2019年8月22日木曜日

【書評】こうの史代『夕凪の街 桜の国』双葉社、2004年


時間旅行を愛する猫またの一人として、皆さまにお伝えしておきたいことが一つあるにゃ。もし、人間の皆さまもタイムトリップができるようになったとしてだにゃ、絶対に行ってはいけないところがあるのにゃけど、どこか分かるかにゃ?・・・戦場だにゃ。戦場は、どの時代の戦場であれ、観光気分で行ってはダメにゃよ。
戦場では、命の危険は予想もつかないようなタイミングでやってくるにゃ。かつて、日本中が、いや、世界中の国や地域が戦場になっていた時代があったにゃね。その時代では、ある日、不意に命や平穏な日々や、大事な人たちや住むところを失うにゃよ。
こうの史代さんの『夕凪の街 桜の国』には、広島に投下された原爆によって父親と姉妹を奪われた少女皆実(みなみ)の、その後の物語が描かれているにゃ。
原爆投下から10年後、皆実は会社勤めをしながら、「原爆スラム」と呼ばれる川沿いの集落で母親とつましく暮らしていたにゃ。敗戦の混乱期を乗り越え、築き上げた日常生活にゃけど、失われた人たちが戻ってくるわけではないのにゃ。折に触れて原爆投下直後の風景と記憶が生々しくよみがえり、皆実はその度に周囲の人たちと距離を置いてしまうのにゃ。
でもにゃ、会社の同僚の中に、皆実に優しい眼差しを向けてくれる「打越さん」という青年が現れるにゃ(青春にゃ〜)。ところがだにゃ、打越さんに心を開けそうになった矢先、皆実は体調を崩してしまうにゃ。
皆実の体の中で密かに進行していった原爆症は、あと少しで幸せな展開を迎えるはずだった物語を突然に中断してしまったにゃ。だから、物語は終わりたくても終わることができないにゃ。物語は疎開先の養子になっていた皆実の弟、そして、その子どもたちに引き継がれていくのにゃよ。
心に負った傷や、社会から受ける差別も、時間の経過とともに少しずつ薄れていくのにゃ。何世代もかけて、ゆっくりゆっくり癒していくのにゃ。幸せを掴もうとして掴めなかった世代の人たちの悲しみは決して消えないのにゃけど、後に続く世代の人たちの心の中で、徐々に回復していくのにゃよ。その回復の過程を、柔らかなタッチのマンガが描き出していくのだにゃ。祈りにも似た優しい気持ちにさせてくれる一冊にゃ。


この書評が紹介している作品

こうの史代『夕凪の街 桜の国』双葉社、2004


この書評は2019年に開催した書評コンクール応募作品です(書評番号2)