1953年
今回も、ムナーリの年譜を見ていきたい。
1953年のムナーリは、6つのグループ展に参加し、個展を1回、開催している。年譜からはムナーリの活動の中心地はヨーロッパだったことがうかがえるが、この年はニューヨークでも、個展とグループ展を1回ずつ開催している。この年は展覧会だけでなく、映像の上映(《直接の映写》10月13日、ミラノ、ストゥディオB24)も行なった。さらに、この年から1954年まで、MACの会長を務めることになるなど、ムナーリの年譜はどの年を見ても盛りだくさんである。
個展はイタリアン・ブック・アンド・クラフトで5月14日に開催された「読めない本——ブルーノ・ムナーリの読めない本とコラージュ」というタイトルのもので、ムナーリは『読めない本No.20』を制作したそうだ。グループ展は「建築・デザイン部門 1946-1953年新収蔵品展」(12月23日-翌年2月22日)というもので、ニューヨーク近代美術館で開催された。同館は1929年に開館し、建築・デザイン部門は1932年に設置された(ちなみに、1932年のムナーリはといえば、未来派の一員であると同時に新進気鋭のデザイナーでもあり、『カンパリの吟遊詩人』第5集の挿絵を手がけていた)。
MoMAのホームページで公開されている、「建築・デザイン部門 1946-1953年新収蔵品展」の作品リスト(*)には、Graphic Designという分類のもと、ムナーリが寄贈したというレターヘッド(c. 1950)が記載されている。また、MoMA所蔵のムナーリ作品一覧(**)には、1935年制作と推定されるレターヘッドが3点載っている。1953年に展示されたものとは別のレターヘッドのようだが、面白いことに気がついた。3点とも、“Mazzotti Ceramics letterhead(Letter from Tullio Mazzotti to Luigi Scrivio”という名で、建築・デザイン部門の収蔵品と表示されているのである。ここに見られるTullio Mazzottiという名前には、覚えがある。
MoMAの収蔵品となったレターヘッドを用いて手紙を出したTullio Mazzottiは、「ブルーノ・ムナーリ年譜」では「トゥッリオ・ダルビゾラ」(p.342)、「レオ・レオーニ 年譜」では「アルビソーラのトゥーリオ・マッツォッティ」(p.216)の名で登場する、あのTullio d’Albisolaである。ムナーリは1927年に、レオーニは1929年に、同じTullio Mazzottiのもとでそれぞれ陶芸を学び、制作していた。
ムナーリとレオーニの年譜を読み比べるこの連載はもともと、「ムナーリとレオーニが、もしも今の日本のどこかの美術館で二人展を催したなら、どんな展示構成になるだろう」という思いつきから始まった。わずかな予備知識しかもたないなかで彼らの年譜を読み比べ、読み進めてきて、ふたりの共通点を初めてはっきりと意識するようになったのは、このTullio Mazzottiがきっかけだった。MoMAのサイトで再びこの名前に、しかもムナーリの作品を通じて出会うことになるとは思いもしなかった。
ところで、去る5月5日はレオーニの114回目の誕生日だった。ちょっと遅くなってしまったけれど、今度の週末、エスプレッソとマリトッツォで、こっそりお祝いしよう。
【書誌情報】
奥田亜希子編「ブルーノ・ムナーリ年譜」『ブルーノ・ムナーリ』求龍堂、2018年、pp.342-357
「レオ・レオーニ 年譜」『だれも知らないレオ・レオーニ』玄光社、2020年、pp.216-219 ※執筆担当者の表示なし
*“Recent Acquisitions, 1946–1953: Department of Architecture and Design.” MoMA.
https://www.moma.org/calendar/exhibitions/1796 (参照2024年5月9日)
** “Works.” MoMA. https://www.moma.org/artists/4163#works (参照2024年5月9日)
遠藤知恵子(センター助手)