物語を読むとき、物語の中に自分自身を見出し、「これは私の物語だ」という感覚を経験することは、きっと、誰にでも起こりうることだ。
本書は、奴隷制の残るアメリカ南部に生を享けた元奴隷の黒人女性の手記である。1861年にリンダ・ブレントという筆名で出版された。15歳の奴隷少女が、自らの置かれた境遇と戦い、「自由黒人」(おかしな言葉だが)になるまでの過程を綴る。所有者である医師の不埒な振る舞いから逃れるため、彼女が取った戦法とは、別の白人男性の子どもを妊娠するというもの。医師からの度重なる陥れ作戦や暴言、身体的暴力にも耐えながら、彼女は自分と子どもたちの自由を手に入れるため行動する。彼女の手記には、彼女の祖母や父親、弟、その他の親戚や友人たちについての話が時折差し込まれるが、そうした挿話からわかるのは、彼女の解放は、彼女自身の願いであるだけでなく、親やその前の世代からの願いであり、彼女もまた、自分の子どもたちには自由であって欲しいと切に願っていたということだ。
こうした本書に対し、「これは私の物語だ」と感じる人は少数派かもしれない。だが、黒人少年が白人警察官に射殺されるという事件を扱う、アンジー・トーマスの『ザ・ヘイト・ユー・ギヴ』が2017年にボストングローブ・ホーンブック賞を、2018年にはウィリアム・C・モリス賞を受賞し、映画化もされたことを思い起こすならば、これは決して遠い時代の話ではないのだということは納得せざるを得ない。現代日本にいる私たちだって、いつ、どのような形で、自分を取り巻く世界と闘わざるをえない状況に追い込まれることになるか、予測できないのだ。ブラック職場、各種ハラスメント、DV、あるいは、結婚や出産・育児に関する周囲からの過剰な圧力など、暴力は様々に形を変え、私たちに襲いかかってくる。
もう一つ特筆すべきことがあるとすれば、この本の出版の経緯だろう。1861年に自費出版により刊行された本書は、当時としてはセンセーショナルな内容だったことも手伝い、フィクションだと誤解されてきた。リンダ・ブレントなる人物が誰だったかも分からないまま、忘れ去られていた。J.F.イエリン教授の研究により、作者の本名がハリエット・アン・ジェイコブズであることと、事実に忠実に書かれたノンフィクション作品だったことがわかったのは、1987年のことである。この再発見を経て、本書は徐々に読者を獲得していく。
本書の訳者、堀越ゆきさんも、再発見後に本書に出会った読者の一人だ。堀越さんは「新しい困難な時代を生きる少女たちには、新しい古典が必要なのではないだろうか」(p329)と述べている。「これは私の物語である」−そんな風に感じている人は、確かに存在する。
だから、私も、こう言いたい。「ハリエット・アン・ジェイコブズ『ある奴隷少女に起こった出来事』。これは、ジェイコブズが書いてくれた、私たちの物語です。」と。
この書評が紹介している作品
ハリエット・アン・ジェイコブズ『ある奴隷少女に起こった出来事』堀越ゆき訳、新潮社(新潮文庫)2017年
この書評は2019年に開催した書評コンクールの応募作品です(書評番号3)