2021年3月16日火曜日

創作童話

36回 日産 童話と絵本のグランプリ 佳作 受賞作品

『雨の日は桜色』

三井 彩愛

わたしは足を踏み鳴らし、灰色の空を仰ぎながら待っていた。大量に降っている雫が少しでも収まるのを。雲の切れ間から日光が射し込むのを。

「雨なんて聞いてないんだけど……。朝はくもりだったのに」

 ため息とともに、ひとりごとが漏れた。置き傘もしていなければ、相合い傘をして帰る友だちもいなかった。一番の仲良しの葵は親せきのお葬式で欠席していた。今日、掃除当番が一緒だった結衣は習いごとがあると言って、そそくさと帰ってしまった。

 校舎に戻って壁の時計を見てみた。もう四時を過ぎていた。そろそろ帰らないと、お母さんに叱られるかもしれない。でも、雨は一向に収まる気配がない。それどころか雨の勢いは増してきている。

 ざあざあ降り続ける雨を見ているうちに、やぶれかぶれになってきた。ええい、仕方がない。走って帰ってやる。小学校から家までは歩いて十五分ほどかかるけど、走れば半分くらいの時間で済むだろう。

 覚悟を決めて右足を前に踏み出した、そのときだ。わたしは誰かに腕を強くつかまれた。バランスを崩し、うしろによろめきそうになった。

「傘ないの? 入りなよ」

 わたしのとなりに立ち、傘を掲げながらぶっきらぼうに言ったのはクラスメートの古池美帆だった。

「……どうも」

 五年生に進級して同じクラスになってから、ほとんど話したことのない美帆が急に親切にしてくれたことに驚いたけれど、わたしは素直に彼女の好意に甘えることにした。

 わたしと美帆は連れ立って学校をあとにした。美帆の傘は無地の淡い桜色をしていた。見ているだけで自然と笑みがこぼれそうな、やさしげな桜色だ。

「家はどこ?」

 校門を出たところで、美帆がこう尋ねてきた。

「すみれ公園の近くだよ」

「そう」

 それっきり、美帆は何も言わなかった。わたしも黙っていた。

 わたしたちは無言で歩いていた。沈黙が広がる。聞こえるのは、桜色の傘とぶつかり合う雨音だけだ。

 わたしは美帆に何か話題を作っておしゃべりをしようとしたが、うまく言葉が出てこない。もし、今となりにいるのが葵や他の友だちなら、他愛のないおしゃべりをして盛り上がることだろう。しかし、美帆とは何を話していいのかわからなかった。

 そもそも、美帆が誰かと一緒にいたり会話をしているのを見た覚えがない。休み時間はいつも一人で席についてブックカバーのついた本を読んでいる。あるいは頬づえをついて静かに座っている。笑顔もめったに見せない。美帆のことを「すましてるよね」「お高くとまってない?」などと悪く言う女の子も何人かいる。わたしも、嫌悪感までは抱かないものの、何となく近寄りがたい気がして親しく出来ないでいた。だから、美帆がすぐそばにいることは、わたしをとても不思議な気分にさせた。

 しばらくうつむいていた私は顔を上げ、静寂の中の雨景色を楽しむことにした。

 軒先に下がった手作りのてるてる坊主。

 庭に咲く、葉が露にぬれた花々。

 歓声をあげて、水たまりを踏んでいく長靴をはいた男の子。

 どれもこれも、今までは通り過ぎていたものばかりだ。ぱらぱらとした雨音も、次第に心地いいものになってきた。水たまりに踏みこんでしまったけれど、気にならない。はじける水音すら楽しげに聞こえた。

 視線を美帆に移した。彼女はまっすぐ前を向いていた。そのまなざしは、まばゆい光を宿していた。こんな目をしている人は見たことがない。もしかしたら、美帆もわたしと同じように雨の日の風景を眺めているのだろうか? それとも――。

 美帆は、雨の日に、わたしがとなりにいることに何を思っているのだろうか?

 思い切って尋ねようとしたときには、すみれ公園についていた。もう公園だなんて、信じられない。歩いている時は、いつも以上に時間の流れがゆっくりに感じられたのに。

 わたしは足を止め、笑顔を作って言った。

「美帆ちゃん、ありがとう。わたしの家、ここをまっすぐ行ってすぐだから、あとは走って帰るね」

 体の向きを変えて走り出そうとすると、美帆が手を握ってきた。

「えっ、何?」

 わたしがあわてて振り返ると、美帆は手をつないだまま、わたしのあいているほうの手にあの桜色の傘を持たせた。そして、今まで歩いてきた道を走り去っていった。

 あまりにも突然のことだったので、わたしは追いかけることも声をかけることも出来ずに、立ち尽くしていた。傘の柄には、まだ温もりが残っていた。

 そういえば、美帆の家はどの辺りにあったのかな?

 わたしの頭の中にそんな考えが浮かんだのは、とぼとぼ歩き始めてすぐのことだった。

 ひょっとしたら、すみれ公園とは反対方面に住んでいるのに、わざわざわたしのために公園のそばまで来てくれたのかもしれない。

 そう思うと、胸がちくりと痛んだ、好きになりかけていた雨が再び憎らしくなってきた。

 家に着いたのは四時半過ぎだった。わたしは洗面所からタオルを持ってきて、美帆の桜色の傘についた雫を丁寧にふき取った。

 

 次の日は雲がまばらに浮かんでいたけれども、澄んだ青空が広がっていた。

 わたしは教室に入ってすぐに、傘を返しに美帆のもとへ駆け寄った。相変わらず、分厚い小説を読んでいる。

「昨日は本当にありがとね。助かったよ」

 傘置き場に桜色の傘を立てておくだけでもよかったけれど、きちんと面と向かって、お礼を言いたかった。

「わざわざ教室まで持ってこなくてもいいのに……」

 美帆はこうつぶやきながらも、頬を染めていとおしそうに桜色の傘を見つめていた。

「あれから雨は大丈夫だった?」

 わたしの問いかけに、美帆は「大丈夫だから心配しないで」と言いたそうに目を合わせて、うなずいた。

 そして、美帆は桜色の傘を手に立ち上がり、教室のドアへゆっくりと歩いていった。

 あとを追ってもっと話をしようと一歩前へ出たところで、葵に声をかけられた。

「おはよう! 昨日はどうだった?」

 わたしは葵に帰り道の出来事を話そうと口を開きかけたが、やめた。美帆と歩いたあのときのことは、わたしの中だけに大切にしまっておこう。


 この作品は、私が学部2年のときに牧野節子先生の授業(当時:創作演習B)で創作したものを、5年の歲月を経て、加筆修正して応募したものです。

 ※日産には「もりかのん」というペンネームで応募いたしました。