2024年5月31日金曜日

リレー展示「本について話そう」

2024年度テーマ

児童文学・児童文化を
初めて学ぶ人が読んでおきたい
基本図書

1冊目の本:石井桃子ほか著『子どもと文学』
本のタイトルをクリックすると、リンク先のキャプションを読むことができます。

 オープンキャンパスの時期に合わせて、「児童文学・児童文化を初めて学ぶ人が読んでおきたい基本図書」をテーマにリレー展示を行ないます。展示場所は児童文化研究センター入り口の、メールボックスの上です。
 大学院生や構成員の皆さまにとっては、初心の頃に読んだ懐かしい本ばかりかもしれません。「どれもみんな、知っている本ばかりだよ」という方々も、よろしければ、お付き合いいただけましたら幸いです。

2024年5月30日木曜日

ムナーリとレオーニ(41)

1956

 前回の補足になるが、「ブルーノ・ムナーリ年譜」によると、『闇の夜に』は1955年に出版されているが、図録に図版が収録された初版本の出版年は1956年と表示されている。また、同じ『闇の夜に』がもとになっているらしい、白い正方形のフレームに収められたコラージュ作品の図版も、4点収録されている。

 これら4点のコラージュ作品は、1967年のものである。個展から12年も経ってから作られたものだから、当時のものとは別の作品なのだろうなと思うけれど、真っ白な背景に、貼り込まれた黒や茶色の紙がよく映える。黒い紙の部分には梯子を担ぐ人や猫の姿が青いシルエットで描かれていて、暗闇のなかをとことこ歩いたり、猫どうしベンチに座って頬を寄せ合ったり。図版4点のうち2点は、吹き出しに台詞が一言入っているけれど、真黒な背景に青い文字で書かれた言葉が何やら秘密めいているように見えてしまう。絵柄の興味深さはもちろんのこと、鋏かカッターで切った直線と手でちぎった曲線、くしゃくしゃっと丸めてできたしわなど、紙の質感が存分に活かされているのもこれらのコラージュ作品の魅力である。この『闇の夜に』は雑誌『アイデア』17号に取り上げられた。『アイデア』は、1954年に《凹凸》などの作品を紹介していた日本の雑誌である。

 1956年の年譜を読んでいくと、まず、22日、動画作家のマルチェッロ・ピッカルドと共に企画した「工作は簡単」というテレビ番組の初回が放送される。作品展示は個展を一回開催。展覧会名は「空想のオブジェの理論的再構成」、場所はミラノのサレッタ・デッラルテ・サン・バビラである。また、エンツォ・マーリとともにデザインしたエスプレッソ・マシン《ディアマンテ》がデザイン・コンペで優勝する。テレビ番組の企画とか、コンペで優勝とか、ムナーリの活躍ぶりがすごすぎて、このあたりの事項については、読んで意味を理解することはできても、想像することができない…。

 同じ年、レオーニも賞をもらっている。オリヴェッティ・サンフランシスコ店のデザインを建築家のジョルジョ・カヴァリエーリと一緒に前年の1955年におこなっていたのだが、それがArchitectural Leagueの金賞を受賞したそうだ。オリヴェッティはタイプライターの製造・販売会社であるが、レオーニはサンフランシスコ店のほかにシカゴ店のデザインも担当した。森泉文美「オリヴェッティ・アメリカ支店との仕事」(p.76)によると、「当時オリヴェッティのショールームは現在のアップルストアのように製品と展示空間の両方を体験できる場として捉えられて」いたそうだ。森泉によると、サンフランシスコ店が評価されたポイントは「展示の組み換えが可能な流動性」と「愉快さをともなった秩序」。「愉快さをともなった秩序」には、森泉のテキストに鍵括弧がついていてArchitectural Forum19547月号や195631日付のNew York Timesといった参照文献を、註で示している。

 レオーニの図録を読んでいて、オリヴェッティのショールームはアップルストアのような場所、という森泉さんの形容があまりにも分かりやすくて思わず笑ってしまった。もちろん、1956年当時、アップルストアはまだ登場していない。初代Macintoshが発売されたのは1984年、Windows OSの登場は1985年と、ずっと後のことである。レオーニとムナーリの壮年期はコンピュータがまだ遠い存在だった時代で、タイプライターが当たり前に使われていた。そういえば、1960年代のミシシッピを舞台とした映画『ヘルプ 心がつなぐストーリー』(2011年、アメリカ)でも、主役のゲイリー・オールドマンがチャーチル元首相そっくりでびっくりした『ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男』(2017年、イギリス)でも、原稿を作るときにはタイプライターを使っていた(映画で観るタイプライター、格好良かったな…)。

