2019年12月6日金曜日

荷物

電動自転車の前後ろ
子ども用の座席に巨大な荷物

白いビニールに透けている
クリスマス柄の包装紙

こがずに押して歩いている
この人もまた サンタクロース



作詩:しあわせもりあわせ

2019年12月5日木曜日

熊沢健児のお気に入り本

軸原ヨウスケ+中村裕太『アウト・オブ・民藝』誠光社、2019


 大学図書館の雑誌コーナーでふと手にした『美術手帖』第71号(20194月)に、「100年後の民藝」という素敵な特集があった。このときに大きく取り上げられていた『アウト・オブ・民藝』という本がどうしても欲しくなり、購入した。

ソフトカバーの簡素な装丁である。表紙は手描きの文様の中に、タイトルの文字が埋め込まれている。太い帯には、

民藝運動の「周縁」にスポットをあて、
21世紀のモノづくりを考える。
未来は常に過去の中にある!

 というキャッチコピーが印字されているのだが、この帯、実は二つ折りになっていて、本から外して広げると、A3サイズの大きさである。そこには、ウィリアム・モリス(1834-1896)を最上部に頂いた、民藝とその周辺――農民芸術、郷土玩具、児童自由画、版藝術、創生玩具、等々――で活躍した人々の相関図が印刷されている。
相関図の中心には、宗教哲学者でもある柳宗悦(1889-1961)がいる。柳は富本憲吉(1886-1963)、河井寛次郎(1890-1966)、濱田庄司(1894-1978)らとともに、「日本民藝美術館設立趣意書」(1926)を発表し、民藝運動を牽引していった。彼らによれば、「民藝」は「民衆的工藝」の略である。

彼らは、無名の工人が土地の素材と先人から培ってきた技術によって作り出された素朴な工芸品を「民衆的工藝」と称し、それを略して「民藝」と呼びようになったと。(中村発言)(p.17

作り手が無名であること、その土地に根付いた技術で作られたこと、素朴な味わいがあることが、「民藝」の条件であるらしい。美術館を設立するということは、ただ無名の工人による素朴な品物であるというだけでなく、美的にも人を満足させてくれることも、重要だったようだ。

さて、帯の相関図に記された人の数を数えてみると約90人(複数の領域で活躍した人の名は相関図の中に2箇所書かれていたりするので、その分も数えてだいたい90人)。重複があるとはいえ、充分な大人数である。

この本は、誠光社で開催された展覧会(2019417-30日)と全5回のトークイベントが元となっているそうだ。軸原ヨウスケの「まえがき」(p.5)に、

研究ではなく、ただただ好きで調べ続けた結果、連想ゲームのように広がったその世界は、人と人の繋がり、時代背景や人間関係、様々なことを教えてくれた。

 と記されているように、先ほどの相関図は「好き」を追いかけて行った末に出来上がったマップなのである。研究者のアプローチ方法とは、最初から違っている。だが本書は、その「好き」のエネルギーのおかげで、美術や工芸といった一般的な区分で整頓しようとするとどうしても生じてしまう20世紀前半の知と芸術のすき間に食い込んでいる。

 「民藝」については、『美術手帖』20194月号の特集「100年後の民藝」を読むと、大体のイメージを掴むことができる。『アウト・オブ・民藝』は「民藝」に対し、「アウト・オブ」なものを集め、「民藝」に関わった人たちと「アウト・オブ・民藝」な人たちとを関連付け、つなぎ合わせることに眼目がある。「民藝」にしろ「郷土玩具」にしろ、それが呼び起こす美的感覚は微妙なもので、どこがどう魅力的なのか、それを知らない人に伝えるのが結構難しいのだ。実際の品物に触れ(見るだけでは足りない)、当時書かれた書物を参照し、人的なネットワークを通じて眺めたときに、「あ、そうなんだ」と、なんとなく納得できるようになる。
学ぶところの多い本なのだが、本書の一番の魅力は、「面白がり」だと思う。例えば、この本のもととなったトークイベントで考現学の今和次郎(1888-1973)の人柄をしのばせる映像を流し、今にツッコミを入れるという一幕がある。

いったい何の話だって感じですね。使われていたイラストを含めて愛嬌がありすぎて話しが頭に全然入ってこない。(軸原発言)(p.149

 考察対象をからかうのは感心しないが、「アウト・オブ・民藝」な人々が好きすぎて、今へのツッコミが必要以上にきびしくなってしまう気持ちは分からないでもない。こうした屈折した(?)愛情と「面白がり」のエネルギーが90人のマッピング作業を行う原動力になっているのだろう。

