2025年10月30日木曜日

ミニ展示 2025年10月31日~11月12日

昭和50年の雑誌


展示中の資料

『子どもの文化』第7巻第4号、19754

〈特集〉漫画のなかの子ども50


2025年は昭和元年から数えて100年目の節目の年です。ひとつ前の節目となっていた50年前、すなわち昭和50年=1975年発行のこの雑誌で、マンガ(漫画)に描かれた子ども像を振り返り、その変遷を追いかけてみましょう。

センター所蔵の雑誌『子どもの文化』第7巻第4号(19754月)では、「漫画のなかの子ども50年」という特集を組んでいます。特集は、「漫画のなかの子ども50年 主人公にみる、子ども像の変遷」と、「私が見てきた子ども漫画の50年」(漫画評論家、石子順氏が漫画博士の須山計一氏にインタビューする対談記事)の二つの記事で構成されています。

本特集の前半部分である、「漫画のなかの子ども50年 主人公にみる、子ども像の変遷」では、石子氏提供による子ども向け漫画34作が紹介され、それぞれの作品に登場する子ども主人公の姿を年代順に見ることができます。

北澤楽天「とんだはね子」に始まり、関谷ひさし「ブンちゃん」に終わる、この子ども像変遷史。もしも、これをさらにもう50年分続けて、私たちの時代につなぐとしたら、あなたならどんなマンガの主人公を選びますか?

 

センター所蔵の雑誌で、マンガと言えばこれ!:『ビランジ』全50

本センター所長、浅岡靖央先生のご寄贈により、竹内オサム氏が個人で発行していた雑誌『ビランジ』が、ここ児童文化研究センターに全号揃っています。センターのライブラリーを担当する助手は、この雑誌のご寄贈を受けたとき、(えっ、いいんですか?)と、内心、うろたえてしまったとか。それくらい、あると嬉しい雑誌なのです。受け入れ作業が済んで利用可能な状態になったときは、この助手、浮かれて小躍りしていましたよ。

『ビランジ』の前に発行されていた『ポラーノ』(大阪国際女子大学人間科学部 コミュニケーション学科)も、やはり浅岡先生のご寄贈で、第3号から第8号まで所蔵しています(所長、ありがとうございます!)。

2025年10月23日木曜日

ムナーリとレオーニ(52)

1963

 1963年のレオーニは、1950年から制作していた「想像肖像」シリーズの作品を、ミラノのナヴィリオ・ギャラリーで展示。実在する人も、実在しない人もモデルになっているという面白いシリーズである。また、この年、レオーニの代表作中の代表作が出版される。『スイミー』である。レオーニにとって4冊目となるこの絵本は、1964年のコルデコット賞次点に、そして、1967年第1回プラスチラバ世界絵本原画展で「金のりんご賞」を受賞する。日本では、谷川俊太郎訳で1969年に好学社から刊行されている。小学校の国語教科書に掲載されたり、是枝裕和監督の映画『万引き家族』(2018年)に登場したり、『スイミー』ほどたくさんの人に親しまれている作品はないのではないだろうか。

しかし、「だれも知らないレオ・レオーニ」展図録によると、『スイミー』の原画は行方不明だそうだ。会場で「原画」として展示されていたのは、レオーニが制作した別ヴァージョンのものである。レオーニは『スイミー』制作にあたって、モノタイプという、偶然を活かした版画技法を用いており、同展開催前に行われた調査で、関連作品が大量に発見されている(松岡希代子「『スイミー』原画の謎」p.185)。それにしても、本物の原画はどこにあるのだろう。探し物の常として、忘れかけた頃に思いがけないところからひょっこり出てくるのかもしれない。見つかったら、それは絵本史に残る大発見になる。

さて、1963年のムナーリはと言えば、相変わらず精力的に作品発表をしている。個展を1回と、グループ展を5回。

ところで、前回、1962年にオリヴェッティ店舗で開催されたグループ展について、ウンベルト・エーコの『開かれた作品』についてのリポートを熊沢健児氏にお願いしようと書いた。しかし、「頼めば34週間で書いてくれるはずだ」という私の言葉が熊沢氏の気に障ったらしく「そんな簡単に書けないよ!」と叱られてしまった。あれからもう数か月も経つのに、会うたびにご機嫌斜めである。自分で読んでリポートするしかないのか…困った。

ご機嫌斜めで、背を向けて寝っ転がる熊沢氏。
普段は、下の画像に見る通りの紳士です。

熊沢健児(くまざわ・けんじ)
児童文化研究センター名誉研究員(ぬいぐるみ)。
センター入り口のミニ展示の隣で皆さまをお迎えします。

【書誌情報】

奥田亜希子編「ブルーノ・ムナーリ年譜」『ブルーノ・ムナーリ』求龍堂、2018年、pp.342-357

「レオ・レオーニ 年譜」『だれも知らないレオ・レオーニ』玄光社、2020年、pp.216-219 ※執筆担当者の表示なし

遠藤知恵子(センター助手)

