もう一人の芸術家、建築家のアントニオ・サンテリア(1888-1916)の作品については、「未来派ギャラリー」の図版で、スケッチを見ることができる。描かれているのは、近代的な住宅や、教会、礼拝堂、灯台、発電所、駅(駅は駅でも、列車と飛行機のための駅である)、巨大なビルディングが立ち並ぶ都市、等々。コンクリート、鉄、ガラスといった、人工的な素材で作る巨大建造物をイメージして描かれたもののようだ。収録された図版はいずれも建造物の外観を紙に描いたものだが、それらの内部をサンテリアはどのようにデザインするつもりだったのだろうか。それらの建造物からは、人間の営みは見えてこない。なお、「未来派ギャラリー」に収録された設計図のうち、〈モニュメンタルな建築〉(1914年)が、コモ湖畔にあるサンテリア記念碑(第一次世界大戦戦没者のための記念碑)のデザインのもととなっているという。
【書誌情報】
多木浩二『未来派 百年後を羨望した芸術家たち』コトニ社、2021年
遠藤知恵子(センター助手)
年譜を読み進めよう。
1933年、レオーニは石油会社での会計の仕事を辞め、学業に励んだのち、アムステルダムに移住。アムステルダムでは事務用品販売会社のセールスマンとして働く。だが、オランダの徴兵制から逃れるために、年末にイタリアに戻る。それにしても、レオーニは引っ越しが多い。
一方のムナーリは、ミラノで仕事を続ける。年譜にはまず、「『文学年鑑1933』に12点のフォトモンタージュ作品《1933年の状況》をはじめとする、複数の挿絵が掲載される」(p.343)とある。また、ムナーリが装丁した『ヴィア・ボーデンバッハ』(フィレンツ・ケレメンディ著)がボンビアーニ出版から刊行されたとのこと。出版物の仕事が、相変わらず充実していたようだ。
「フォトモンタージュ」という言葉を『岩波 西洋美術用語辞典』で引いてみると、「多重露光や多重焼き付け、あるいはフィルムの切り貼りによって、異なる映像を組み合わせたり、重ね合わせたりする写真技法。広い意味ではフォト・コラージュを含む場合がある」(p.259)とある。撮影の段階や現像の段階、あるいはフィルムになってからと、どの時点でどんなふうにモンタージュするかはさまざまだけれど、要するに、写真のイメージを切り貼りして画面を構成する、写真表現に特有の技法…と考えれば良さそうだ。
『文学年鑑1933』のフォトモンタージュ作品12点のうち、6点の図版が図録に収録されている。掲載図版のうち、4点がフォトモンタージュで作ったものらしく、残りの2点はペンなどで描いたドローイングに見える。フォトモンタージュ作品は複雑にイメージを切り貼りしているが、ドローイングのほうも、なかなか複雑だ。2点のうち、「先駆的」と題する1点は、機械装置のなかに動物たちを動力源として組み込んだ絵柄。絵そのものはそれほど複雑ではないけれど、「先駆的」というタイトルと、動力源としての動物という組み合わせが皮肉で、見ると考え込まずにはいられないような諷刺的なイメージだ。「全体演劇」と題するもう1点は、さまざまな要素を組み合わせている。二つの四角形の手前に地球儀を思わせる円形を配し、小さな梯子のようなもの、隣接する二つの平たい建造物(二つとも、ニューヨークのフラットアイアンビルディングのように平らだ)、持ち手のついた円柱(ビールジョッキにも見える)といったものを組み合わせ、画面中央へ寄せ気味に構成している…と、一応、見たままに、描かれているものを言葉にしてみたつもりなのだが、なんだか、かえって分かりづらくなってしまったかもしれない。
1933年のムナーリは展覧会での作品発表も精力的に行なっている。3月から4月にかけてミラノで開催された「ロンバルディア州ファシスト美術連合展」に参加したのを始まりに、5月から10月にかけて開催の第5回ミラノ・ビエンナーレに未来派として参加、6月にミラノのペーザロ画廊で開催された「ウンベルト・ボッチョーニへの未来派的オマージュ」展ほか、全部で6つのグループ展に参加している。さらにこの年は、ミラノのトレ・アルティ画廊で「ブルーノ・ムナーリ個展」を開催している。ムナーリはこの初個展で、《役に立たない機械》を展示した。
【書誌情報】
奥田亜希子編「ブルーノ・ムナーリ年譜」『ブルーノ・ムナーリ』求龍堂、2018年、pp. 342-357
「レオ・レオーニ 年譜」『だれも知らないレオ・レオーニ』玄光社、2020年、pp. 216-219 ※執筆担当者の表示なし
益田朋幸・喜多崎親編著『岩波 西洋美術用語辞典』岩波書店、2005年
遠藤知恵子(センター助手)
今回は、ちょっと立ち止まって、ムナーリがカンパリ社のためにした仕事を見ておきたい。
前回、年譜からは、ムナーリが若いうちから順調にキャリアを積み上げていたことが読み取れた。「ブルーノ・ムナーリ」展図録の解説(p.49 担当:盛本直美)によると、カンパリ社では1927年から1932年の間に、顧客への贈呈品として『カンパリの吟遊詩人』という全5集の詩集を限定制作していたそうだ。詩は、劇作家で詩人のレナート・シモーニが書いた。ムナーリが挿画を担当したのは第5集だが、同じく図録の解説によると、それは、次のようなものだった。
