1959年① レオーニ 初めての絵本Little Blue and Little Yellow
夏休みが終わったので、ブルーノ・ムナーリとレオ・レオーニの年譜を読むこの不定期連載も再開しよう。
1959年、レオーニは初めての絵本Little Blue and Little
Yellow(日本語タイトル:あおくんときいろちゃん)を出版する。この本ができるきっかけをつくったのは、レオーニの孫たちだった。
家族でデパートに行ったレオーニは、孫のピッポとアニーを連れて一足先に帰ることになった。列車に乗っているうちにじっとしていられなくなった2人を静かにさせるために、そのとき偶然持っていた『LIFE』の校正紙を取り出したのが始まりだった。青色、黄色、緑色のページをちぎって丸い形を作り、「膝の上のブリーフケースを舞台に低い声で語りはじめた」(p.168)のが、リトル・ブルーとリトル・イエローのお話。『あおくんときいろちゃん』の誕生である。
家族との買い物だったにもかかわらず『LIFE』誌の校正紙を「偶然」持っていた、とか、「膝の上のブリーフケース」、すなわち仕事用の書類鞄がお話の舞台になった、とか、当時のレオーニは本当に、ビジネスの世界に生きるアートディレクターだったのである。
『だれも知らないレオ・レオーニ』に収録された松岡希代子の論考「絵本作家レオ・レオーニの誕生と『あおくんときいろちゃん』」では、Little Blue and Little
Yellowの誕生に立ち会った孫の1人、アニーの、アメリカの週刊誌Publishers Weeklyに発表されたエッセイに言及している。1958年のブリュッセル万国博覧会で、レオーニが企画・デザインを担当したパヴィリオンが政治的圧力によって閉鎖に追い込まれるという出来事があった。アニーのエッセイは、このとき“問題視”された写真の構図が、完成した絵本の一場面によく似ていることに着目したもので、パヴィリオン閉鎖と絵本Little Blue and Little
Yellow誕生との関係を考察するというものだそうだ。
ところで、同じく『だれも知らないレオ・レオーニ』に収録された森泉文美の論考「だれも知らなかったレオ・レオーニ」では、1955年にレオーニがデザインを担当したThe Family of Man展図録を取り上げている。この論考で「左右非対称性、不規則性、大小のコントラスト、大胆な裁ち落とし」などを用いた「レオらしいレイアウト」を紹介するための例として、The Family of Man展図録のなかから、人々が輪になって遊ぶ(踊る?)写真を、見開きいっぱい大きな輪のかたちに並べたページを紹介している。
アニーの説とこの図録のレイアウトを併せて考えてみると、もしかしたら、第二次世界大戦終結後のレオーニにとって、平和な未来のイメージは、人間らしい不完全さを含んだ輪のかたちに象徴されるものだったのかな…などということを思いつく。
『だれも知らないレオ・レオーニ』でMoMAとの仕事でレオーニが最も気に入っていたと紹介されるThe Family of
Man展図録の表紙も、いびつな四角形に切られた大小さまざまの色紙のモザイクが、楽しげに笛を吹く人の写真を取り囲んでいるというものである。さまざまな出自をもつ人々が、笛の音(=音楽=芸術)のある所に集まり、仲良く輪になって踊ったり遊んだりするイメージである。かたちは整っていないけれど、おおらかで楽しい。
図録を捲りながら、(そうか、平和ってやつは、輪っかなのだな…)などと考えていたら、なんだかドーナツを食べたくなってしまった。あの甘くておいしい輪を食べるときも、やはり平和な気持ちになる。
【書誌情報】
奥田亜希子編「ブルーノ・ムナーリ年譜」『ブルーノ・ムナーリ』求龍堂、2018年、pp.342-357
「レオ・レオーニ 年譜」『だれも知らないレオ・レオーニ』玄光社、2020年、pp.216-219 ※執筆担当者の表示なし