2025年10月17日金曜日

白百合祭期間の閉室につきまして

 白百合祭開催に伴い、児童文化研究センターは、10月24日(金)から27日(月)まで閉室とさせていただきます。

 ご不便をおかけいたしますが、なにとぞご了承くださいませ。

2025年10月16日木曜日

ミニ展示 10月16~31日

秋の夜は ねる子おこして遊びたく 茂田井武


 「秋の夜は ねる子おこして遊びたく」…こんな句を詠んだ茂田井武の絵ばなし(絵物語)を展示します。


展示中の本

ヱバナシ フシギナコドモタチ

もたいたけし文庫10 山口卓三 編 トムズボックス 2000年


収録作品

「フシギナコドモタチ」より

茂田井武 画・文「フシギナコドモタチ」

教養社 1947年 

 トモキチとマリ子が三時のおやつを食べようとしたちょうどそのとき、掛け軸の絵に描かれた仙人と仙女が二人を呼びました。呼ばれるがまま、掛け軸の中へ歩いていくと、そこは不思議な子どもの国でした。






南江治郎 作 茂田井武 画「お日さまの歌」

掲載誌:『子供雑誌』(白鳥社)新年号 1948年1月

「お日さまの歌」より

 人形劇ですが、脚本を省き茂田井による絵のみ収録されているため、まるで人形によるパントマイムのようです。ユーモラスなライオンの表情や、ペタペタ、ノシノシと歩むペンギンの仕草など、魅力たっぷりです。


「星の輪」より

茂田井武 作「星の輪」

掲載誌:『子供雑誌』(白鳥社)2巻3-5号 1947年7・8月-11・12月

 凧ちゃんは、凧つくりの名人です。ある日、先生に呼び出され、外務省の人に連れて行かれます。行き先は港でした。凧ちゃんは外務省の人からジャケツ上着)と易しい英語の字引(辞書)とパスポート、そして手紙と証明書を渡され、一人で船に乗り込みます。船の行く先は…?







 冒頭に引用した句は、茂田井武の1946年10月7日の句日記にあったもので、ウェブサイト『茂田井武びじゅつかん』「展示室1」、10月のページより引いたものです(http://www.y-poche.com/motai/01_tenji01/index.html)。

2025年10月3日金曜日

猫村たたみの三文庫(非)公式ガイド 番外編

猫村たたみ、出版社の社史を耽読する


 この記事は、白百合女子大学児童文化研究センターオリジナルキャラクター「猫村たたみ(ねこむら・たたみ)」によるものです。猫村は、児童文化研究センターの貴重書庫「三文庫」を図書館司書として守り、その魅力を広く伝えるという職務遂行上の理由から、語尾に「にゃ」をつけたいわゆる「キャラ語」を用います。本ブログ記事をお読みくださる皆様におかれましては、キャラクターの性質をご理解の上、猫村たたみの世界観をお楽しみくださいますよう、お願い申し上げます。


皆さま、ご機嫌いかがかにゃ?

 三文庫の守り猫、猫村たたみですにゃ。2025年度後期が始まって、皆さまにお会いできることが嬉しくてたまらないのにゃ~。

 新年度が始まったときにも申し上げました通り、私の2025年度の目標は「原点回帰」なのですにゃ! 図書館司書としての知識に磨きをかけるため、今年度は本についての本を、一生懸命、読んでおりますのにゃ。

この数週間ほどは、出版社の社史が面白くて、児童文化研究センターの本棚の、あまり使われていないゾーンにうらぶれているのを引っ張り出しては楽しんでいるのにゃよ。たとえば、『偕成社の歩みⅡ[一九八五-一九九六]』(偕成社、1997年)には、こんなくだりがあるのにゃよ。

 

七月[1987年7月にゃ!:猫村]、俳優石原裕次郎がガンで五十二歳の生涯を閉じ、葬儀にはその死を悼んで三万人のファンが参列した。裕次郎は戦後の青春像のシンボルだったが、幼児のシンボルといえば、なんといっても「ノンタン」であろう。(p.17

 

 1987年の世相と出版物とを結び付けながら、同じ年に刊行が始まった〈赤ちゃん版ノンタン〉シリーズを紹介するのにゃよ(「ノンタン」シリーズ誕生は1976年にゃよ。その頃の石原裕次郎さんはというと、石原プロが初めて本格的にテレビドラマを手がけた、「大都会」シリーズの放映が始まっていたのにゃ)。「青春像のシンボル」=石原裕次郎さん、「幼児のシンボル」=ノンタンって並べると、ノンタンが格好良く、石原裕次郎さんが可愛く思えてくるのにゃ。石原さんもノンタンも、やんちゃなプレイが魅力にゃし、実は似た者同士にゃったのかもしれないのにゃね~。

 読み応えのある長編も、キャラクターの可愛らしさたっぷりの絵本も、学習教材にもなるノンフィクションや、図鑑や事典も、出版された順番に紹介されているから、児童書出版を通じて、それぞれの時代を考えることができて味わい深いのにゃ~。