2024年5月2日木曜日

ムナーリとレオーニ(37)

1952

 1952年のムナーリは、2つの個展を開催し、8つのグループ展に参加している。個展・グループ展を1年のうちに全部で10回開催。これまで見てきたなかで、一番、展覧会の多い年なのではないだろうか。

2回あった個展のうちのひとつは「彫塑的な四角い絵画と新しい役に立たない機械」(315-30日、ミラノ、ベルガミーニ画廊)というもの。1950年のモッタ社のパヴィリオンでもこの〈役に立たない機械〉シリーズは健在だったが、「新しい」という形容のついた1952年の〈役に立たない機械〉はどんなものだったのだろう。《役に立たない機械》を年譜で確認できるのは1930年以降。20年以上ものあいだ、「役に立たない」ことを続けるのは、結構大変だったのではないだろうか。

8回あったグループ展のうち、5つの展覧会タイトルに「具体」や「MAC」といった言葉や文字が見られる。ムナーリは1948年に設立したMAC(具体芸術運動)にも引き続き参加しているのだが、個人的に、ちょっと面白いなと思うのが、この一文である。

 

「機械主義宣言」、「総合芸術宣言」、「解体宣言」、「有機的芸術宣言」が掲載されたMAC会報『具体芸術』10号が出版される。(p.346

 

 「宣言」が4つもある。この一文を読んで、「宣言と言えば、未来派だよね」などと思いながら年譜を遡っていたら、1938年のところに「「機械主義宣言」をまとめる。(発表は1952年)」(p.344)と書いてあるのを見つけた。ムナーリは第二次世界大戦中に、未来派とは距離を置くようになったそうだが(盛本直美「未来派」p.30)、当時の芸術運動と完全に決別してしまったわけではなく、連続性を保ちながら次の運動に進んでいることが分かる。

なお、レオーニの年譜には、「1952年」と「1953年」がない。その間もレオーニが忙しく活躍していたことは間違いないが、目新しいことを始めるというよりは、前の年や、その前からやっていたことに引き続き取り組んでいた期間だったのかもしれない。

 

【書誌情報】

奥田亜希子編「ブルーノ・ムナーリ年譜」『ブルーノ・ムナーリ』求龍堂、2018年、pp.342-357

「レオ・レオーニ 年譜」『だれも知らないレオ・レオーニ』玄光社、2020年、pp.216-219 ※執筆担当者の表示なし

 

遠藤知恵子(センター助手)