2020年11月27日金曜日

猫村たたみ×熊沢健児 トークセッション

書評コンクール2020夏 猫村たたみ×熊沢健児 トークセッション

 

猫村たたみ(三文庫の守り猫)

猫村 センター構成員の皆さま、ご機嫌いかがですかにゃ。センター三文庫の守り猫、猫村たたみですにゃ。

熊沢 どうも、名誉研究員の熊沢健児です。

猫村 書評コンクール2020夏にご参加くださった皆さま、いつも温かく見守ってくださっている皆さまに、心よりのお礼を申し上げますにゃ。ありがとうございましたにゃ!

熊沢健児(名誉研究員)

熊沢 ありがとうございました。

猫村 夏のイベントにゃったけど、季節はすっかり秋にゃね~。

熊沢 うん、期間延長したからね。窓の外では鮮やかな紅葉が、目に心地良いね。

猫村 風は冷たいけど、日差しの当たるところは暖かいのにゃ。ひざ掛けを持って、ぽかぽか日の当たる縁側で読書したいのにゃ~。

熊沢 そうだね。読書の季節のトークセッション、ぼちぼち始めようか。

 

猫村 今回の応募作品はどれも、私たちが置かれている時代の状況を反映しているようにゃね。

熊沢 そうだね。今回の優秀作品となった『おみせやさんでくださいな!』の書評は、緊急事態宣言が発令された春の自粛生活のなかで、お子さんと一緒に楽しく読んだ絵本を紹介しているね。

猫村 そうにゃね。保護者の方に連れられてお買い物に行く子どもたちが目にする、おみせやさんの様子を、楽しく描いている絵本のようにゃね。

熊沢 うん。そういう、買い物の楽しさが味わえる絵本だっていうことがよく分かる書評だったね。

猫村 にゃ! 絵本についての説明も楽しいけど、しあわせもりあわせさんのコメントも面白いのにゃ。「ワニが店主をしている精肉店など、価格が異様に安いので、商品の仕入れ先が気になりつつ、あれもこれもほしくなってしまう」にゃって。たしかに気になるのにゃ~。私、ここを読んで笑ってしまったのにゃ。

熊沢 そうだね、大人目線でも面白いね。

猫村 書評には、「登場する動物のキャラクターそれぞれにも物語が潜んでいる」とあるのにゃけど、ここでの「物語」は暮らしの中の物語にゃね。自粛生活中は、なかなか人と会って話せなくて孤独を感じがちだったのにゃ。そういうときって、自分のことで頭がいっぱいになってしまうけれど、みんなそれぞれ自分の暮らしを頑張って続けていると思うと、ちょっと励まされるのにゃ。

熊沢 それにしても、自治体によっては幼稚園・保育園が休園になるなど、あの頃の親御さんたちは本当に大変だったね。仕事もしなくちゃならないし、子どもの世話もしなくちゃならないし、本気で遊び始めたときの子どものエネルギーは無尽蔵だし…。

猫村 そういえば、熊沢君は大学院を出てさすらっていた頃、ベビーシッターのアルバイトもしていたのにゃね。

熊沢 うん。知り合いの子をね。ほら、私はぬいぐるみだろう? だから、ベビーシッターの仕事も、いきおい体を張って行うことになる。バイトのたびに体力を使い果たし、その日の夜はぐったり熟睡してたなぁ。

猫村 え~、いつも不眠症気味の熊沢君が?

熊沢 うん。全力で遊んで燃え尽きていく日々…懐かしいな。

猫村 信じられないのにゃ!

熊沢 そうかな。あの頃に、こんな絵本があったらまた別の遊び方をしていたかも。書評に書いてある探し物ゲームをしたり…歌い読みができるのも興味深いね。

猫村 昔の熊沢君に教えてあげたいのにゃ!

熊沢 そうだね。あの頃、知りたかった絵本だ。

猫村 にゃ! 最優秀賞、おめでとうございますにゃ!