熊沢健児(ぬいぐるみ、名誉研究員)

2019年11月28日木曜日

出不精ながら、展示会へ (番外編)


ちりめん本にみる東西文化の融合
――明治の木版多色刷り絵本の世界

 展示会に出かけたというより、出かけた先で展示会をしていました。調べ物があって、久しぶりに白百合の大学図書館へ行ったのです。2階の吹き抜けスペースで、こぢんまりとすごい展示会をしていました。大学図書館が所蔵している、ちりめん本コレクションです。

 「ちりめん本」というものを初めて見たのですが、しわしわに縮れていながら、絵も活字もきれいな線を保っている、不思議な和紙の絵本でした。浮世絵のような挿絵の和綴じ本なのに、活字が欧文なのも、何とも妙な感じです。元々は明治期の長谷川武次郎という商人が考案した、日本人のための外国語学習教材。日本の有名な昔話を様々な言語に翻訳したものからはじまったそうで、商才に長けた人はひらめきの天才なのかもしれません。

 配布資料によると、本展にはふたつの見どころがあるようです。ひとつ目は、挿絵の版木。現存している版木はほとんどないそうで、その理由が時代を感じさせるものでした。ふたつ目は、展示準備の過程で判明したという、ちりめん本の昔話四話の原典です。ちりめん本になった日本の昔話は、何に基づいて外国語に翻訳されたのか。素人としては、まだ判明していなかったことに驚きましたが、ちりめん本研究は開拓の余地の広い分野なのでしょう。

 展示内容以前に驚いたことも、ふたつありました。ひとつ目は本展のポスター。ちりめん本の挿絵を用いたクイズになっていて、「実物を見たい人」向けに展示場所や展示期間のお知らせが、「すぐ知りたい人」向けにQRコードがありました。試しにQRコードを読み込んでみると、白百合女子大学図書館のホームページにある「当館所蔵のちりめん本デジタルアーカイブの紹介」ページに。コレクションの一部の作品だけですが、表紙から裏表紙まで、全ページの画像を見ることができます。遊び心があり、かつ、インターネットを活用した展示というものについて考えさせられるポスターでした。

 ふたつ目は、メインとなるガラスケースでの作品の展示方法。一般的に、展示品は間隔に余裕をもたせて配置します。ところが、展示スペースに限りがあるためでしょう。平置きだけでなく、立てたり重ねたり。その配置は立体的で、工夫が凝らされていました。例えば、同じ絵の表紙でちりめん加工されているものとされていないものが並んでいる展示。大きさを比較して、加工による縮み具合を確認できます。同じ話を扱った異言語の作品同士は、ずらして重ねてあり、絵がほぼ同じで、活字の言語だけ異なっているのが見て取れました。感動したのが、『八つ山羊』という西洋昔話を日本語に翻訳したしかけ絵本の展示方法。狼のふくれたお腹をめくると食べられた子山羊たちが出てくるしかけなのですが、めくる前と後が両方わかるよう、めくり部分が絶妙な角度に開かれ、固定されていました。

 こんな展示方法があるのだと目から鱗が落ちるのを感じながら、和洋入り交じったちりめん本の不思議な雰囲気を味わったのでした。
〔敬称略〕

展示会に行った日:20191121
文責:出不精ながら

◆展示会情報
「ちりめん本にみる東西文化の融合
――明治の木版多色刷り絵本の世界」
白百合女子大学図書館 2階吹き抜けスペース
2019/11/20(水)~2019/12/12(木)
12/2(月)に展示内容の一部入れ替えがあります。

蟷螂(かまきり)


駐輪場のアスファルトに
季節外れの蟷螂
昨日も同じ場所にいた
踏み潰されてはかわいそう

大きな鎌による攻撃を恐れ
家の鍵を取り出すと
両前肢の付け根を横からすくい
持ち上げて庭木の根元へ移す
蟷螂はまるで動かなかった

ここでは日が当たりすぎるかと
今度は指でつまんだ瞬間
翅の重なりを勢いよく開き
最後の力を振り絞って
蟷螂はわたしを威嚇した

その気高さに胸を突かれ
動けぬわたしの目の前で
広げた翅から力が抜けて
体の色から生気が抜けた



作詩:しあわせもりあわせ

2019年11月18日月曜日

創作(お話)