ムナーリが担当した第5集は、当時としては珍しいスパイラル製本で、宙空に浮かぶ矩形や人物像で構成された挿絵が、愛を主題とした27遍の詩に彩を添えている。
図録では、表紙に加え、中のページが見開きで2面、掲載されており、ふたつの挿画を見ることができる。表紙に描かれた、赤い(カンパリ色?の)果物らしい物体が印象的だ。見開き2面のうち、L’AMORE DI DON GIOVANNIという詩に組み合わされた挿画を見ると、幾何学的な形態(台形)と有機的なモチーフ(包丁で果物を切る人と、カッティングボードの上で切られている果物)を組み合わせ、画面中にさりげなく小さなハート(一般的には“愛”を指す記号)をあしらっている。主張しすぎず、しかし気が利いている。
【書誌情報】
奥田亜希子編「ブルーノ・ムナーリ年譜」(『ブルーノ・ムナーリ』求龍堂、2018年、pp. 342-357)
遠藤知恵子(センター助手)
いつもセンター入り口のミニ展示にて皆様をお迎えしている、熊沢健児氏(ぬいぐるみ・名誉研究員)が、昨日のアドベントの集いに参加しました。以下は、熊沢氏から送られた写真画像です。
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アドベントの集いの後も、しばらくの間、 キャンドルが灯されていました。 温かく揺らぐ炎に引き寄せられて、 スマートフォンのカメラを向ける人もちらほら。 (熊沢氏もそのひとりでした。) |
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夕方、あたりが暗くなると、クリスマス ツリーは幻想的な雰囲気をまといます。 紅葉とのコントラストは、 今の時期ならではの楽しみです。 |
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建物に入って、冷えた体を温める熊沢氏。 本館エントランスには、動物のぬいぐるみで 飾り付けたクリスマスツリーがあります。 写真は、カンガルー氏に挨拶しているところ。 |
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カンガルー氏のポケットにインスパイアされ、 助手のコートのポケットに入ってみた熊沢氏。 意外と快適だったようで、ご満悦の様子です。 |
今回も、年譜を読もう。レオーニは1932年にマリネッティと出会い、未来派の作品展に参加する。また、石油会社で会計の仕事に就き、長男ルイスが誕生している。
未来派との交流について、年譜には次のように記されている。
サヴォーナで開催された未来派の作品展に油画6点を出品し、「飛行画家」として紹介されるが、未来派との考え方の違いを自覚する。(p.216)
「未来派との考え方の違い」とは、どのような違いだったのだろうか。図録の解説部分を読むと「彼らがファシズムに傾倒するにつれ違和感を感じはじめ」(p.16 担当:森泉文美)とあるため、その「違い」が政治的なものだったのだろうと推し量ることができる。ただ、多木浩二の『未来派 百年後を羨望した芸術家たち』(2021年)によれば、1919年にムッソリーニが作った「戦闘ファッシ」という組織には、未来派のグループが含まれていたという(p.137)。この戦闘ファッシ(戦闘者ファッシとも)はのちのファシスタ党の母体となっており、第一次世界大戦直後の時点で、未来派は既に破壊的な側面を露わにしている。
1931年のムナーリの年譜には、5月12日にジェノヴァで「航空絵画展」が催されたとあるけれど、1932年に「『飛行画家』として紹介」されたというレオーニは、これを観ていただろうか。1932年はムナーリも「航空画家」や「航空絵画」という言葉をタイトルに含む展覧会(パリで開催された「エンリコ・プランポリーニとイタリアの未来派航空画家たち」展とミラノで開催された「未来派航空絵画展」)に参加している。
1932年のムナーリの年譜を見ると、昨年に引き続き、グラフィックの仕事を手がけている。ムナーリの挿画が掲載された『カンパリの吟遊詩人』第5集の出版。そして、『フトゥリズモ』誌に、絵画作品《空間の中の旅》が掲載されている。展覧会については、先に挙げた2つのグループ展のほか、4月から10月にかけて開催された第18回ヴェネツィア・ビエンナーレに、9月あら10月にかけてトリノで開催された「第4回州美術展覧会および第90回美術振興協会展」に、参加している。
【書誌情報】
奥田亜希子編「ブルーノ・ムナーリ年譜」『ブルーノ・ムナーリ』求龍堂、2018年、pp. 342-357
「レオ・レオーニ 年譜」森泉文美・松岡希代子著『だれも知らないレオ・レオーニ』玄光社、2020年、pp. 216-219 ※執筆担当者の表示なし
多木浩二『未来派 百年後を羨望した芸術家たち』コトニ社、2021年
遠藤知恵子(センター助手)
センター入り口で、センター蔵書(Z本)のミニ展示を行っております。
展示中の本
アデル・ジェラス『バレエものがたり』神戸万知訳、岩波少年文庫、2011年