熊沢 白百合の森のキィローさんの書評は、しあわせもりあわせさんとはまたちがったかたちで、生身の子どもたちとの交流が背景にある書評だね。

猫村 にゃ。『あふれでたのは やさしさだった』は少年刑務所での更生教育の一環として行われた詩の授業の記録、ノンフィクションにゃね。

熊沢 うん。詩の授業だけど、この授業を通じて学ぶのは広義のコミュニケーションだ。

猫村 そうにゃね。詩を作る前の準備段階では、絵本の朗読劇をするそうにゃね。表現に優劣をつけず、ただ受け止めるということの練習をしていくのにゃ。

熊沢 優劣をつけないというところが大事だね。他人の評価を気にして思ったことを飲み込んでしまうと、そのうちに、自分が何を感じ、考えていたかということすら忘れてしまうからね。

猫村 そうなのにゃ。自分の心を見失うことほど、つらいことはないのにゃ。

熊沢 共感するにせよ、共感以外の気持ちを抱くにせよ、自分が表現したことを否定せずに受け止めてもらえるという環境は、誰もが必要としていながらなかなか手に入れられないものだよね。

猫村 にゃから、安心して詩を書き、発表できる環境づくりから始めるよう、授業をデザインしているのにゃね~。

熊沢 そうだね。

猫村 すぐれた詩を書くとか、名詩を鑑賞するとかいったことも大事なのにゃけど、そういう高度なことができるのは、安心して素顔を晒せる場があるということが根本にあるのにゃね。

熊沢 うん。そして、表現する側もまた、表現を受け取る相手に共感ばかり求めるのではなく、相手の気持ちや反応を素直に受け止められるといいね。

猫村 にゃ。たとえ作品に共感してもらえなくても、それは存在を否定されているわけではないのにゃ。

熊沢 うん。

猫村 にゃ!

熊沢 ところで、コロナ禍で外出が減り、自分のことを振り返る機会も増えたと思う。

猫村 そうにゃね。私も三文庫にこもることが多いのにゃ。冨田文庫の「青い鳥コーナー」をみては、女学校での出来事を思い出すのにゃ。懐かしいのにゃ~。

熊沢 『教育再定義の試み』を書いた、哲学者の鶴見俊輔さんの学生時代は、あまり楽しい思い出ばかりではなかったみたいだけど。

猫村 にゃ~む。そうにゃね~。

熊沢 若いうちに日本から出されて海外で学び、外国の言葉を使って、自分の頭で考えるということを身に着けていったんだね。少年期の記憶は苦かったかもしれないけれど、鶴見さんの思索のスタイルを作るときに役に立ったんじゃないかな。

猫村 そうにゃね。書評で取り上げられている、unlearningという言葉が印象的にゃ。

熊沢 うん。人から教えてもらったことは、自分にふさわしい知識や知恵へと編みなおしていくことで、本当に身につくんだね。

猫村 いつも、考えて行動する「自分」があるのにゃね。

熊沢 そうだね。スウェーター(セーター)の喩えがいいよね。頭の中だけで考えるのではなくて、自分の身体感覚や行動を通じて考えていくんだ。

猫村 私のダンスと同じにゃ。体を動かして、肌で風を感じながら考えて、また体を動かして表現するのにゃ! にゃ~にゃにゃ~にゃにゃ~にゃ、にゃっ…(猫村、ステップを踏み、ターンして決めポーズ)

熊沢 そうか。

猫村 鶴見さんに親しみが湧いたのにゃ!

熊沢 それは良かった。

猫村 にゃ!

熊沢 君は、チャペックの『オランダ絵図』を紹介していたね。

猫村 素敵な旅の記録にゃ。

熊沢 窓と街路の関係など、街並みの観察が面白いね。オランダで見る風景は、エナメルのように明るいだなんて、想像もつかない。見てみたいな。

猫村 いつか一緒に行ってみようにゃ。熊沢君の好きなゴッホの絵も、オランダ旅行をしたらもっと面白く観られるようになるかもにゃ~。

熊沢 うん。コロナが収まったら行きたいな。

猫村 熊沢君が紹介しているのは、『すきになったら』という絵本にゃね。

熊沢 うん。

猫村 熊沢君、恋をしているのかにゃ?

熊沢 いや、していない。

猫村 にゃふ~ん、ずいぶんきっぱり言い切るのにゃね~。ポエムのような書評にゃったけどにゃ~。

熊沢 してないったら、してないんだよ、もう!