   砂浜の話

砂浜の砂粒と一口に言っても、世界中にはたくさんの砂浜がありますし、それぞれの砂浜には途方もない数の砂粒があります。個々の砂粒を分類するにも、そのための基準となる事柄がいくつかあります。
 たとえば砂粒になるまでの経歴――貝殻が壊れて細かくなったとか、防波堤のコンクリートが波に削られたとか、海底火山のマグマが冷えて固まった後にもろもろと崩れたとか、そこらへんの石ころが波に揺られるまま転がっているうちにいつのまにか小さくなっていたとか――、もっと単純に、砂粒の形状――丸いとか角張っているとか凸凹とか滑らかとか――、より科学的に、砂粒に含まれている成分――これは、いちいち例を挙げていると話が難しくなりすぎるので省略――など。
 まあとにかく、これからお話をする砂粒に関しては、このような砂粒の分類について、あまり気にしないでください。いちいち分類していると本当にややこしく、厄介ですから。

 砂粒は考えごとをしていました。砂粒は以前、その中に侵入したことのある、二枚貝を思っていました。その二枚貝は小さくて――砂粒からしたら百倍はあるのですけれど――、他の二枚貝と同じように斧の形をした脚を持っていました。その二枚貝が外敵から身を守ろうと砂の中にもぐりこんだ拍子に、砂粒は二枚貝の脚に触れ、その素晴らしい感触に、すっかりまいってしまったのでした。砂粒はまたあの脚に触れたいと願い、波がそのように動いてくれないものだろうかと、一日中、考えて過ごすようになりました。夜もあまり眠れなくて、祈ってばかりいました。砂粒の願いが叶ったのは、それから数日後のことでした。二枚貝がまた外敵から逃げようと慌てて砂に潜ったとき、砂粒は吸い込まれるように、貝の内部に入っていきました。急な出来事ではありましたが、砂粒はできるだけ奥のほうへ入りたいと強く念じ、とうとう本当にそのようになりました。恋焦がれていたあの感触に再び包まれることができ、砂粒はとても幸せでした。
 砂粒は二枚貝の中でいつの間にか眠ってしまいました。この数日間、ほとんど眠れずにいましたから。眠りに落ちていく直前に、砂粒はえもいわれぬ甘美な夢を見たような気がしました。そしてその夢がいつまでも続くと、ほとんど確信しながら意識の底へ沈んでいきました。久しぶりの深い眠りでした。
 しかし目を醒ますと砂粒は二枚貝の外にいました。二枚貝にとって砂粒は異物でした。ちょっと脚を動かすたびに、砂粒の表面にある小さな凸凹が当たって、二枚貝は痛くてたまりませんでした。砂粒が恍惚としているあいだにも、二枚貝は必死になって、砂粒を追い出そうと体を動かしていました。
 砂粒には二枚貝の事情はよく分かりません。したがって、なぜ自分が二枚貝の外にいるのか理解できません。仕方がないので、二枚貝のことを考え、脚の感触を思い出すことにしました。砂粒はわりあい記憶が良いほうなので、細部まで思い出すことができましたし、想像力も豊かでしたから、必要とあらば現実でないことを思い起こすことさえ可能でした。ただし一つだけ、あの夢の甘美な味わいだけ、どうしても再現することができませんでした。
 砂粒はそれでも二枚貝のことを思っていました。甘美な夢を忘れてしまったとしても、幸せな過去を生きることはできるのです。砂粒が思い出に浸っている間に、波は行きつ戻りつしながら、砂粒をより浅いほうへと運んでいきました。水際まで砂粒を送り届けると、波は帰っていきました。砂粒と他の砂粒たちの間は水で満たされていましたが、波が行ってしまうと、水のあったところに空気が入りました。しゅー、という音がしました。そろそろ潮が引く時間です。

遠藤知恵子(児童文化研究センター助手)


2019年11月13日水曜日

衝撃


あれからひと月も経つのに
同じ質問をくり返すのは

何度詳しい回答を得ても
すぐさま同じ質問をするのは

受け入れ難い出来事に
向き合う幼い心ゆえ

どうしてかがやきは
しずんじゃったの



作詩:しあわせもりあわせ

 20191012日夜、台風19号が日本に上陸し、翌13日にかけて各地に甚大な被害をもたらしました。この台風により亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、ご遺族と被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。
 

2019年11月8日金曜日

知らせる


周りの誰も気づいておらず
教えてあげる連れもなく
自分一人ではもったいない

子どものように叫べれば
一番手っ取り早いのだけど
気恥ずかしさが先に立ち

スマホを空に掲げると
シャッター音を響かせる
ほら 虹だよ 皆見て



作詩:しあわせもりあわせ