1954年
1954年、レオーニはMoMAの展覧会「アメリカのグラフィックデザイナー4人展」(Four American Graphic Designers 2月9日-4月4日)に参加した(*)。参加したデザイナーはレオーニのほか、ベン・シャーン(1898-1969)、ノエル・マーティン(1922-2009)、ハーバート・マター(1907-1984)。この展示について、図録に収録された森文美「グラフィックデザイン:アメリカ時代」ではこんなふうに解説している。
1954年MoMAで当時もっとも実験的なグラフィックデザイナーの広告デザイン展が開催された際にも、社会的な事件を扱った作品で知られるベン・シャーン、フォトモンタージュの先駆者ハーバート・マター、美術館の図録デザインを一新したノエル・マーティンと共に取り上げられました。(p.38)
私がいま年譜を読んでいる図録『だれも知らないレオ・レオーニ』には、『Fortune』1954年6月号の記事レイアウト「7人の画家と1つのマシン」が掲載されている。ベン・シャーンもこの企画に参加しているのだが、最新の石炭採掘マシンを7人の画家が描くという面白い試みで、図録で確認できる4点の絵を見ただけでも、とても同じ機械を描いたとは思えないくらい個性豊かだ。図録ではこれを、レオーニが『Fortune』誌上で行なった「実験的な企画」(森泉文美「だれも知らなかったレオ・レオーニ」p.209)の例として紹介しているのだが、間違いなく、実験は大成功!である。
この年のレオーニは、『Sports Illustrated』のデザインを手がけたほか、ニューヨークのパーソンズ・デザイン学校のグラフィック・広告デザイン学部長を務める。また、三越の展覧会のため来日した。
一方のムナーリは、この年、ピゴンマ社の玩具《子ざるのジジ》で第1回コンパッソ・ドーロ賞(工業製品を対象とするデザインの賞)を受賞する。そして、思わず叫びそうになったのが、次の一文。
ニューヨーク近代美術館とレオ・レオーニの写真スタジオで〈直接の映写〉を上映する。(p.346)
レオーニの年譜では、一言も触れられていなかった(とはいえ、レオーニの図録はムナーリのそれと比べて小さいし、ページ数もやや少ないから、致し方ないことではある)。それにしても、年譜を読むようになって初めて、二人の接点に直接触れる文を見た。
《直接の映写》はスライドにさまざまな素材をはめ込み、プロジェクターで白い壁に直接映写する。羽・糸・色付きセロファン・紙・布・植物の一部といった素材を透った光でえがく、重さのない絵だ(**)。映写機とスライドとちょっとした素材があれば、誰でも好きなときに、好きなところに、光の絵を表現することができる。カンバスや板などの支持体からも解放され、どこまでも身軽な創作活動である。
光でえがくというと、現在のプロジェクションマッピングを連想しそうになるけれど、《直接の映写》は最小限の手仕事を伴う、手作りの光である。ものを作るということを軽やかに楽しむことができるという点で、《直接の映写》は人間の創造の喜びに寄り添ってくれる装置だと言うことができそうだ。出来上がった光の絵を楽しむのはもちろんだが、それと同じくらい、過程が大事なのだろう。
1954年のムナーリはこの《直接の映写》の上映のほか、3つのグループ展に参加し、1つの個展を開いている。また、日本で出版されている『アイデア』第4号にムナーリの《凹凸》などの作品が紹介される。『アイデア』は1953年に創刊された誠文堂新光社の広告美術を扱う雑誌(***)だが、それに掲載されたという《凹凸》は吊り下げ式の動く彫刻、モビルにしか見えない。広告美術と一体どんなかかわりがあるのだろうかと図録をパラパラめくって眺めていたら、ルカ・ザッファラーノの「ブルーノ・ムナーリ:変容し続けるかたちのクリエーター」という論考に「工業製品であるメッシュという物体は」(p.302)という文言があるのを発見した。この作品について言及するなかで出てきたフレーズである。
…なるほど、そういうことか!
作品の素材は、その作品が成立する背景や、作品そのものが意味する何事かを暗示するメタファーになることがある(その点、架空の空間を巧みな筆遣いによって虚構するたぐいの、写実的な絵画作品とは大きく異なっている。その種の絵画作品を見るとき、鑑賞者はその筆致のすばらしさに感動することもあるけれど、基本的には絵の具やカンバスといった物質の存在は無視して作品に描かれた空間を思いながら画面を見つめる)。ムナーリはグラフィックデザインや工業デザインなど、経済という大きな機械を回す歯車となるデザインと深いかかわりを保ちつつ、作品づくりをしている。だから、経済活動を視覚的に支える広告美術を扱う雑誌と、工業製品を素材とする《凹凸》という作品はとても近しい間柄にあるのだ。この点においては、レオーニの作品づくりについても、同じことが言える。ムナーリもレオーニも、経済の歯車をくるくると忙しく回し、同時に自分自身も社会を回す歯車となりながら、楽しげなデザインの仕事を続けているのである。
【書誌情報】
奥田亜希子編「ブルーノ・ムナーリ年譜」『ブルーノ・ムナーリ』求龍堂、2018年、pp.342-357
「レオ・レオーニ 年譜」『だれも知らないレオ・レオーニ』玄光社、2020年、pp.216-219 ※執筆担当者の表示なし
ルカ・ザッファラーノ執筆、田丸公美子訳「ブルーノ・ムナーリ:変容し続けるかたちのクリエーター」『ブルーノ・ムナーリ』求龍堂、2018年、pp.299-306
*“Four American Graphic Designers.” MoMA.
https://www.moma.org/calendar/exhibitions/3313, (参照2024年5月9日)
** 盛本直美「直接の映写」(p.135)およびスライドの図版《直接の映写》(1951年、pp.134-135)を参照。
***小野英志“『アイデア』.”アートスケープ.https://artscape.jp/artword/5468/,
(参照2024年5月9日)