2020年7月30日木曜日
児童文化研究センター 第3回 書評コンクールのお知らせ
第3回書評コンクールを開催します。
1. 書評の執筆者氏名(ペンネームでの公開をご希望の場合は併記してください)2. 書評の執筆者の身分( 学生/一般/教員/その他 のなかからひとつ選んで記載)3. 取り上げる本の書誌事項(本のタイトル・著者名・訳者名・出版社・出版年など)※ 応募された書評は、原則として、そのままコピー&ペーストしてブログに掲載します。誤字・脱字にご注意ください。
猫村たたみの三文庫(非)公式ガイド
(7)青春の演劇にゃ!
センター構成員の皆さま、ご機嫌いかがかにゃ?
三文庫の守り猫、猫村たたみですにゃ。
もうすぐ夏休みにゃのに、豪雨災害のニュースのたびに心配になるし、雨が降ったり曇ったり…なんだかすっきりしないのにゃ~。
湿気が多いので、三文庫の除湿器は毎日フル稼働ですにゃよ。
ごぉ~っと乾いた空気を排出する音と、ぴちょん、ぴちょん、と水の溜まっていく音を聴きながら、私こと猫村たたみ、今日も三文庫を守っておりますのにゃ。
…とは申せ、私、メーテルリンクの『青い鳥』が好きにゃので、ついつい冨田文庫に入り浸ってしまいがちなのですにゃ。
青い鳥コレクションの前に立って好きな本を眺めていると、なんだか幸せになりますにゃ~。
今日はですにゃ、楠山正雄訳による『近代劇選集(1)青い鳥外八篇』(T00744)を手に取りましたのにゃ。1920年に新潮社から出版され、センターに所蔵しているものは1922年の第14版ですにゃ。
手に持つとずっしり重みがあるのにゃ~。
中身の本はですにゃ、暗緑色の背にタイトルが金色に箔押しされていて、文字の上下に押された植物模様もきれいなのにゃ。
そして、表紙は背と同じ暗緑色と焦げ茶色で色分けしてあるのにゃ。表の表紙はこの2色の境目に銀色のラインが入っていて、かっこいいのにゃ~。
表紙・見返しをめくると、巻頭の写真版2葉は海外の役者さんの写真。挿絵はないけれど、収録された戯曲それぞれに舞台面略図があって、いずれも岡本帰一さんの意匠によるものですにゃ。
帰一さんと言えば、『青い鳥』の演出を手掛けた童画家としても有名にゃね。私も民衆座の公演を観に行きましたのにゃ。
それはもう、素敵だったのにゃよ。思い出すとため息をついてしまうのにゃ(はにゃ~)。
本文は当然、活版印刷ですにゃ。ぽこぽこした凹凸のある紙の表面が味わい深いのにゃ。
8篇の戯曲は次の通り。
沈鐘 (ハウプトマン)
心願の国 (イェーツ)
月の出 (レヂー・グレゴリ―)
海へ乗り入るるもの等 (シング)
かもめ (チェーホフ)
エレクトラ (ホーフマンスタール)
群盲 (メーテルリンク)
青い鳥 (メーテルリンク)
検察官 (ゴーゴリ)
※作者名の表記は本書に従ったのにゃ!
6番目の「エレクトラ」は1910年に発行された『白樺』創刊号でも紹介されていたのにゃ。
『白樺』は岡本帰一さん世代の芸術家にとっては、青年期の憧れの雑誌だったにゃね。
大人になっても憧れを持ちつづけるって、素晴らしいのにゃ~。
なかなか明けない梅雨にゃけど、センターは窓を開けて換気しながら8月5日(水)まで開室中ですにゃ。
皆さま、どうかお元気でお過ごしくださいませにゃ。
2020年7月9日木曜日
こんなところに巖谷小波(つづき)
ご報告
昨年の7月12日(金)に、私は、雑誌『みづゑ』の感想を投稿した(「こんなところに巖谷小波」)。この投稿にも書いた通り、この雑誌の創刊号に掲載されていた記事「絵ハガキ競技会記事」(p.16)の次の文言を見つけて以来、ずっと巖谷小波とこの雑誌の関係が気になっていたのだった。
客員巖谷小波氏の「定齊」は投票済みて後着せしが、意匠として奇抜のものなりき。
これは、1905年7月の記事にあった言葉である。この部分を読んで、私はブログの投稿に「こんなところに巖谷小波が。客員だったのか。しかも、「意匠として奇抜」などと評されている。これは気になる。」と、書いていたのだった。
先日(6月30日)、『児童文化研究センター研究論文集23号』が大学図書館の学術機関リポジトリに公開された。小波日記研究会による寄稿「巖谷小波日記 翻刻と注釈:明治三十八年(五月~八月)」を、家に居ながらにして読むことができるようになった。
この「巖谷小波日記 翻刻と注釈」を読んでいると、『みづゑ』主催者である大下(藤次郎)の名を見つけることができた。そこには、次のように書いてある。
五月六日(土) 曇晴夜雨
九時出勤
午後三時帰
四時より 画葉書品評會 大下、南岳 爽日
及余、 久保田 柳川欠席
夕食 後 八時後散
(「巖谷小波日記 翻刻と注釈:明治三十八年(五月~八月)」二頁)
おお、「大下」! そして、「画葉品評會」とある…!「巖谷小波日記」の註にも、この「大下」が「大下藤次郎」であることが書いてある。「競技会」ではないが、みんなで手描きの絵葉書を持ち寄って批評し合っていたようだ。そこから先の日記にも「画葉」の文字はちらほらと現れ、「題 青」(五月十一日、同上二頁)、「題茶 余二等」(六月八日、同上七頁)、「題五月雨」(六月二十五日、同上九頁)、「題七、余一等」(七月二十七日、同上十四頁)など、品評会を行うにあたって、毎回課されていたらしい画題や、二等や一等を獲得した記録を見ることができる。
小波の日記は全体的に簡潔で、金銭の出入りも克明に記されている一方、日々のこまごまとした出来事や自分の気持ちなどはあまり書いていない(ただ、お父さんが亡くなった後の数日は、簡潔ながら克明に記されており、お父さんの辞世の漢詩に和する形で小波作の漢詩が書かれていたりする。読んでいるこちらもじわっと悲しくなってしまう)。そんな日記に、「画葉書」の品評会のことがちゃんと書いてある。
……ああ、そうか、やっぱりそうなんだ。バラバラに見ていた資料同士がつながった瞬間である。嬉しくて、なんだかニヤニヤしてしまう。
小波は絵葉書にどのくらい凝っていたのだろう。どれくらい絵が好きだったのだろう。小波の美意識や自作のお伽噺の挿絵に対するこだわりについても、調べてみたいと思ったのであった。
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熊沢健児(ぬいぐるみ・名誉研究員)