猫村 にゃにゃ、ついからかってしまったのにゃ。ごめんにゃ。絵の中に入り込んだような書き方をしているから、気になってしまったのにゃ。

熊沢 絵の魅力を伝えようとしたら、こうなっただけだよ。

猫村 そうだったのにゃね~。熊沢君の書評は余白の魅力に言及しているのにゃけど、照れ屋さんの熊沢君が恋や愛をテーマにした絵本を正面から扱えるのは、この余白のおかげではないのかにゃ?

熊沢 うん。確かに。甘くなりがちなテーマだからね。語り過ぎないところが実に魅力的だった。

猫村 にゃ~む。余白とか、一見、何もないと思われるもののなかに、大事な意味や役割があったりするのにゃね。

熊沢 うん。見えないものこそ大事。そして、見えないものをいかに表現するか、いかに感じ取るかという想像力も同じくらい大事だね。

猫村 今年は目に見えないウイルスへの感染をいかに防ぐかを考えさせられる1年にゃね。見えないものへの想像力を鍛えられた気がするのにゃ。

熊沢 そうだね、絶えず想像しながら予防することを強いられてきたね。

猫村 想像力の2020年!

熊沢 ポジティブに言い換えるとそうなるね。

猫村 私はいつだってポジティブにゃ! 大変な1年にゃけど、皆さまと一緒に最後まで元気に乗り切って、新しい年も無事に過ごすのにゃ。

熊沢 皆さま、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。書評コンクールは年明けにも行います。ぜひ、ご参加ください。

猫村 それでは皆さま、ごきげんようにゃ~。





第3回書評コンクール結果発表

 

書評コンクールの投票結果を発表いたします。

・書評番号1 遠藤知恵子(その他)                 得票数2

・書評番号2 熊沢健児(ぬいぐるみ・名誉研究員) 得票数2

・書評番号3 猫村たたみ(三文庫の守り猫)    得票数1

💖書評番号4 しあわせもりあわせ(一般)      得票数3

・書評番号5 白百合の森のキィロー(その他)   得票数2

 

優勝は、書評番号4、『おみせやさんでくださいな!』の書評を書かれた、しあわせもりあわせさんに決定いたしました。おめでとうございます。

参加者の皆様と、いつも温かく見守ってくださる皆様に、心よりお礼申し上げます。


2020年11月13日金曜日

戦国武将あいうえお作文

其之七(連作之完):徳川家康


くになるなら

ろうもいとわず

まんをかさねて

がよのはるが

まこそきたれり

どばくふ

さしいよになれ

えながく


 作:しあわせもりあわせ

熊沢健児のお散歩

紅葉・花水木・吉祥草


穏やかに秋の深まりゆく白百合女子大学キャンパス。朝の光を浴びに、散歩に出かけた。

紅葉は上の方から徐々に色づいてきている。大学図書館前の紅葉もそろそろ・・・。

図書館までの小道は花水木(ハナミズキ)。赤い実が可憐である。

今日の散歩のお目当ては、この吉祥草(キチジョウソウ)。ユリ科の常緑多年草で、草陰に隠れるようにして、このような愛らしい花をつける。

こうして並んで咲く姿を見ていると、私はどういうわけか、グリム童話の「おどる12人のおひめさま」を思い浮かべてしまう。ああ、姫様。この秋もなんと麗しいお姿・・・。

大学の正門は施錠されているため、正門側にある吉祥草の咲くエリアは通る機会がなかなかないが、季節はきちんとめぐって、花たちもけなげに咲いている。花たちのすぐそばを、朝の光を浴びながら歩いていると、パソコンの前で固まった関節がほぐれていく。胸いっぱいに秋の空気を呼吸しながら、これから読みたい本のことや、間もなくやってくるアドヴェントの季節のことを思うのであった。

