2021年4月28日水曜日

【書評】ドリアン助川『あん』ポプラ文庫、2015年

 徳江さんの好きだった桜が、今年も咲いた。読後、ふとそんなことを考えた。原作を読むより先に、河瀬直美監督の映画を観てしまったから、徳江さんには樹木希林さんの面影が、千太郎には永瀬正敏さんの表情が、どうしても重なってくる。風の吹く音と、煮えてあんになっていく小豆の呟きが、いつまでも耳に残るような映画だった。

千太郎は、「つぶれはしないが、決して賑わうことのない」(10)どら焼き店、どら春の雇われ店長。徳江さんはその店にアルバイトを申し出た高齢の女性である。初めは徳江さんを雇うことを渋っていた千太郎だが、時給200円でいいという破格の条件と、徳江さんの煮るあんの美味しさに惹かれ、彼女を雇うことになる。

千太郎はあんだけ作ってもらえれば良い、そしてあわよくばあん作りの秘訣を盗んでやろうという心算だったが、徳江さんは千太郎のそんな思惑にはお構いなしに活き活きと働き、彼女のあんのおかげでどら春は繁盛する。だが、徳江さんがハンセン病の元患者であることが噂になると、客足は急速に遠のいていく。

何十年という年月をかけて塗り固められてきた巨大な偏見に対し、一個人のできることなんて、たかが知れている。だが、無力さに打ちひしがれているからこそ、現実に起きた出来事から目を逸らすことはできない。千太郎はハンセン病資料館で目にした写真で知った「舌読」に衝撃を受ける。

「舌読」は視力と手指の末端神経を侵された重症患者の方々が行なっていた、舌先の感覚で点字の凹凸を読み取る読書法である。食は本能的な欲求だし、舌に感じる喜びはある意味では原始的なものかもしれない。けれど、そんな原初的な感覚を備えた器官を、生命の維持とは直接かかわりのない、文化的な営みのために使う。本を舐める姿への驚きを突き詰めていくと、残された感覚を使って知的な営みを続けようとする、一人一人の存在の尊厳を見つけることができるのではないだろうか、そんな気がするのである。たった6行ほどの「舌読」の描写だが、この部分を読んでほかの人たちはどう感じるのだろう、ぜひ語り合ってみたいと思った。

涙はしょっぱい。だが、徳江さんの作るあんの、気品ある甘さは、悲しみに負けない。


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この書評は、2021年春に開催された書評コンクールの応募作品です(書評番号5)