2019年12月23日月曜日

エッセイ イメージを散歩する

(3)『世界の顔 タイム誌表紙原画展 Portraits in TIME』

 美術館のライブラリーは楽しい。美術の本が充実していることに加え、図録をたくさん手に取ることができる。企画展があったとき、「そのとき」「その場所」に居合わせないと買えないことの多い図録は、出会わなければそれきりなのである。したがって美術館のライブラリーは、出会い損ねた資料との「運命の出会い」をやり直すことのできる場所だ、と言っていいのかもしれない。

 『世界の顔 タイム誌表紙原画展 Portraits in TIME』(東京アメリカンセンター、1978年)とは、横浜美術館の美術図書室で出会った。ホチキス留めの簡素な造りで、見開き2面分の解説と幾葉かの作品図版、それに展示作品リストを収録している。奥付なし。ページ付なし。1950年1月から1972年12月までの間に『TIME』誌の表紙として掲載された肖像画の原画を計72点、展示した展覧会の図録である。
 冊子に収録された図版はごくわずかだったが、1950年1月2日掲載の《ウィンストン・チャーチル》(アーネスト・ハムリン・ベーカー作、テンペラ、47×29cm)を始めに、毎号掲載された「時の人」の顔が並ぶ展示は、見応えがあったに違いない。アメリカの一雑誌の表紙を飾った肖像画を「世界の顔」と言い切ってしまう、展覧会の日本語タイトルに若干の反発を覚えたものの、マリア・カラス、ダライ・ラマ、エリザベス女王、チェ・ゲバラ、ジョン・F・ケネディ、ニキタ・フルシチョフ、マーチン・ルーサー・キング…と並ぶ展示作品リストを眺めていると、当時のアメリカの状況や、そのアメリカから見た世界は実際どんなだっただろうかと、考えずにはいられない。テンペラのほか、グワッシュ、油彩、木版、モンタージュそのほか、表現技法も様々だ。肖像画の歴史はそれこそ古代から積み重ねられてきたものだが、そうした歴史的な積み重ねの上に、描く対象の人選や、描く作家、そして表現技法と、複数の糸で編み上げられた『TIME』誌の表紙の肖像画群である。表紙だけズラリと並べて、文字ではなくその向こうにある、活字化される以前の時代の空気を吸い込んでみたくなる。

 展示作品リストには日本人が日本人の肖像を制作した作品も見られる。それは、斎藤清(1907-1997)の木版2点。1967年2月10日掲載の《佐藤栄作》(34×61cm)と1977年3月28日掲載の《福田赳夫》(39×53cm)である。
 斎藤清は、サンフランシスコ講和条約締結後、参加した1951年の第1回サンパウロ・ビエンナーレに木版画の作品を出品、駒井哲郎と共に日本人賞を受賞し海外での評価も高かった。だが、木版画であるということに日本的なるものの匂いを嗅ぎ取ろうとすることからは、ちょっと距離を置いておきたい。
 木版を手がける作家たちが浮世絵に多くを学んでいることは間違いないのだが、近代以降の日本の木版画は、欧米から学んだ木口木版の技法に負うところも大きい。また、基本的に分業はせず、自画自刻自摺をして版画を作家個人の自己表現とする「創作版画」の登場についても、欧米に由来する「芸術」概念との出会いがなければ有り得ない現象だと考えなければならないはずだ。
 そして、木版からもう一段階視野を広げて版画全般について見渡してみると、複製技術としての写真術が確立される際に、先行する複製技術である版画の工程の一部が応用されたという歴史的経緯も気になる。写真術が普及し、より安価により簡易になりながら世界中に広まっていく一方で、版画は多様化を続けるわけだが、すると今度は、写真が版画制作に利用されるという現象も起きる。そんなわけで、版画は、現代的な表現の中にちょこちょこと忍び込むものなのだ。木理を活かした、一見、伝統に従っていると見える木版画だって、イノベーションの波を潜った後に改めて選び直された技法によって作られている。

 こんなふうに、展覧会図録の中にふっと現れた「木版」の文字に、つらつらと考えごとをさせられたのだった。居並ぶ「世界の顔」の中に、木版作品がある。歴史や物語といったものは、文字や言語以前の現実をじっくり耕すことによって豊かに記述されていくのだと思う。絵画的のようなイメージの領域に属するものも、表現活動を支える技術も、その全てを言語化・文字化することはできないのだが、その不可能さを大事にしていきたい。

遠藤知恵子(児童文化研究センター助手)

2019年12月20日金曜日

人生で学んだあいうえお(前編)


あ:赤ちゃんの笑顔は破壊力がすごい
い:いくつになっても褒められればうれしい
う:運動不足解消はまずストレッチから
え:英語はしゃべった者勝ち
お:大人になっても理解できないことは多い

か:頑張っている人に「がんばれ」は禁句
き:きのこは冷凍保存し数種類を同時に使え
く:口から出た言葉は取り消せない
け:ケーキは炊飯器でも作れる
こ:言葉で付けた傷は消えない

さ:砂糖は茶色い方が塩と間違えなくてよい
し:〆切は死守せよ
す:優れたリーダーは人に任せるのが上手い
せ:性格は強い意志がなければ変わらない
そ:その子その子に発達のペースがある