2020年11月6日金曜日

【書評】寮美千子『あふれでたのは やさしさだった 奈良少年刑務所 絵本と詩の教室』西日本出版社、2018年

 詩はどうして、心にふれてくるのだろう、ふれられるのだろう。そもそも詩とはなんだろう。もし詩と聞いて身構えてしまうとしたら、そのひとには、もっぱら修辞を駆使する言葉遊び、繊細な感性の証明、どこか気取ったもの、キレイゴト、実人生とは無関係、聖域、といった先入観や苦手意識が少なからずあるからかもしれない。『あふれでたのは やさしさだった』は、奈良少年刑務所(現在は廃庁)での更生教育「社会性涵養プログラム」の一環として行われた授業の記録であるが、そうした詩に対する思いこみを解いてくれるようなノンフィクションでもある。

 このプログラム(半期)を受講できるのは、1725歳の400名近い受刑者が収監されているなかで10名ほど。「刑務所のなかでも、みんなと歩調を合わせるのがむずかしく、ともすればいじめの対象にもなりかねない」コミュニケーションが困難な青少年たちだという。寮が担当した「物語の教室」では、まず絵本の朗読劇で心をほぐす準備体操をする(教材の絵本は、アイヌ民話を題材にした『おおかみのこがはしってきて』、宮沢賢治「どんぐりと山猫」を題材にした『どんぐりたいかい』)。そうすることによって、この教室では、「すぐに答えられなくても、ちゃんと待ってもらえる」「評価されない」「叱られない」「安心・安全な場」であることを、彼らに身をもって知ってもらうのだ(わたしたちの日常においても、自然体でいられることは意外とむずかしい)。そのあとではじめて詩を書いてきてもらい、発表し合う授業形式が可能となる。

 詩を書くことによって、しんどい「自分の心に気づくこと、吐きだすこと」ができるようになる。それを仲間が受けとめてくれる「場」がある。その「自己表現」+「受けとめ」(共感にかぎらない)のセットで、みるみる彼らの表情や態度が変わってゆくのだという。またこのプログラムの実践を通じて、講師である寮もまた、詩に対する認識を新たにしていく。

 

だれかが「これは詩だ」と思って書いた言葉があり、それを「これは詩だな」と受けとめる人がいたら、その瞬間、どんな言葉でも「詩になる」ということだ。そして、それは書いた人の人生を変えるほどの力を持つことがあるのだ。/すぐれた詩作品があり、そんな詩にこそ価値があると思っていたわたしは、愚かな「詩のエリート主義者」だった。(122-123

 

 わたし自身は、詩の言葉が「日常の言葉とは違う」(寮)ということにすら、どこか違和感を覚える。日常の言葉だって、詩でありうるのではないだろうか。「裸の心でつながりあうことのできる教室」の記録は、詩と日常を分けて暮らしているわたしたちにも、楽に呼吸ができる社会をつくるヒントを教えてくれる。

 本書では、いくつかの詩が紹介されており、寮が彼らの背景を含めて解説してくれているが、詩をていねいに読みたい方には「奈良少年刑務所詩集」も2冊出版されているので、そちらをどうぞ。


【関連書】

寮美千子編『空が青いから白をえらんだのです—奈良少年刑務所詩集—』新潮文庫、2011

寮美千子編『世界はもっと美しくなる 奈良少年刑務所詩集』ロクリン社、2016


この書評は、2020年夏に開催された書評コンクールの応募作品です(書評番号5)

【書評】さいとうしのぶ『おみせやさんでくださいな!』リーブル、2016年

いつでも行ける商店街


「しょうてんがいにいこうよ!」

緊急事態宣言下の春、我が家の幼い子どもが誘ってきた。近所の小さな商店街へ買い物に連れて行ってあげられない理由を、もう一度説明しようとするのを遮って、子どもが言う。

「『ふれあいしょうてんがい』だから、だいじょうぶ!」

 びっくりして見下ろすと、子どもは『おみせやさんでくださいな!』という絵本を開いて、中表紙を指差した。タイトルの文字を囲う商店街入口の絵には、『ふれあい商店街』の看板がかかっている。この子にとって、この絵本を読むことは、『ふれあい商店街』に行くことなのだ。

 中表紙をめくると、そこはもう商店街。一本の道をコの字型に囲むように、37ものお店が並ぶ。世の中にはこれほどたくさんの種類のお店があるのかと、その多彩さに驚かされる。各店には時計があり、一軒目のくまのパンやさんでは朝の8時を指している。読者は半日かけて動物たちの営むお店を回り、最後のロバのレストラン(パンやさんの向かい)で夜の8時を迎えるという設定だ。

