2024年10月31日木曜日

ムナーリとレオーニ(48)

 1960年② ギャップ萌え


 1960年、レオーニは50歳になる。この年の年譜はシンプルである。
 
2冊目の絵本『ひとあしひとあし』を出版(1961年コルデコット賞次点)。(p.218
 
 前年に初めての絵本『あおくんときいろちゃん』を出版したばかりで、絵本作家としてはまだ「新人」といっても良さそうな人なのに、2作目でいきなりコルデコット賞次点とあって驚いた。だが、こんな驚きも、今まで私がレオーニの絵本作家という側面にばかり目を向けてきたことや、レオーニをひとりの創作者としてきちんと見てこなかった怠慢が原因なのかもしれない。グラフィック・デザインの領域では既に、レオーニは充分すぎるほどの実績を積んでいる。今まで読んできた年譜を通じ、彼の来歴を(その片鱗だけかもしれないけれど、ともかくも)学んできた。本当は、コルデコット賞次点のひとつやふたつ、驚くことでも何でもないのだ。
 『ひとあしひとあし』(原題Inch by Inch)は尺取虫を主人公とした物語の絵本。小さくて弱い者が知恵を使って危ない局面を切り抜ける、魅力的なお話である。日本では15年後の1975年、谷川俊太郎の翻訳で出版されている。図録に収録された論考「レオの絵本作り——初期の4冊を中心に」(文章:松岡希代子)によると、「この作品はレオにとってはじめてテキストとイメージの一貫性や、絵本としての表現に向き合って作った作品」(pp.193-194)とのことで、その制作は難しかったそうだ。絵本からは、そんな苦しみの跡は1ミリも見つからないのだが。
 レオーニはそれまで生きてきたうちのとても長い時間を、サラリーマンとして過ごしてきたし、会社を辞めてフリーランスになってからも、ビジネスの世界を生きてきた。松岡によると、子育ては妻のノーラに任せきりで、「子どもと遊んだりすることにも苦手意識を持っていたよう」(p.188)だったという。
 レオーニにとり、「子ども」は苦手分野だったのか…と、図録を眺めながら苦笑いしてしまう。そして、後年、彼が発表するぴかぴかの作品群との落差を思い、つい、「ギャップ萌え」してしまいそうになるのだった。
 
【書誌情報】
「レオ・レオーニ 年譜」『だれも知らないレオ・レオーニ』玄光社、2020年、pp.216-219 執筆担当者の表示なし
遠藤知恵子(センター助手)

2024年10月24日木曜日

ムナーリとレオーニ(47)

1960年① 1024日はムナーリの誕生日

本日、1024日はブルーノ・ムナーリの117回目の誕生日である。エスプレッソとティラミスでお祝いしたいところだが、まずは年譜を読もう。今回は1960年、ムナーリが53歳になる年である。

1960年のムナーリも、相変わらずイタリアをはじめヨーロッパを中心に精力的に作品展示をしているのだが、ムナーリはこの年に開催された世界デザイン会議(於・産業会館、東京、511-16日)に招聘され(※)、《偏光の映写》を上映する。ムナーリ、初めての日本訪問である。同時期(510-15日)に開催された「60/ワールド・グラフィック・デザイン展」にも出品している。展示会場は日本橋三越。う~む、やはり日本で展示となると場所は百貨店なのかと、感慨深い。

ところで、1958年にムナーリは瀧口修造の訪問を受けていたが、二人の交流はまず日本での作品上映という形で実を結ぶ。世界デザイン会議に先立ち、東京国立近代美術館の映写室で《偏光の映写》による「ダイレクト・プロジェクション」上映会が開催される(上映期間:15-24日)。翌月18日には草月アートセンターでも上映が行なわれる。国立近代美術館での上映会の折には、武満徹のテープ音楽「クワイエット・デザイン」が流されたそうだ。

〈直接の映写〉と〈偏光の映写〉、それぞれのシリーズを、図録で確かめることができる。図版がまとめてプリントされたページには、いくつものスライドに、それぞれ質感の異なる素材をマウントしたものが並んでいる。それらのスライドをプロジェクターで壁に直接映写する。図録では上映風景は分からないが、素材が持つ質感や色彩の断片が輝いている。そういえば、この輝き、日本の写真家の写真集で見たことがある。

