2024年5月30日木曜日

ムナーリとレオーニ(41)

1956

 前回の補足になるが、「ブルーノ・ムナーリ年譜」によると、『闇の夜に』は1955年に出版されているが、図録に図版が収録された初版本の出版年は1956年と表示されている。また、同じ『闇の夜に』がもとになっているらしい、白い正方形のフレームに収められたコラージュ作品の図版も、4点収録されている。

 これら4点のコラージュ作品は、1967年のものである。個展から12年も経ってから作られたものだから、当時のものとは別の作品なのだろうなと思うけれど、真っ白な背景に、貼り込まれた黒や茶色の紙がよく映える。黒い紙の部分には梯子を担ぐ人や猫の姿が青いシルエットで描かれていて、暗闇のなかをとことこ歩いたり、猫どうしベンチに座って頬を寄せ合ったり。図版4点のうち2点は、吹き出しに台詞が一言入っているけれど、真黒な背景に青い文字で書かれた言葉が何やら秘密めいているように見えてしまう。絵柄の興味深さはもちろんのこと、鋏かカッターで切った直線と手でちぎった曲線、くしゃくしゃっと丸めてできたしわなど、紙の質感が存分に活かされているのもこれらのコラージュ作品の魅力である。この『闇の夜に』は雑誌『アイデア』17号に取り上げられた。『アイデア』は、1954年に《凹凸》などの作品を紹介していた日本の雑誌である。

 1956年の年譜を読んでいくと、まず、22日、動画作家のマルチェッロ・ピッカルドと共に企画した「工作は簡単」というテレビ番組の初回が放送される。作品展示は個展を一回開催。展覧会名は「空想のオブジェの理論的再構成」、場所はミラノのサレッタ・デッラルテ・サン・バビラである。また、エンツォ・マーリとともにデザインしたエスプレッソ・マシン《ディアマンテ》がデザイン・コンペで優勝する。テレビ番組の企画とか、コンペで優勝とか、ムナーリの活躍ぶりがすごすぎて、このあたりの事項については、読んで意味を理解することはできても、想像することができない…。

 同じ年、レオーニも賞をもらっている。オリヴェッティ・サンフランシスコ店のデザインを建築家のジョルジョ・カヴァリエーリと一緒に前年の1955年におこなっていたのだが、それがArchitectural Leagueの金賞を受賞したそうだ。オリヴェッティはタイプライターの製造・販売会社であるが、レオーニはサンフランシスコ店のほかにシカゴ店のデザインも担当した。森泉文美「オリヴェッティ・アメリカ支店との仕事」(p.76)によると、「当時オリヴェッティのショールームは現在のアップルストアのように製品と展示空間の両方を体験できる場として捉えられて」いたそうだ。森泉によると、サンフランシスコ店が評価されたポイントは「展示の組み換えが可能な流動性」と「愉快さをともなった秩序」。「愉快さをともなった秩序」には、森泉のテキストに鍵括弧がついていてArchitectural Forum19547月号や195631日付のNew York Timesといった参照文献を、註で示している。

 レオーニの図録を読んでいて、オリヴェッティのショールームはアップルストアのような場所、という森泉さんの形容があまりにも分かりやすくて思わず笑ってしまった。もちろん、1956年当時、アップルストアはまだ登場していない。初代Macintoshが発売されたのは1984年、Windows OSの登場は1985年と、ずっと後のことである。レオーニとムナーリの壮年期はコンピュータがまだ遠い存在だった時代で、タイプライターが当たり前に使われていた。そういえば、1960年代のミシシッピを舞台とした映画『ヘルプ 心がつなぐストーリー』(2011年、アメリカ)でも、主役のゲイリー・オールドマンがチャーチル元首相そっくりでびっくりした『ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男』(2017年、イギリス)でも、原稿を作るときにはタイプライターを使っていた(映画で観るタイプライター、格好良かったな…)。

触れたことすらないタイプライターだが、映画であの、ちょっとうるさいガチャガチャという音を聴くと、郷愁を感じてしまう。

 

【書誌情報】

奥田亜希子編「ブルーノ・ムナーリ年譜」『ブルーノ・ムナーリ』求龍堂、2018年、pp.342-357

「レオ・レオーニ 年譜」『だれも知らないレオ・レオーニ』玄光社、2020年、pp.216-219 ※執筆担当者の表示なし

遠藤知恵子(センター助手)