 37店それぞれに添えられた文章がやたらリズミカルだと思っていたら、巻末に楽譜が付いていた。その楽譜のシンプルなメロディで、すべての文章を歌い読みできる。この作品をくり返し読んでいるうちに、子どもは歌詞をすっかり覚えてしまった。

お店は一軒ずつ描かれている。左ページに文章と、擬人化された商品たち(彼らのしていることにも注目!)、右ページにお店の個性的な外観が描かれ、ページをめくると見開きいっぱいに店内の様子。ほぼそれのくり返しで作品は展開していく。店内は細部までとことん丁寧に描き込まれており、作者はこういうのが好きなのだろうな、ものすごく楽しんで描いたのだろうな、と思わずにはいられない。そして読者は、指定されたものを店内から見つける、いわゆる探し物ゲームを楽しめるのだ。

しかし、この作品の一番の楽しみは、なんと言っても「お買い物」だろう。子どもは毎回飽きもせず、「なにがほしい?」と聞いてくる。店内をひととおり見渡して、ユニークで豊富な商品の中からその日の気分でほしいものを選ぶのは、思っていた以上にかなり楽しい。ワニが店主をしている精肉店など、価格が異様に安いので、商品の仕入れ先が気になりつつ、あれもこれもほしくなってしまう。

この作品には、ひとつの物語が隠されているのだが、登場する動物のキャラクターそれぞれにも物語が潜んでいる。くり返し読んでいるうちに、ここのお客さんがこちらのお店にもいる、ということに気づく。そして、お客さんや店主たちの関係、彼らの情に厚い性格などが見えてくるのだ。実に奥が深い。

感染拡大防止のために、目的のない買い物のためらわれる日々。自粛生活に疲れたら、ぜひ、あなたも『ふれあい商店街』に行ってみてほしい。


この書評は、2020年夏に開催された書評コンクールの応募作品です(書評番号4)

【書評】 カレル・チャペック『オランダ絵図』飯島周訳、筑摩書房、2010年

旅行好きの私にぴったりの本を見つけましたのにゃ!


 書いたのは、『長い長いお医者さんの話』(1932年)でお馴染みの、カレル・チャペックさん(1890-1938)ですにゃ。チャペックさんは諷刺劇『ロボット(RUR)』(1920年作、1921年初演、プラハ)を書いた人でもあるのにゃけれど、兄のヨーゼフ・チャペックさん(1887-1945)の発案を受けて「ロボット」という新しい言葉を使ったことで、この言葉が世界中に広まっていったのにゃね。ちなみにお兄さんは画家さんですにゃ。(素敵な兄弟にゃ〜。)

さて、ですにゃ。この本は、1931年の世界ペンクラブ大会出席のためオランダに滞在したときのことを書いた紀行文ですにゃ。人に対しても、風景に対しても、明晰な観察をもとに小気味の良い文体で書いているのが印象的にゃね。テンポよく、さくさくと読めるのですにゃ。

そして、私が一番気に入っているのは、オランダの土地と光について書いている、この部分ですにゃ。

 

オランダでは、各種の色はほとんどエナメルのように明るく、赤い煉瓦、緑滴たる牧草地、黄色い砂、明るい色の看板、清らかな空気の中にきらめく純粋な色から受ける喜びがある。

p.44

 

私、ここを読んだとき、「そうそう、それにゃ!」と、開いた本のページに向かって話しかけてしまいましたのにゃ。土地が変わるとお日様の光が変わりますにゃ。にゃから、木も山も建物も川も、それまでの人生で見てきた色とまるで違って見えるのですにゃ。その土地ならではの色彩を全身で浴びることは、海外旅行の醍醐味にゃ〜。

この本を読んでですにゃ、私は1930年代のアムステルダムに行って、建物をよく観察してみたくなりましたのにゃ。チャペックさんは、「オランダでは、家ではなく、街路が建てられている」(p. 96)と書いて、家と街路の結びつき(窓も重要なポイントにゃね)を指摘しているのにゃ。にゃ〜む…どういうことかにゃ〜。

この本を読んで、「コロナがおさまったら行きたい場所リスト」に、アムステルダムを書き加えましたのにゃ!


