2023年3月10日金曜日

ムナーリとレオーニ(30)

1947

 今回は、1947年の年譜を読む。

この年、ムナーリは3つのグループ展に参加し、グラフィックの仕事としては、「美術作品としてのイタリアの手工芸」展(ニューヨーク、イタリア手工芸館)図録を手がけている。この年から翌年にかけて、「スパツィアリズモ」(空間主義)の普及活動にも関わっていたという。

空間主義を提唱したのはルーチョ・フォンタナ(1899-1968)。残念ながら、フォンタナの作品の実物を見たことはないのだけれど、カンヴァスを切り裂いた作品の写真図版だったら、私も高校生のときに見たことがある。

カンヴァスを切り裂くという挑発的な行為が気になって、『オクスフォード西洋美術事典』で「カンヴァス」を調べてみた。この事典によると、15世紀半ばにパドヴァのマンテーニャや、ヴェネツィアのベリーニなどの画家が、それまで絵画の基底材として一般的に使われてきた板の代わりにカンヴァスを使い始め、その後、時間をかけてヨーロッパの他の地域へと広がっていったという。現在では、西洋絵画と言えばカンヴァスに描かれた絵を当たり前のことのように思い浮かべるけれど、そうではなかった時代の方が古くて長かったことが分かる。カンヴァスが徐々に使われるようになっていった、ちょうどその頃に、建築家のレオン・バッティスタ・アルベルティが、『絵画論』(ラテン語版1435年、トスカーナ語版1436年)のなかで遠近法(透視図法)を論じ、理論化している。

遠近法を用いて描かれた絵は奥行きが感じられ、画面の向こう側にもう一つの世界があるような錯覚を覚える。そのため遠近法は、画面に世界をリアルに再現し、物語るための方法論だと言うことができるのだが、それが理論化されたのと同時期に、板絵からカンヴァスへという変化が始まりつつあった。カンヴァスを切り裂くという行為は、歴史や伝統との対決を表す身振りなのであって、ただの奇をてらった破壊行為ではないのだ。

一方のレオーニだが、初めての個展(ニューヨーク、ノーリスト・ギャラリー)で、油彩画、テンペラ画、水彩画を展示している。図録に掲載されている初個展出品作品は、‘Zingara’(《ジプシー》(※)1945年、カゼインテンペラ・カンヴァス、57×45.5cm)、‘Figlia di Iorio(Oedipus)’(《イオリオの娘(オイディプス王)》1946年、カゼインテンペラ・カンヴァス、38.5×46.5cm)、‘Collana’(《首飾り》1946年頃、油彩・カンヴァス、35×28.5cm)の3点。描かれているのは、寓意的な人物であったり、劇作品の主人公であったりして、物語(語ること、narrative)との結びつきを感じさせる。この年のレオーニは、1年間の休暇を取り、イタリアのカーヴィーで絵画制作に打ち込んだり、ラヴェンナでモザイク技法を学んだりしたそうだ。1938年にファシズムから逃れるため出国して以来、9年ぶりのイタリアである。

 

※「ジプシー(ロマ族)」は松岡希代子の作品解説によると「社会的には差別されながらも、芸術においては自然の中に住む自由な精神の象徴」(『だれも知らないレオ・レオーニ』玄光社、2020年、p.103)とあります。芸術作品について語るときの「ジプシー」の語は、憧憬も偏見も含んだ多面的な概念を表す用語であり、他に取り替えがきかないこと、そして、この語がレオーニの作品タイトルとして図録に掲載され、既に流通していることを踏まえ、この記事で「ロマ族」ではなく「ジプシー」の語を用いております。ご理解くださいますよう、お願いいたします。

 

【書誌情報】

奥田亜希子編「ブルーノ・ムナーリ年譜」『ブルーノ・ムナーリ』求龍堂、2018年、pp.342-357

「レオ・レオーニ 年譜」『だれも知らないレオ・レオーニ』玄光社、2020年、pp.216-219 ※執筆担当者の表示なし

佐々木英也監修『オックスフォード西洋美術事典』講談社、1989


遠藤知恵子(センター助手)