2021年4月28日水曜日

【書評】小泉八雲『怪談・骨董』平井呈一訳、恒文社、1975年

 怪談の好きな子どもは多い。私もそんな子どもの一人だったのだが、そのまま育ってしまった。

小泉八雲ことラフカディオ・ハーンの『怪談』に収録された話のいくつかは、児童用に易しく書き直されたものを小学生の時に読み(本のタイトルも再話者の名前も覚えていないが)、中学生になってからは角川文庫から出ていた翻訳を読み、大人になってからは小林正樹監督の映画『怪談』(1965)を観て、そして本書を読んだ。あまりにも年齢を問わない作品なので、正確な意味では児童書ではないこの本を、推したくなってしまった。(ちなみに、東京国立近代美術館のコレクションの一つ、中村正義の≪源平海戦絵巻≫(二曲一隻全五図の屏風絵)はこの映画『怪談』の第三話、「耳なし芳一」のために制作されたとのことで、作品冒頭に登場した凄みのある画面に目を瞠らされる。)

 「耳なし芳一のはなし」は壇ノ浦の合戦を背景にした歴史物語という側面がある。この話が成立した頃には、源平の合戦が既に遠い昔の出来事になっていたのだと思うと、しみじみしてしまう。そして、物語にえがかれた、平家の死者たちが抱く恨みや悲しみの深さをいっそう強く感じ、背筋が冷たくなる。彼らは長い年月を経ても癒えないこころを慰めるために、琵琶の名人である芳一を夜な夜な呼び出しては、一族を滅亡に追い込んだ合戦を追体験し、涙して、いっそう恨みを深めていくのである。

しかし、恨みの感情にみずから縛られてしまった死者も傷ましいけれど、たまたま琵琶の名手だったという理由で、何の罪もないのに死霊に召し出されてしまった芳一も哀れだ。彼は自分が怨霊に憑りつかれていることにも気づかず、ひたむきに琵琶をかき鳴らし、声を張り上げる。そんな琵琶ひとすじの芳一に、怨霊は全く容赦がない。

 ところで、芳一を怨霊から守るためその体に和尚が経文を書く場面で、子どもの頃の私は、濡れた筆先が肌を撫でる感触を想像してはくすぐったがっていた。死の恐怖と隣り合わせでいるとき、筆先のくすぐったさに耐えるのはどんな気持ちだろうかと、考えずにはいられなかったのだ。考えると皮膚が粟立ち、背筋がぞくっとする。恐怖は皮膚感覚に訴え、刻々と迫ってくるのである。

 繰り返しになるが、ここに挙げた『怪談・骨董』はいわゆる児童書ではない。だが、中学生・高校生くらいになれば充分に読める内容だと思う。それに、「参考資料」として一夕散人の『臥遊奇談』(原話の一つ)を巻末に収録しておいてくれるあたり、親切で、しかも手加減がない。


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この書評は、2021年春に開催された書評コンクールの応募作品です(書評番号6)