触れたことすらないタイプライターだが、映画であの、ちょっとうるさいガチャガチャという音を聴くと、郷愁を感じてしまう。

 

【書誌情報】

奥田亜希子編「ブルーノ・ムナーリ年譜」『ブルーノ・ムナーリ』求龍堂、2018年、pp.342-357

「レオ・レオーニ 年譜」『だれも知らないレオ・レオーニ』玄光社、2020年、pp.216-219 ※執筆担当者の表示なし

遠藤知恵子(センター助手)

2024年5月29日水曜日

講演会のお知らせ ※終了しました

第72回 児童文化研究センター研究会 白井澄子先生講演会

TVシリーズ「アンという名の少女」の挑戦

おかげさまで、大盛況のうちに終了いたしました。

 元本学教授(現非常勤講師)でカナダの児童文学がご専門である白井澄子先生をお招きし、講演会を開催いたします。

日時:2024年7月27日(土)13:00~15:00 ※終了時刻は予定
会場:白百合女子大学 R.3203(3号館2階)

 参加ご希望の方は、2024年7月25日12時までに、参加申し込みフォームよりお申し込みください。定員になり次第、締め切らせていただきます。

お申し込みフォームはこちら

 皆様のご参加を、心よりお待ちしております。

2024年5月24日金曜日

ミニ展示 5月24日~6月7日

 センター入り口で、センター蔵書のミニ展示を行っております。

『ヒマラヤのふえ』

A. ラマチャンドラン さく・え きじま はじめ やく

木城えほんの郷 2003年

 展示期間中も貸し出しをすることができます。どうぞお気軽にご利用ください。

 絵本コーナーはセンター入り口から見て左奥の窓際にあります。本棚に日よけの暖簾がかかっているのが目印です。

2024年5月23日木曜日

ムナーリとレオーニ(40)

1955年 

 1955年のムナーリは、3つのグループ展に参加し、個展も3回開催している。また、前年にアメリカ(ニューヨーク近代美術館とレオ・レオーニの写真スタジオ)で上映した〈直接の映写〉を5月にローマ国立近代美術館で開催しており、この年に開いた3つの個展のうちの一つは、フィレンツェ、ヌーメロ画廊で行われた〈直接の映写〉の展示である。MACでの活動ももちろん続いているし、ニューヨーク近代美術館ではアルヴィン・ラスティグ(1915-1955)との二人展を開催している。コンパッソ・ドーロ賞も2年連続で受賞した。ものすごく活躍していて、評価もされている。しかし、個人的には、そうした業界からの評価よりもずっと、ミラノのモンテナポレオーネ6A画廊で開催された「闇の夜に」展が気になる。この個展は、同年に出版された絵本『闇の夜に』の展覧会だという。年譜では「本を素材にした、子供部屋に飾るコラージュも展示する」(p.346)と説明されているのだが、本が素材になるとは、一体、どういうことだろうか。どんな展示だったのだろう。年譜に書かれるくらいだから、ネット上のどこかに写真画像くらいあってもおかしくないのだが、見つからない。…仕方ない、今回はペンディングということにしておこう(展示風景の画像よ、いつかきっと、この手で見つけ出してやるからな!)。

 ムナーリが1945年から子どものための絵本を制作していたのに対し、レオーニが子どもに向けた絵本を作るのはもう少し後になってからである。

1955年のレオーニは、MoMAで開催された「The Family of Man(人間家族)」展のポスターと図録をデザインした。当時の写真部門のディレクターだったエドワード・スタイケン(1879-1973)が企画したこの展示は、MoMAのウェブサイトで検索すると、“the exhibition took the form of a photo essay” (*)、すなわち、この企画展はフォト・エッセイの形式を取ったとのことである。会場での展示は、人の誕生から死までの普遍的な営み(衣・食・住、遊び、労働、戦争と平和など)を表す写真を通じて、人類の連帯をストレートに呼びかける内容だった。MoMAのサイトで展示風景を見ることができるが、いかんせんキャプションの文字が小さすぎて読めない。こんなふうに過去の展示について知りたくてもどかしい思いをするとき、図録というものがいかに貴重な資料であるかを身にしみて感じるのである。