た:たまの弁当作りは大変だが毎日なら慣れる
ち:忠告を受け入れるのも才能のうち
つ:強すぎる感情は視野を狭くする
て:徹夜は年を取ると無理
と:トイレに戸や壁がなく用が足せないのは夢

な:納豆は海藻類と一緒によく混ぜて食せ
に:人間に生まれたからには言葉を大切に
ぬ:ぬるすぎる温泉は夢。布団がはだけている
ね:寝言と会話してはいけない
の:残された時間を意識して生きよ


(→来年に続く)

※本作品は、お笑い芸人ザ・ギースの尾関さんのお嬢さんが作った「10年間生きてきて学んだことカルタ」に着想を得たものです。そのカルタを紹介するホームページのURL(最終閲覧日20191218日)はこちら。
https://twitter.com/i/events/1175223274885632000



作・しあわせもりあわせ

2019年12月6日金曜日

荷物

電動自転車の前後ろ
子ども用の座席に巨大な荷物

白いビニールに透けている
クリスマス柄の包装紙

こがずに押して歩いている
この人もまた サンタクロース



作詩:しあわせもりあわせ

2019年12月5日木曜日

熊沢健児のお気に入り本

軸原ヨウスケ+中村裕太『アウト・オブ・民藝』誠光社、2019


 大学図書館の雑誌コーナーでふと手にした『美術手帖』第71号(20194月)に、「100年後の民藝」という素敵な特集があった。このときに大きく取り上げられていた『アウト・オブ・民藝』という本がどうしても欲しくなり、購入した。

ソフトカバーの簡素な装丁である。表紙は手描きの文様の中に、タイトルの文字が埋め込まれている。太い帯には、

民藝運動の「周縁」にスポットをあて、
21世紀のモノづくりを考える。
未来は常に過去の中にある!

 というキャッチコピーが印字されているのだが、この帯、実は二つ折りになっていて、本から外して広げると、A3サイズの大きさである。そこには、ウィリアム・モリス(1834-1896)を最上部に頂いた、民藝とその周辺――農民芸術、郷土玩具、児童自由画、版藝術、創生玩具、等々――で活躍した人々の相関図が印刷されている。
相関図の中心には、宗教哲学者でもある柳宗悦(1889-1961)がいる。柳は富本憲吉(1886-1963)、河井寛次郎(1890-1966)、濱田庄司(1894-1978)らとともに、「日本民藝美術館設立趣意書」(1926)を発表し、民藝運動を牽引していった。彼らによれば、「民藝」は「民衆的工藝」の略である。

彼らは、無名の工人が土地の素材と先人から培ってきた技術によって作り出された素朴な工芸品を「民衆的工藝」と称し、それを略して「民藝」と呼びようになったと。(中村発言)(p.17

作り手が無名であること、その土地に根付いた技術で作られたこと、素朴な味わいがあることが、「民藝」の条件であるらしい。美術館を設立するということは、ただ無名の工人による素朴な品物であるというだけでなく、美的にも人を満足させてくれることも、重要だったようだ。

さて、帯の相関図に記された人の数を数えてみると約90人(複数の領域で活躍した人の名は相関図の中に2箇所書かれていたりするので、その分も数えてだいたい90人)。重複があるとはいえ、充分な大人数である。

この本は、誠光社で開催された展覧会(2019417-30日)と全5回のトークイベントが元となっているそうだ。軸原ヨウスケの「まえがき」(p.5)に、

研究ではなく、ただただ好きで調べ続けた結果、連想ゲームのように広がったその世界は、人と人の繋がり、時代背景や人間関係、様々なことを教えてくれた。

 と記されているように、先ほどの相関図は「好き」を追いかけて行った末に出来上がったマップなのである。研究者のアプローチ方法とは、最初から違っている。だが本書は、その「好き」のエネルギーのおかげで、美術や工芸といった一般的な区分で整頓しようとするとどうしても生じてしまう20世紀前半の知と芸術のすき間に食い込んでいる。

 「民藝」については、『美術手帖』20194月号の特集「100年後の民藝」を読むと、大体のイメージを掴むことができる。『アウト・オブ・民藝』は「民藝」に対し、「アウト・オブ」なものを集め、「民藝」に関わった人たちと「アウト・オブ・民藝」な人たちとを関連付け、つなぎ合わせることに眼目がある。「民藝」にしろ「郷土玩具」にしろ、それが呼び起こす美的感覚は微妙なもので、どこがどう魅力的なのか、それを知らない人に伝えるのが結構難しいのだ。実際の品物に触れ(見るだけでは足りない)、当時書かれた書物を参照し、人的なネットワークを通じて眺めたときに、「あ、そうなんだ」と、なんとなく納得できるようになる。
学ぶところの多い本なのだが、本書の一番の魅力は、「面白がり」だと思う。例えば、この本のもととなったトークイベントで考現学の今和次郎(1888-1973)の人柄をしのばせる映像を流し、今にツッコミを入れるという一幕がある。

いったい何の話だって感じですね。使われていたイラストを含めて愛嬌がありすぎて話しが頭に全然入ってこない。(軸原発言)(p.149

 考察対象をからかうのは感心しないが、「アウト・オブ・民藝」な人々が好きすぎて、今へのツッコミが必要以上にきびしくなってしまう気持ちは分からないでもない。こうした屈折した(?)愛情と「面白がり」のエネルギーが90人のマッピング作業を行う原動力になっているのだろう。

熊沢健児(ぬいぐるみ、名誉研究員)