この書評は2020年夏に開催された書評コンクールの応募作品です(書評番号3)

【書評】ヒグチユウコ『すきになったら』ブロンズ新社、2016年

 表紙に描かれた少女の眼差しに引き込まれ、思わずこの絵本を手にとってしまった。表紙を開くと、見返しの緑色が深く、美しい。

誰かを好きになったときに起こる心の変化を、少女のモノローグで淡々と語る。少女の物思いをそのまま絵本にしたような作品だ。

好きになったら、相手のことをもっと知りたくなるし、自分のことも知ってもらいたくなる。これは誰にでも起こりうることである。なにか特別な、変わったことを言っているわけではない。そして語る言葉はシンプルである。「好き」という感情を知るたびに心が柔らかになっていくさまを、精確な描線で描かれた、少女の表情ひとつひとつにつぶさに見て取ることができる。

誰かを好きになるということは、相手の弱さや苦しみをも暖かく包み込もうとするということ。それは痛みを伴うことなのかもしれない。だが、好きという感情を知り、柔らかくひらかれた心には、身の回りの風景が今まで知らなかったような相貌を見せ始める。

風景が変わったのではなく見る目が変わったのだが、目にするものひとつひとつの豊かな輝きは、人を愛することを知った少女への、この世界からのプレゼントなのではないだろうか。

少女の言葉に合わせてページを繰るたび、場面ごとの絵の美しさにはっとさせられる。話そのものは動きが少ないが、絵の動線は確かで、場面の移り変わりが自然だ。全てを描き切らない、控えめな絵を見つめていると、余白が呼吸をしているような感覚に囚われる。

 優しさと静かな狂気とを湛え、「わたし」と「あなた」ふたりだけの世界を描き出す絵本である。

この書評は、2020年夏に開催された書評コンクールの応募作品です(書評番号2)

【書評】鶴見俊輔『教育再定義への試み』岩波書店、2010年

 教育再定義「の」試み、ではなく、教育再定義「への」試みである。教育の再定義を目論んで書かれた試論ではない。

 著者の鶴見俊輔は、1997年に神戸で起きた連続児童殺傷事件を起こした、当時まだ14歳だった少年の身に自分を置き換えて考えようとする。20世紀末の日本児童文学を論じる際にしばしば引き合いに出されるショッキングな事件だが、鶴見の場合、自身の幼少期に心の中に根付いた、俺は悪だ、という強い意識を呼び覚まされたのではないだろうか。本書はこの事件の2年後、1999年に岩波書店より刊行された同タイトルの本の文庫版である。

 鶴見は子どもの頃、学校制度となじまなかったそうだ。15歳で日本から出され、アメリカに送り込まれる。異国の言葉で、鶴見は学んだ。

ハーヴァード大学に在籍中の夏休みの記憶。鶴見は働いていた図書館で、偶然、ヘレン・ケラーと言葉を交わしたそうだ。そのとき彼女は「まなびほぐす」という言葉を使った。

鶴見は「まなびほぐす」を次のように咀嚼している。

 

たくさんのことをまなび(learn)、たくさんのことをまなびほぐす(unlearn)。それは型通りのスウェーターをまず編み、次に、もう一度もとの毛糸にもどしてから、自分の体型の必要にあわせて編みなおすという状景を呼びさました。

pp. 95-96

 

一度まなんだことを分解して、ふさわしい形に編みなおす。まなんだことそれ自体を否定するわけではないが、まなんだことをいったんほぐし、自分の生活や暮らし、心のありように合わせて編みなおすプロセスに目を向けるのである。

本書のタイトルである「教育再定義への試み」は、おそらく、生きていくためのまなびほぐし(unlearning)の試みとも言い換えられるのではないだろうか。「教育」について、それまで積み重ねてきた経験や身につけてきた考え方をほぐし、生きていくことに合わせて編みなおす。

本書は主語のない学術書ではなく、始まりにはいつも「私」がある。「私」を起点にして論を起こし、「私」から離れてより根源的な問題へと進み、ふたたび「私」へと戻る。途切れのない問いの連環を、ゆっくりと辿りたい。