レオーニがデザインした「The Family of Man(人間家族)」展図録について、森泉文美は「だれも知らなかったレオ・レオーニ」で「左右非対称性、不規則性、大小のコントラスト、大胆な裁ち落としなどが用いられ、レオらしいレイアウト」(p.207)と評する(おっしゃる通り!)。そして、文字の配置も絶妙なバランスである。ページをめくるごとに動きがあって楽しい。上述のMoMAのサイトによると、写真の撮影者は273人、国にすると68か国。写真とともに組まれている言葉もまた、さまざまな国や地域の著述家の言葉から選ばれている(旧約聖書、ジェイムズ・ジョイス、プエブロ・インディアンの知恵の言葉、エウリピデス…)。日本からの選出は、岡倉覚三の『茶の本』と空海の『秘蔵宝鑰』(ひぞうほうやく。密教の奥義を記した書物)。『茶の本』はもともと英語で書かれた本だが、岡倉の『茶の本』に見られる『秘蔵宝鑰』からの引用と「The Family of Man(人間家族)」展図録での引用が、まるきり同じ“Flow, flow, flow, the current of life is ever onward”なので少々驚いた。ちなみに、現代語訳を『茶の本』で確認すると、「往く、往く、往く、往く、生命の潮流は停ることがない」で、原文は「生生生生暗生始」(**)。MoMAのキャプションは『茶の本』からの孫引きなのだろうか? それとも、フェノロサのような仏教徒となった人たちか、欧米の研究者のうちの誰かが先に英訳していて、岡倉もその訳に倣ったのだろうか?

今回は、時間をかけて調べたくなるような疑問が二つも出てきた。1955年は、面白い年である。

 

【書誌情報】

奥田亜希子編「ブルーノ・ムナーリ年譜」『ブルーノ・ムナーリ』求龍堂、2018年、pp.342-357

「レオ・レオーニ 年譜」『だれも知らないレオ・レオーニ』玄光社、2020年、pp.216-219 ※執筆担当者の表示なし

The Family of Man. Museum of Modern Art, New York, 1983(30th anniversary ed).

*“The Family of Man. MoMA.

https://www.moma.org/calendar/exhibitions/2429 (参照2024516)

**岡倉天心『英文収録 茶の本』桶谷秀昭訳、講談社学術文庫、1994年。英文・現代語訳・原文の引用はそれぞれ、p.149p.84p.104

遠藤知恵子(センター助手)

2024年5月16日木曜日

ムナーリとレオーニ(39)

1954

 1954年、レオーニはMoMAの展覧会「アメリカのグラフィックデザイナー4人展」(Four American Graphic Designers 29-44日)に参加した(*)。参加したデザイナーはレオーニのほか、ベン・シャーン(1898-1969)、ノエル・マーティン(1922-2009)、ハーバート・マター(1907-1984)。この展示について、図録に収録された森文美「グラフィックデザイン:アメリカ時代」ではこんなふうに解説している。


1954MoMAで当時もっとも実験的なグラフィックデザイナーの広告デザイン展が開催された際にも、社会的な事件を扱った作品で知られるベン・シャーン、フォトモンタージュの先駆者ハーバート・マター、美術館の図録デザインを一新したノエル・マーティンと共に取り上げられました。(p.38

 

私がいま年譜を読んでいる図録『だれも知らないレオ・レオーニ』には、『Fortune19546月号の記事レイアウト「7人の画家と1つのマシン」が掲載されている。ベン・シャーンもこの企画に参加しているのだが、最新の石炭採掘マシンを7人の画家が描くという面白い試みで、図録で確認できる4点の絵を見ただけでも、とても同じ機械を描いたとは思えないくらい個性豊かだ。図録ではこれを、レオーニが『Fortune』誌上で行なった「実験的な企画」(森泉文美「だれも知らなかったレオ・レオーニ」p.209)の例として紹介しているのだが、間違いなく、実験は大成功!である。

 この年のレオーニは、『Sports Illustrated』のデザインを手がけたほか、ニューヨークのパーソンズ・デザイン学校のグラフィック・広告デザイン学部長を務める。また、三越の展覧会のため来日した。

