美術館のライブラリーは楽しい。美術の本が充実していることに加え、図録をたくさん手に取ることができる。企画展があったとき、「そのとき」「その場所」に居合わせないと買えないことの多い図録は、出会わなければそれきりなのである。したがって美術館のライブラリーは、出会い損ねた資料との「運命の出会い」をやり直すことのできる場所だ、と言っていいのかもしれない。
『世界の顔 タイム誌表紙原画展 Portraits in TIME』(東京アメリカンセンター、1978年)とは、横浜美術館の美術図書室で出会った。ホチキス留めの簡素な造りで、見開き2面分の解説と幾葉かの作品図版、それに展示作品リストを収録している。奥付なし。ページ付なし。1950年1月から1972年12月までの間に『TIME』誌の表紙として掲載された肖像画の原画を計72点、展示した展覧会の図録である。
冊子に収録された図版はごくわずかだったが、1950年1月2日掲載の《ウィンストン・チャーチル》(アーネスト・ハムリン・ベーカー作、テンペラ、47×29cm)を始めに、毎号掲載された「時の人」の顔が並ぶ展示は、見応えがあったに違いない。アメリカの一雑誌の表紙を飾った肖像画を「世界の顔」と言い切ってしまう、展覧会の日本語タイトルに若干の反発を覚えたものの、マリア・カラス、ダライ・ラマ、エリザベス女王、チェ・ゲバラ、ジョン・F・ケネディ、ニキタ・フルシチョフ、マーチン・ルーサー・キング…と並ぶ展示作品リストを眺めていると、当時のアメリカの状況や、そのアメリカから見た世界は実際どんなだっただろうかと、考えずにはいられない。テンペラのほか、グワッシュ、油彩、木版、モンタージュそのほか、表現技法も様々だ。肖像画の歴史はそれこそ古代から積み重ねられてきたものだが、そうした歴史的な積み重ねの上に、描く対象の人選や、描く作家、そして表現技法と、複数の糸で編み上げられた『TIME』誌の表紙の肖像画群である。表紙だけズラリと並べて、文字ではなくその向こうにある、活字化される以前の時代の空気を吸い込んでみたくなる。
展示作品リストには日本人が日本人の肖像を制作した作品も見られる。それは、斎藤清(1907-1997)の木版2点。1967年2月10日掲載の《佐藤栄作》(34×61cm)と1977年3月28日掲載の《福田赳夫》(39×53cm)である。
斎藤清は、サンフランシスコ講和条約締結後、参加した1951年の第1回サンパウロ・ビエンナーレに木版画の作品を出品、駒井哲郎と共に日本人賞を受賞し海外での評価も高かった。だが、木版画であるということに日本的なるものの匂いを嗅ぎ取ろうとすることからは、ちょっと距離を置いておきたい。
木版を手がける作家たちが浮世絵に多くを学んでいることは間違いないのだが、近代以降の日本の木版画は、欧米から学んだ木口木版の技法に負うところも大きい。また、基本的に分業はせず、自画自刻自摺をして版画を作家個人の自己表現とする「創作版画」の登場についても、欧米に由来する「芸術」概念との出会いがなければ有り得ない現象だと考えなければならないはずだ。
そして、木版からもう一段階視野を広げて版画全般について見渡してみると、複製技術としての写真術が確立される際に、先行する複製技術である版画の工程の一部が応用されたという歴史的経緯も気になる。写真術が普及し、より安価により簡易になりながら世界中に広まっていく一方で、版画は多様化を続けるわけだが、すると今度は、写真が版画制作に利用されるという現象も起きる。そんなわけで、版画は、現代的な表現の中にちょこちょこと忍び込むものなのだ。木理を活かした、一見、伝統に従っていると見える木版画だって、イノベーションの波を潜った後に改めて選び直された技法によって作られている。
こんなふうに、展覧会図録の中にふっと現れた「木版」の文字に、つらつらと考えごとをさせられたのだった。居並ぶ「世界の顔」の中に、木版作品がある。歴史や物語といったものは、文字や言語以前の現実をじっくり耕すことによって豊かに記述されていくのだと思う。絵画的のようなイメージの領域に属するものも、表現活動を支える技術も、その全てを言語化・文字化することはできないのだが、その不可能さを大事にしていきたい。
遠藤知恵子(児童文化研究センター助手)