1961年① レオーニ、イタリアへ
1975年の『ひとあしひとあし』出版以降、レオーニの絵本の翻訳を数多く手がけた谷川俊太郎さんが、今月13日に亡くなってしまった。メディアにもよく顔を出している詩人だし、少なくとも100歳までは活躍を続けられるに違いないと勝手に思い込んでいた。だから、谷川さん死去のニュースに接したときは、ものすごく驚いてしまった。心よりご冥福をお祈りいたします。
1961年、レオーニはイタリアに戻った。移り住んだ先はリグーリア州のラヴァーニャという町の、サン・ベルナルド地区である。図録の情報を頼りにネットで調べてみると、ラヴァーニャはジェノヴァ県内に位置する。ジェノヴァはレオーニが15歳の頃、父親の転勤により一家で移り住んだ土地である。ここでイーゼルを購入し、漫画や油絵を描き始めたのだった。
図録に収録された解説「レオの絵本作り——初期の4冊を中心に」(執筆:松岡希代子、pp.188-195)によれば、ここは妻ノーラの実家の別荘ピンクヴィラのあるカーヴィに近く、イタリアでも有数のリゾート地であり、小石の広がる美しい浜辺があるそうだ。そして、結婚前からレオーニはよくピンクヴィラに滞在していたとのこと(p.190)。そういえば、第二次世界大戦終結から2年後の1947年、アメリカに亡命して以来初めてイタリアに戻ったとき、レオーニはカーヴィで絵画制作に打ち込んだと、年譜に書いてあった。アメリカでの生活に区切りをつけるにあたり、若い頃からのなじみ深い土地を選んだのである。
イタリアに再び根を下ろした、この記念すべき年に出版した絵本は『はまべにはいしがいっぱい』(原題:On My Beach There Are Many
Pebbles)である。レオーニ3冊目の絵本。先の松岡の解説によると、制作に着手したのは2冊目の『ひとあしひとあし』よりこちらの方が先だったという。移住が直接の制作動機になったわけではないようだが、イタリア移住後第一作がこの絵本だというのは、なんだか素敵だ。
『はまべにはいしがいっぱい』はこれといった事件は起きない、それらしいストーリーのない絵本である。本物のように描かれた小石の群れのなかに虚構が、というか、心のなかで作り出したイメージが混ぜ込まれていて、どのページも長いこと飽きずに眺めていられる。この絵本が1979年に日本で出版されたときの翻訳者はもちろん、谷川俊太郎さんだった。
【書誌情報】
「レオ・レオーニ 年譜」『だれも知らないレオ・レオーニ』玄光社、2020年、pp.216-219 ※執筆担当者の表示なし