 一方のムナーリは、この年、ピゴンマ社の玩具《子ざるのジジ》で第1回コンパッソ・ドーロ賞(工業製品を対象とするデザインの賞)を受賞する。そして、思わず叫びそうになったのが、次の一文。

 

ニューヨーク近代美術館とレオ・レオーニの写真スタジオで〈直接の映写〉を上映する。(p.346

 

 レオーニの年譜では、一言も触れられていなかった(とはいえ、レオーニの図録はムナーリのそれと比べて小さいし、ページ数もやや少ないから、致し方ないことではある)。それにしても、年譜を読むようになって初めて、二人の接点に直接触れる文を見た。

 《直接の映写》はスライドにさまざまな素材をはめ込み、プロジェクターで白い壁に直接映写する。羽・糸・色付きセロファン・紙・布・植物の一部といった素材を透った光でえがく、重さのない絵だ(**)。映写機とスライドとちょっとした素材があれば、誰でも好きなときに、好きなところに、光の絵を表現することができる。カンバスや板などの支持体からも解放され、どこまでも身軽な創作活動である。

光でえがくというと、現在のプロジェクションマッピングを連想しそうになるけれど、《直接の映写》は最小限の手仕事を伴う、手作りの光である。ものを作るということを軽やかに楽しむことができるという点で、《直接の映写》は人間の創造の喜びに寄り添ってくれる装置だと言うことができそうだ。出来上がった光の絵を楽しむのはもちろんだが、それと同じくらい、過程が大事なのだろう。

1954年のムナーリはこの《直接の映写》の上映のほか、3つのグループ展に参加し、1つの個展を開いている。また、日本で出版されている『アイデア』第4号にムナーリの《凹凸》などの作品が紹介される。『アイデア』は1953年に創刊された誠文堂新光社の広告美術を扱う雑誌(***)だが、それに掲載されたという《凹凸》は吊り下げ式の動く彫刻、モビルにしか見えない。広告美術と一体どんなかかわりがあるのだろうかと図録をパラパラめくって眺めていたら、ルカ・ザッファラーノの「ブルーノ・ムナーリ:変容し続けるかたちのクリエーター」という論考に「工業製品であるメッシュという物体は」(p.302)という文言があるのを発見した。この作品について言及するなかで出てきたフレーズである。

…なるほど、そういうことか!

作品の素材は、その作品が成立する背景や、作品そのものが意味する何事かを暗示するメタファーになることがある(その点、架空の空間を巧みな筆遣いによって虚構するたぐいの、写実的な絵画作品とは大きく異なっている。その種の絵画作品を見るとき、鑑賞者はその筆致のすばらしさに感動することもあるけれど、基本的には絵の具やカンバスといった物質の存在は無視して作品に描かれた空間を思いながら画面を見つめる)。ムナーリはグラフィックデザインや工業デザインなど、経済という大きな機械を回す歯車となるデザインと深いかかわりを保ちつつ、作品づくりをしている。だから、経済活動を視覚的に支える広告美術を扱う雑誌と、工業製品を素材とする《凹凸》という作品はとても近しい間柄にあるのだ。この点においては、レオーニの作品づくりについても、同じことが言える。ムナーリもレオーニも、経済の歯車をくるくると忙しく回し、同時に自分自身も社会を回す歯車となりながら、楽しげなデザインの仕事を続けているのである。

 

【書誌情報】

奥田亜希子編「ブルーノ・ムナーリ年譜」『ブルーノ・ムナーリ』求龍堂、2018年、pp.342-357

「レオ・レオーニ 年譜」『だれも知らないレオ・レオーニ』玄光社、2020年、pp.216-219 ※執筆担当者の表示なし

ルカ・ザッファラーノ執筆、田丸公美子訳「ブルーノ・ムナーリ:変容し続けるかたちのクリエーター」『ブルーノ・ムナーリ』求龍堂、2018年、pp.299-306

*“Four American Graphic Designers.MoMA.

https://www.moma.org/calendar/exhibitions/3313, (参照202459日)

** 盛本直美「直接の映写」(p.135)およびスライドの図版《直接の映写》(1951年、pp.134-135)を参照。

***小野英志“『アイデア』.”アートスケープ.https://artscape.jp/artword/5468/, (参照202459日)

遠藤知恵子(センター助手)

