2024年6月6日木曜日

ムナーリとレオーニ(42)

1957年


 今回も、年譜を読んでいこう。まずは、レオーニから。
 1957年、レオーニは妻ノーラとともにインドへ。3か月滞在し、『Fortune』1957年5月号にインドの産業についての写真ルポルタージュを寄稿した。同号の表紙には、レオーニが撮影した西ベンガル州ドゥルガプル・ダムの写真が使用されており、図録で図版を確認することができる。こうした、いかにもビジネス誌らしい記事や表紙についての記載を読んでいると、後年の絵本の仕事とのギャップを感じてしまう。でも、本当は、これは驚くようなことではない。レオーニはヴィットリオ・エマヌエーレⅡ世商業技術高等学校卒業、税理士の資格を持ち、ジェノヴァ大学経済商業学部を卒業するときにはダイヤモンド産業に関する論文を書いていたのだった(「レオ・レオーニ 年譜」1930年の事項、および森泉文美「『Fortune』での仕事」55ページを参照)。レオーニは学生の頃に学んだことを、20年以上の歳月を経て、アートの仕事に活かしている。
 一方、1957年のムナーリは、個展を2回開催している。1月にパリのクリストフル画廊でおこなった「直接の映写」の展示と、9月にミラノのサン・バビラ書店でおこなった展示である。また、この年に開催された第11回ミラノ・トリエンナーレでは、〈読めない本〉で金メダルを受賞。MACのグループ展も健在である。
 ところで、連載42回目にして気づいたことがある。このところ、ムナーリは毎年のように個展を開いているけれど、基本的に画廊か書店を会場としていて、百貨店を会場とする展示は年譜に一つも書かれていない。日本では明治の終わりごろから三越や高島屋といった百貨店が展覧会を開催するようになっており、歴史的に見ても、日本の美術展覧会に百貨店は欠かせない存在と言えるのだが、海外ではそうでもないのかもしれない。
 話をムナーリに戻そう。この年、ムナーリがデザインした《灰皿:クーボ》が発売されたり、パリで開催された「イタリア・インダストリアル・デザイン」展図録のグラフィック・デザインを監修したり、デザインの分野でも引き続き華々しく活動している。でも、私個人としては、『ドムス』誌332号に掲載されたという〈おしゃべりフォーク〉が一番気になる。おそらく既製品であろう、何の変哲もないフォークの歯を曲げるだけで(図録の249ページ、塚田美紀氏のコラムによると柄も曲げているらしいが、正直なところ、ちょっと見ただけだとよく分からない)、フォークがヒッチハイクしたり、煙草をくゆらせてみたり、乙に澄まして鑑賞者に背を向けてみたり(背中で語るフォークである)、人間の手のように表情豊かなものになる。ちなみに、図録の掲載図版をよく見てみると、ヒッチハイクのときのフォークは右手を、煙草を持つときのフォークは左手を演じている。ムナーリの〈おしゃべりフォーク〉は右利きだったのだろうか、それとも左利きだったのだろうか。

【書誌情報】
奥田亜希子編「ブルーノ・ムナーリ年譜」『ブルーノ・ムナーリ』求龍堂、2018年、pp.342-357
「レオ・レオーニ 年譜」『だれも知らないレオ・レオーニ』玄光社、2020年、pp.216-219 ※執筆担当者の表示なし
遠藤知恵子(センター助手)