この書評は、2020年夏に開催された書評コンクールの応募作品です(書評番号1)

2020年11月5日木曜日

戦国武将あいうえお作文

其之六:真田信繁(真田幸村)


いかくありとみとめられ

がくつかえしとよとみけ

れもがかちめのなしともうすが

ぞむはごおんにむくいることぞ

ゆうちりゃくでてきをうち

ょうりをあるじにもたらすが

にもののふのほまれなりけり

  

 作:しあわせもりあわせ

猫村たたみの三文庫(非)公式ガイド

 (8)踊るのにゃ!

 

センター構成員の皆さま、ご機嫌いかがかにゃ?

三文庫の守り猫、猫村たたみですにゃ。お久しぶりでございますにゃ~。

 

突然にゃけど、皆さま、運動はお好きですかにゃ?

実は私、ダンスが好きなのですにゃ。

子どもの頃は習い事をたくさんさせてもらったのにゃけど、踊りのお稽古は大好きでしたのにゃ。

 

大人になってからは、タイピストをして働いたお給料を貯めて、バレエを観に行きましたのにゃ。あまりたくさんは観られにゃかったけれど、バレエの記事が載った雑誌を見つけては、切り抜きをスクラップブックに集めて、夢中になりましたのにゃ。

あの頃の最先端の舞踊は、洗練されたバレエの技巧と、古代ギリシャへの憧れと、モダンで遊戯的な感覚がせめぎ合い、それはもう、素敵なカオスでしたのにゃ(はにゃ~っ)。

 

光吉文庫でおなじみ、光吉夏弥先生の批評活動は舞踊から始まっているのにゃけど、光吉先生の批評は、私にとって教科書みたいなものにゃったので、大事に大事に読みましたのにゃ。

 

初期の批評活動については、絵本研究者の澤田精一さんの「戦前の光吉夏弥を尋ねて」(『図書』815 20171月)に詳しいですにゃ~。

澤田さんによると、光吉先生は慶應義塾大学在学中の1925年に最初の批評を2本書き、卒業までに3本の評論を専門誌に寄稿したそうですにゃ。

 

皆さまもご存じの通り、2年前に澤田さんがセンター主催の講演会で、「光吉夏弥――その生涯と時代」というテーマでお話ししてくださっておりましたのにゃね(講演録は白百合女子大学図書館の機関リポジトリに登録されていて、図版も含めオンラインで閲覧できますにゃ! 楽しいのにゃ!)。

192030年代の舞踊研究は、光吉先生が個人で行い、雑誌などに発表していたみたいにゃけど(私がスクラップしたやつにゃ!)、1930年から37年まで、先生のオフィシャルな顔は、国際観光局の職員さんだったのにゃね。澤田さんの講演録を読み返すと、絵本の翻訳や編集に携わる以前のお仕事や批評活動を振り返ることができ、戦後日本の翻訳絵本がもつ歴史的背景を再確認できますにゃね~。

 

入構制限が解除されるまで、三文庫の利用を休止しているのが心苦しいのにゃけど、皆さまにご来室いただけるその日まで、私こと猫村たたみ、全力で三文庫をお守りいたしますのにゃ! …にゃから、構成員の皆さまにおかれましては、まずは健康第一でお過ごしいただきたいのですにゃ。よく眠り、栄養のあるものを食べて、お日さまのもとで体を動かしましょうにゃ。

 

では(猫村、おもむろに立ち上がる)、踊るのにゃ! にゃ~にゃ、にゃ~にゃ、にゃ~にゃ、にゃ~…

 

[追記]

193211月発行の「岩波講座 世界文学」第1回配本『現代の舞踊』は、澤田さんが「戦前の光吉夏弥を尋ねて」で「これまでの総まとめの感がある」(p.18)と評していらっしゃる通り、(当時の)現代舞踊の面白さがぎゅぎゅっと凝縮された充実の小冊子にゃ。この『現代の舞踊』は、光吉文庫にもあるのにゃね。ちなみに、「戦前の光吉夏弥を尋ねて」が掲載された『図書』815号(20171月)もセンター内にありますにゃよ。