2024年5月10日金曜日

ミニ展示 5月10日~23日

 センター入り口で、センター蔵書のミニ展示を行っております。

上橋菜穂子と〈精霊の守り人〉展
世田谷文学館/NHKサービスセンター 企画・校正・編集
NHKサービスセンター 2016年

 展示期間中も貸し出しをすることができます。どうぞお気軽にご利用ください。

2024年5月9日木曜日

ムナーリとレオーニ(38)

 1953年

 今回も、ムナーリの年譜を見ていきたい。

 1953年のムナーリは、6つのグループ展に参加し、個展を1回、開催している。年譜からはムナーリの活動の中心地はヨーロッパだったことがうかがえるが、この年はニューヨークでも、個展とグループ展を1回ずつ開催している。この年は展覧会だけでなく、映像の上映(《直接の映写》10月13日、ミラノ、ストゥディオB24)も行なった。さらに、この年から1954年まで、MACの会長を務めることになるなど、ムナーリの年譜はどの年を見ても盛りだくさんである。

 個展はイタリアン・ブック・アンド・クラフトで5月14日に開催された「読めない本——ブルーノ・ムナーリの読めない本とコラージュ」というタイトルのもので、ムナーリは『読めない本No.20』を制作したそうだ。グループ展は「建築・デザイン部門 1946-1953年新収蔵品展」(12月23日-翌年2月22日)というもので、ニューヨーク近代美術館で開催された。同館は1929年に開館し、建築・デザイン部門は1932年に設置された(ちなみに、1932年のムナーリはといえば、未来派の一員であると同時に新進気鋭のデザイナーでもあり、『カンパリの吟遊詩人』第5集の挿絵を手がけていた)。

 MoMAのホームページで公開されている、「建築・デザイン部門 1946-1953年新収蔵品展」の作品リスト(*)には、Graphic Designという分類のもと、ムナーリが寄贈したというレターヘッド(c. 1950)が記載されている。また、MoMA所蔵のムナーリ作品一覧(**)には、1935年制作と推定されるレターヘッドが3点載っている。1953年に展示されたものとは別のレターヘッドのようだが、面白いことに気がついた。3点とも、“Mazzotti Ceramics letterhead(Letter from Tullio Mazzotti to Luigi Scrivio”という名で、建築・デザイン部門の収蔵品と表示されているのである。ここに見られるTullio Mazzottiという名前には、覚えがある。

 MoMAの収蔵品となったレターヘッドを用いて手紙を出したTullio Mazzottiは、「ブルーノ・ムナーリ年譜」では「トゥッリオ・ダルビゾラ」(p.342)、「レオ・レオーニ 年譜」では「アルビソーラのトゥーリオ・マッツォッティ」(p.216)の名で登場する、あのTullio d’Albisolaである。ムナーリは1927年に、レオーニは1929年に、同じTullio Mazzottiのもとでそれぞれ陶芸を学び、制作していた。

 ムナーリとレオーニの年譜を読み比べるこの連載はもともと、「ムナーリとレオーニが、もしも今の日本のどこかの美術館で二人展を催したなら、どんな展示構成になるだろう」という思いつきから始まった。わずかな予備知識しかもたないなかで彼らの年譜を読み比べ、読み進めてきて、ふたりの共通点を初めてはっきりと意識するようになったのは、このTullio Mazzottiがきっかけだった。MoMAのサイトで再びこの名前に、しかもムナーリの作品を通じて出会うことになるとは思いもしなかった。


 ところで、去る5月5日はレオーニの114回目の誕生日だった。ちょっと遅くなってしまったけれど、今度の週末、エスプレッソとマリトッツォで、こっそりお祝いしよう。


【書誌情報】

奥田亜希子編「ブルーノ・ムナーリ年譜」『ブルーノ・ムナーリ』求龍堂、2018年、pp.342-357

「レオ・レオーニ 年譜」『だれも知らないレオ・レオーニ』玄光社、2020年、pp.216-219 ※執筆担当者の表示なし

*“Recent Acquisitions, 1946–1953: Department of Architecture and Design.” MoMA.

https://www.moma.org/calendar/exhibitions/1796 (参照2024年5月9日)