今井壽恵(1931-2009)という写真家が手がけた企業広報誌『エナジー』の表紙写真には、ムナーリの《偏光の映写》シリーズとよく似た断片の輝きがある。『Hisae Imai』(戸田昌子監修、赤々舎、2022年)でまとめて〈ENERGY〉シリーズを見ることができる。この写真集を見ていたときに感じた輝きである。あくまでも、私がそういう印象を受けたというだけのことであって、影響関係が云々ということを言うつもりは全くない、というより、残念ながら知らないのである。ムナーリと違って今井の再評価はまだ始まったばかりで、写真の専門家でもない私にとって、今井は魅力的だがなかなか手が出せない写真家なのである。だが、何も知らないなりに、詩心に満ちた初期の作品は特に、文学との親和性が高くて興味深い。

ちなみに、何となく思いつきで「今井壽恵」「草月アートセンター」というキーワードを入れてGoogle検索してみたところ、「ジャズ」という言葉がパソコンの画面上に散見される。「えっ、ジャズ?」と意外さに打たれつつも、今度は「今井壽恵」「ジャズ」で検索しなおしたところ、渡邊未帆「日本のモダンジャズ、現代音楽、フリージャズの接点 ——草月アートセンターと新世紀音楽研究所の活動を例に——」(『東京芸術大学音楽部 紀要 第34号』20093月、pp.189-202)と出会った。ムナーリの活動の幅はとても広いけれど、この幅広さはこの時代、表現の最先端で活躍していた人たちみんなに共通するものであるらしい。ジャズか…私、ジャズのこともよく分からないなあ…ムナーリのお誕生日だからって、ティラミス食べてる場合じゃないかもしれない…と、胃袋がキュッと引き締まるのを感じるのだった(でも、やはりティラミスは食べたい)。

※ムナーリの日本での動向については、有福一昭「日本におけるブルーノ・ムナーリ」(『ブルーノ・ムナーリ』求龍堂、2018年、pp.316-323)を参照した。

 

【書誌情報】

奥田亜希子編「ブルーノ・ムナーリ年譜」『ブルーノ・ムナーリ』求龍堂、2018年、pp.342-357

遠藤知恵子(センター助手)

2024年10月17日木曜日

白百合祭閉室期間につきまして

 10月18日(金)から21日(月)まで、白百合祭期間(準備日と片付け日を含む)のため、児童文化研究センターは閉室とさせていただきます。ご不便をおかけしますが、なにとぞよろしくお願いいたします。

 なお、白百合祭の2日間は、1号館2階の院生室のあるエリア(センター含む)は「立入禁止」となります。

ミニ展示 10月17日~31日

センター入り口で、センター蔵書のミニ展示を行っております。

『シルヴィーとブルーノ・完結編』

ルイス・キャロル 著 平倫子 訳

日本ルイス・キャロル協会 2016 

 『ミッシュマッシュ』特別号 第1巻です。普段は閉架資料ですので、この機会にお手に取ってご覧ください。

2024年10月11日金曜日

熊沢健児の密かな自慢

サイン、いただきました。

夏休みも何だかんだ忙しかったが、トークイベント「武井武雄のネットワーク」(目黒区美術館ワークショップ室、2024824日)には、頑張って行ってきた。

民藝運動の周辺(アウト・オブ・民藝)から見た人々の繋がりを、童画家、武井武雄を中心にひもとく対談。講師はデザイナーの軸原ヨウスケさんと美術家の中村裕太さんのお二人である。

児童文化研究をしている以上、外せない展覧会である上に、『アウト・オブ・民藝』(誠光社、2019年 ※)の著者が武井武雄について語るとは…! これは、聴きにいかねばなるまい。他の予定(これも私にとっては重要なものだったが)をキャンセルして目黒川を渡り、美術館へ向かった。このトークイベントは、目黒区美術館で開催された企画展「生誕130年 武井武雄展 ~幻想の世界へようこそ~」(会期:76日~825日)の関連イベントである。アウト・オブ・民藝と言えばやはり人物同士の相関図だが、壁に掲げられた人物相関図パネルは、武井武雄を中心に人々の繋がりの糸が張られた巨大な蜘蛛の巣のようだった。意外な関係や納得の繋がりを見つけることができて、かなりの長時間、楽しく眺めることができる、非常に興味深い蜘蛛の巣なのである。縮小版の相関図はハンドアウトになっており、観覧者は自由に手に取り、持ち帰ることができた。美術館の外(アウト・オブ・美術館…!)でも気軽に復習することができるし、小さくたたんでポシェットにしまっておけば、気になったときにちょっと広げて確かめることができる。

トークイベントは面白く、刺激的であるだけでなく、人物同士の「仲良し」が根底にあって、それらの人間関係をもとに数珠つなぎに話が進んでいくため、聴いていて何となく心が温まる(友達って、いいな…)。

