2021年4月22日木曜日

熊沢健児の気になる企画展


 ドローイングとドキュメント

 

 渋谷区立松涛美術館で開催中の、フランシス・ベーコンのドローイング展。この企画展には、どうしても行きたかった。

外出時にはアルコールスプレーや予備のマスク、除菌シートといった感染予防グッズで鞄がパンパンになってしまいがちだが、館内の滞在時間をできるだけ短くできるよう、予防グッズ以外の荷物は極力減らして出かけた。美術館のロッカーは狭いスペースに設置されていることが多いので、使うときに他の来館者に接近してしまうことがあるからだ。

このご時世に外出なんて…と思っていたし、実際、かなり気を遣いながらの鑑賞だったが、それでも好奇心には抗えない。

 

フランシス・ベーコン(1909-1992)というと、油彩画の中で極端に歪められた人の顔を思い浮かべるのだが、今回の展示物の中心は、ドローイングである。

展示室に入って最初に出会う、一連のドローイング「X アルバム」(1950年代後半~1960年代前半)は、紙の表と裏に油彩やコンテ、鉛筆やチョークなどを使って濃厚に描かれている。ものによっては、写真を切り貼りして配置した上に描き込む、重層的なドローイングもある。

油彩画との関連をうかがわせるモチーフを描いたドローイングは、制作過程を知る手がかりとなる。間近で見られて、幸せだった。

今回、展示されていた「ワーキング・ドキュメンツ」もまた、ドローイング作品の一種と呼べると思うのだが(松涛美術館ホームページで見たプレス・リリースには「関連資料」と記されていた)、雑誌や新聞などの印刷物を切り取ったもの、特に印刷された写真が多かったのだが、それら一つ一つの印象的なイメージの上に、ペイントしたりひっかき傷をつけたりした、大量の紙片を見ることができた。また、激しい描き込みの見られる蔵書も、展示されていた。ベーコンの描き込みによって、複製物であるはずの書籍が、この世にひとつしかないものへと変身させられていた。

ベーコンが描き込んだ写真は、スポーツのイメージが多かった。ゆがんだタイヤをいくつも描き加えられた自転車や、体の動きを外からなぞるように無数の線を描き加えられたボクサーなど、写されたものの姿態が喚起する動きの印象を素直に(あるいは、諧謔的に)手でなぞっている、そんな印象を受けた。被写体の身体の動きを手でなぞったドローイングには、マンガの表現と通じ合うものを感じる。

 ドローイングとドキュメントをひととおり見終えると、1930年代に制作された小さな油彩画たちが待ち受けている。この時期のベーコンはシュルレアリスムに傾倒していたとか、キュビスムの影響を受けていたとか言われているけれども、どちらとも違うような気がした(それでは何なのだときかれてしまうと、よく分からない)。この時期の作品の多くはベーコン自身が廃棄してしまったとのことで、展示されていた油彩画は貴重な生き残りである。

 

 今回の企画展の主役は、画家が「これで終わり」と鑑賞者の前に差し出した作品ではなく、日々の制作活動の中で一つ一つ積み上げていったであろうドローイングとドキュメントだった。完結した一つの表現としてその環を閉じてしまうことのない、反復するイメージの魅力に後ろ髪をひかれながら、展示室を後にした。

 

熊沢健児(ぬいぐるみ・名誉研究員)

 

展覧会情報

フランシス・ベーコン バリー・ジュール・コレクションによる

―リース・ミューズ7番地、アトリエからのドローイング、ドキュメント―

会期:2021420日(火)-613日(日)

会場:渋谷区立松涛美術館


外出したので、待機用の段ボールに入った熊沢健児。
返却されたセンター蔵書とともにここで3日間過ごし、
体に付着しているかもしれないウイルスが死滅するのを待つ。

 

熊沢健児プロフィール

児童文化研究センターに住んでいる熊のぬいぐるみ。名誉研究員として、美術館の企画展や書籍、映画などの感想を書いてセンターブログに投稿する。実は氷河期世代の苦労人である。