** “Works.” MoMA. https://www.moma.org/artists/4163#works (参照2024年5月9日)


遠藤知恵子(センター助手)

2024年5月2日木曜日

ムナーリとレオーニ(37)

1952

 1952年のムナーリは、2つの個展を開催し、8つのグループ展に参加している。個展・グループ展を1年のうちに全部で10回開催。これまで見てきたなかで、一番、展覧会の多い年なのではないだろうか。

2回あった個展のうちのひとつは「彫塑的な四角い絵画と新しい役に立たない機械」(315-30日、ミラノ、ベルガミーニ画廊)というもの。1950年のモッタ社のパヴィリオンでもこの〈役に立たない機械〉シリーズは健在だったが、「新しい」という形容のついた1952年の〈役に立たない機械〉はどんなものだったのだろう。《役に立たない機械》を年譜で確認できるのは1930年以降。20年以上ものあいだ、「役に立たない」ことを続けるのは、結構大変だったのではないだろうか。

8回あったグループ展のうち、5つの展覧会タイトルに「具体」や「MAC」といった言葉や文字が見られる。ムナーリは1948年に設立したMAC(具体芸術運動)にも引き続き参加しているのだが、個人的に、ちょっと面白いなと思うのが、この一文である。

 

「機械主義宣言」、「総合芸術宣言」、「解体宣言」、「有機的芸術宣言」が掲載されたMAC会報『具体芸術』10号が出版される。(p.346

 

 「宣言」が4つもある。この一文を読んで、「宣言と言えば、未来派だよね」などと思いながら年譜を遡っていたら、1938年のところに「「機械主義宣言」をまとめる。(発表は1952年)」(p.344)と書いてあるのを見つけた。ムナーリは第二次世界大戦中に、未来派とは距離を置くようになったそうだが(盛本直美「未来派」p.30)、当時の芸術運動と完全に決別してしまったわけではなく、連続性を保ちながら次の運動に進んでいることが分かる。

なお、レオーニの年譜には、「1952年」と「1953年」がない。その間もレオーニが忙しく活躍していたことは間違いないが、目新しいことを始めるというよりは、前の年や、その前からやっていたことに引き続き取り組んでいた期間だったのかもしれない。

 

【書誌情報】

奥田亜希子編「ブルーノ・ムナーリ年譜」『ブルーノ・ムナーリ』求龍堂、2018年、pp.342-357

「レオ・レオーニ 年譜」『だれも知らないレオ・レオーニ』玄光社、2020年、pp.216-219 ※執筆担当者の表示なし

 

遠藤知恵子(センター助手)

2024年5月1日水曜日

第7回 書評コンクールのお知らせ

白百合女子大学児童文化研究センター主催
7回 書評コンクールのお知らせ

今年も書評コンクールを開催いたします。

 募集作品は、「好きな児童文学作品・絵本、面白いと思った研究書や、児童文学・文化の関連書籍などの書評」です

 児童文化研究センター構成員の皆様のご応募をお待ちしております。


応募締め切り:202465日(水)

開催場所:児童文化研究センター公式ブログ


スケジュール

51日(水) 書評の募集開始

65日(水) 書評の応募締め切り

66日(木) 応募書評の公開・投票開始

620日(木) 投票締め切り

621日(金) 優秀作品と全執筆者の発表

 応募された作品は名前を伏せて書評番号をつけ、ブログ上で発表します。書評を誰が書いたか分からない状態でGoogle Formを利用して投票を行い、優秀作品の発表と同時に各作品の執筆者をブログ上で公開・メーリングリストでお知らせします。

 

  〈募集要項

・応募資格: 応募時点でセンター構成員であること。

・書評の分量: 8001200字。

・応募方法: テキストをWordファイルで作成、センター宛のメールに添付して送信してください

・メール本文には次のことを記載してください

    1. 応募者氏名(ペンネームでの公開を希望の場合は併記する)
    2. 応募区分(学生/一般/教職員/その他)
    3. 取り上げる本の書誌情報(タイトル・著者名・訳者名・出版社・出版年など)
    4. 冊子収録の可否(在学院生および翌年の新入院生に配布)

※ 著作権は執筆者に帰属します。

・投票資格:センター構成員および本学学生(学部生を含む)

・投票方法:メールおよびGoogle Form