イベント終了後は、話題になった資料を見せていただける時間(なんと太っ腹な!)。資料を見ながらお二人に話しかけることのできるタイミングをうかがい、そして——

「あ、あの…サインください!」

 差し出したのは、2022年発行の『アウト・オブ・民藝 ロマンチックなまなざし』(軸原氏・中村氏の共著、誠光社)。予習のために買って読んでおいた小さな冊子である。この冊子では、蜘蛛の巣状の相関図ではなく、ある日・ある所で出会ったふたりという、個人と個人の関係性に注目し、想像力によって史実をドラマへと復元しようとする。このように「ロマンチックな想像力を膨らませること」(p.5 中村氏「はじめに」より)は、我々学問の徒には許されていないことだが、というより、許されていないからこそ大事にしたい。

ところで、軸原氏・中村氏は快くこの本にサインをくださった。表題紙に並ぶふたつのこけしのサインである。こけしの枠をえがいてくださったのは軸原氏。眼鏡をかけた中村氏のこけしは、ちょっとよそ見をしている。

 ※※

どちらのこけしも、ご本人に似ているようで似ていないところが可愛らしい。ありがとうございます。大事にします。


※よろしければ、過去の記事「熊沢健児のお気に入り本」(2019.12.5)をご参照ください。熊沢は軸原氏・中村氏の隠れファンです。

※※熊沢が持っているのは、サイン入りの『アウト・オブ・民藝 ロマンチックなまなざし』です。素敵な表紙図案を手がけられたのは、安藤隆一郎氏。造本は軸原氏が担当しています。

2024年10月4日金曜日

ミニ展示 10月4日~18日

センター入り口で、センター蔵書のミニ展示を行っております。


『おばけのジョージー』

ロバート・ブライト さく・え 光吉夏弥 やく

福音館書店 1978

 

光吉夏弥先生が翻訳された本は、修士論文の並びの本棚にあります。

お近くの助手にお声がけの上、どうぞご自由にお手に取ってご覧ください。

ムナーリとレオーニ(46)

1959年② ムナーリ

1959年、ムナーリは52歳。この年の年譜には、個展とグループ展が3つずつ記されている。全部で6回の展示を行なっているが、そのうちの4回(個展3回とグループ展1回)はダネーゼ・ショールームが会場になっている。

図録の解説(p.209 執筆担当:髙嶋雄一郎)によれば、ダネーゼ社は1957年、ブルーノ・ダネーゼとジャックリーン・ヴォドツ夫妻によってミラノで設立されたとのこと。1960年代イタリアのインダストリアル・デザインを語る上で、また、この時期のムナーリの仕事を語る上で、非常に大きな存在であるらしい。この解説のなかに、ムナーリの主張が次のように記されている。

「芸術は、一点もの、であるべきではない。そうでなくて、シリーズ化を目指す必要がある。そうすればより多くの人々に、たとえそれが複製品であっても、芸術を所有する可能性を与えるものだから」

これを読んで、ムナーリの心意気にうっかり感動してしまいそうになったのだが、検索して見つけたムナーリによるデザインのダストボックス(なんと、現在も販売中である)は、税込価格で9万円を超える値段だった。

9万円のゴミ箱を買える人って、どんな人だろう? シリーズ化され、複製されることによって、確かに「芸術を所有する可能性」は与えられるけれど、可能性を与えられたからといって、実際に手に入るかどうかはまた別の話。つましく暮らす庶民からしてみれば、複製芸術ですら絵に描いた餅なんだ…などと考えてしまったら、もう元気が出ないのだけれど(あぁ、検索なんかするんじゃなかった!)、気を取り直していこう。

解説によると、1959年からムナーリが企画していた11点の遊具がダネーゼ社から発表された。「うち7点は教育学者ジョヴァンニ・ベルグラーノとの共作で、各々に対象年齢が設定され、子どもの発育に合わせつつ遊びを通じてその創造性を刺激する巧みな仕掛けが込められ」たものとのことで、1985年に来日してこどもの城でワークショップを開いた、78歳のムナーリの姿と重なる。

ムナーリが遠い日本の地で子どものためのワークショップを試み始めるのはもっとずっと先のことだけれど、長い年月をかけて、新たな活動に向けた種蒔きをしているように見える。

 

【書誌情報】

奥田亜希子編「ブルーノ・ムナーリ年譜」『ブルーノ・ムナーリ』求龍堂、2018年、pp.342-357

遠藤知恵子(センター助手)

2024年10月3日木曜日

プロジェクト成果物(web公開)が更新されました

 白百合女子大学のウェブサイトにある、児童文化研究センターの「プロジェクト成果物」のページが更新されました。
 「『神宮輝夫先生のお仕事を振り返る』研究会(2023年度)」の、「神宮輝夫著作リスト」が、新たに追加されたPDFファイルです。ご興味のある方は、こちらのリンクからご覧ください。