1937年-1938年
今回は、1937年から1938年にかけてのムナーリの年譜を読もう…と、意気込みながら図録を開いてみて、いまさらのように気づいたのだが、ムナーリの年譜はレオーニのものとは違い、世界情勢に関する事項はほぼ書かれていないと言って良い。わずかにプライベートなこと(1934年のディルマ・カルネヴァーリとの結婚や、1940年の息子アルベルトの誕生など)が書かれているばかりで、基本的には作品の展示やグラフィック・デザインのことで埋め尽くされていると言っていい。もちろんレオーニの年譜からも、彼が手掛けていた仕事の面白さや充実ぶりを読み取ることができるのだけれど、ムナーリと比べるとずっと社会の動きに左右されているし、引っ越しも多い。
…と、前置きが長くなってしまったけれど、ムナーリの年譜に戻ろう。
1937年11月20日、ムナーリはマリネッティの『乳の衣服に奉げる詩』(ミラノ・ズニア・ヴィスコーザ宣伝部)の表紙と挿画を手掛けている。また、この年から1940年にかけて、「『読書』『自然』『ドムス』といった雑誌に表紙デザイン、記事が多数掲載」(p.344)されたとある。『乳の衣服に捧げる詩』の表紙は、図録に図版が掲載されている。上部に、空から撮影した工業地帯のような写真(ぱっと見た感じ、半導体に見える)が小さく緑色で印刷されており、真ん中に角の生えた牛の顔が赤い線で大きく描かれている。そしてその牛の目元を隠すように、くしゃっと皺を寄せた布地(これは、写真を切り貼りしたものだろうか)が横切る。タイトルのIL POEMA DEL VESTITO DI LATTEの文字は上部の写真と同じ緑色で印字されている。異なる要素を組み合わせているけれど、見た感じ、そつのない印象を受ける。
この年、ムナーリは「グラフィックと写真芸術の特別展」、「全国近代舞台美術展」、「パリ万国博覧会」に参加している。「写真」や「近代舞台」などの文字が目につく。ちなみに、1937年のパリ万博は「近代生活におけるアートとテクノロジー」というテーマを掲げている。
1938年、ムナーリは「機械主義宣言」をまとめたが、この宣言が発表されるのは1952年。1952年の年譜をちょっと覗いてみると、次のように書かれている。
「機械主義宣言」、「総合芸術宣言」、「解体宣言」、「有機的芸術宣言」が掲載されたMAC会報『具体芸術』10号が出版される。(p.346)
相変わらず未来派の一員として活動しているけれど、ムナーリの頭のなかでは新たな展開を迎える準備が進んでいたらしい…そんなことが想像できる記述である。なお、この年、ムナーリは二つのグループ展に参加している。そのうちのひとつが「20世紀を越えて」(12月7日-9日、ミラノ、チルコロ・バルベラ)というタイトルのもの。まだ20世紀は62年も残っていたのに、もう「20世紀を越えて」だなんて、ちょっと気が早いのではないかと思ってしまったが、これは、戦争の世紀だった20世紀の様々な問題と、私たちがいまだに向き合っている最中だからなのかもしれない。
【書誌情報】
奥田亜希子編「ブルーノ・ムナーリ年譜」『ブルーノ・ムナーリ』求龍堂、2018年、pp. 342-357
【参考URL】
https://www.bie-paris.org/site/en/1937-paris
(Bureau International des Expositionsホームページ。1937年パリ万博)
遠藤知恵子(センター助手)