2020年12月22日火曜日

濱谷浩の「こども風土記」

 「MUJI BOOKS 人と物」と銘打った、文庫サイズの素朴な白い本がいかにも無印らしい。1冊500円ほど。シリーズの9冊目、『濱谷 浩』(良品計画、2018年)の帯に書かれた「こども風土記」が気になり、手に取った。1959年に中央公論社から刊行された『こども風土記』に収録された写真と言葉の一部が採られ、この文庫本に掲載されている。

 白黒のざらりとした印刷の、15点の写真は、今から60年以上前の、日本各地の子どもたちの暮らしを紹介していた。京都の「タコ焼き」、東北の「ボンデン奉納祭」、北海道の「月光仮面」(月光仮面ごっこに興じる子どもたち)と「アイヌ」、瀬戸内海の「鬼祭り」…等々、それぞれの地域の色を映し出す写真たち。ちなみに東京は、港区ナザレ幼稚園のクリスマス祝会で、子どもたちがキリスト降誕の劇を演じる場面が選ばれていた。

 写真に切り取られた風景の美しさや、子どもたちの無心な様子(他所からやってきたカメラマンに対し、どうしてこんなに自然な表情を見せてくれるのだろう。濱谷は自身のことを「冬には、雪がこどもの国に降るように、夏には、トンボがこどもの国に飛んでゆくように」(p.74)などと形容している)が魅力的なのはもちろんだが、濱谷による「後記」も印象的だった。


いろいろな国で、それぞれの暮らしがありました。豊かな国もあれば、貧しい人もいるのです。こどもの国には天使もおり、悪魔もいるようです。しかしそれは可愛いい天使たちで、可愛いい悪魔どもで、みんな精一杯、生きることに無我夢中でした。(p.74)


 ここで言う「国」は、“国家”ではなく、“生まれ故郷”というほどの意味だろう。そして、それぞれの国に生きる子どもの領分を、濱谷は「こどもの国」と呼んでいる。

 こどもの国には楽しいことも悲しいことも起こるが、濱谷は悲しい場面は写さなかったそうだ。カメラがそっぽを向いてしまったと述べている。


そうした時、私のカメラはそっぽを向いてしまいます。これはこどもの国の出来事ではなくて、おとなの世界の問題なのです。やはり、私はおとなの世界で、濁って醜い空気の中で、やらなければならない仕事があることを、あらためて思い知らされたのでありました。(p.75)


 「こどもの国」で起きる悲しい出来事の原因は、「大人の世界の問題」が作っている。そのことを、こんなふうにストレートに書いてあるのを読んで、どきりとした。「後記」からは、濱谷が『こども風土記』にふさわしい楽しい場面を選び取り、「悲しい場面」を排除したことが読み取れるが、それはまるで、「大人の世界の問題」が「こどもの国」に襲いかかるのを食い止めようとするかのようでもある。

 また、こんなことも考えた。写真は、写真家が目にしている風景を、写真家の意志に従って写し取り、加工したものであるわけだが、私たちはそうして撮られた写真の中に真正性を求めがちだ。確かに写真には出来事の証拠となる力があるが、真正性と撮影者の思いに基づく表現とは、必ずしも互いを排除し合うものではない。

 …と、こんなふうに、『濱谷 浩』の「こども風土記」のページを眺めつつ考えごとをしたわけだが、あくまでも、小さな文庫本に収まったわずかな写真を見ながらのことである。実際に出版された写真集を見たいし、できれば大きくプリントされた展示用の写真も見てみたい。


 2020年は調査研究のための外出も躊躇わねばならない年だった。年が明けてからも当面の間は油断できないが、次にやってくる2021年が少しでも明るい年であるよう、祈りながら日々を過ごそう。


                遠藤知恵子(児童文化研究センター助手)