2019年12月5日木曜日

熊沢健児のお気に入り本

軸原ヨウスケ+中村裕太『アウト・オブ・民藝』誠光社、2019


 大学図書館の雑誌コーナーでふと手にした『美術手帖』第71号(20194月)に、「100年後の民藝」という素敵な特集があった。このときに大きく取り上げられていた『アウト・オブ・民藝』という本がどうしても欲しくなり、購入した。

ソフトカバーの簡素な装丁である。表紙は手描きの文様の中に、タイトルの文字が埋め込まれている。太い帯には、

民藝運動の「周縁」にスポットをあて、
21世紀のモノづくりを考える。
未来は常に過去の中にある!

 というキャッチコピーが印字されているのだが、この帯、実は二つ折りになっていて、本から外して広げると、A3サイズの大きさである。そこには、ウィリアム・モリス(1834-1896)を最上部に頂いた、民藝とその周辺――農民芸術、郷土玩具、児童自由画、版藝術、創生玩具、等々――で活躍した人々の相関図が印刷されている。
相関図の中心には、宗教哲学者でもある柳宗悦(1889-1961)がいる。柳は富本憲吉(1886-1963)、河井寛次郎(1890-1966)、濱田庄司(1894-1978)らとともに、「日本民藝美術館設立趣意書」(1926)を発表し、民藝運動を牽引していった。彼らによれば、「民藝」は「民衆的工藝」の略である。

彼らは、無名の工人が土地の素材と先人から培ってきた技術によって作り出された素朴な工芸品を「民衆的工藝」と称し、それを略して「民藝」と呼びようになったと。(中村発言)(p.17

作り手が無名であること、その土地に根付いた技術で作られたこと、素朴な味わいがあることが、「民藝」の条件であるらしい。美術館を設立するということは、ただ無名の工人による素朴な品物であるというだけでなく、美的にも人を満足させてくれることも、重要だったようだ。

さて、帯の相関図に記された人の数を数えてみると約90人(複数の領域で活躍した人の名は相関図の中に2箇所書かれていたりするので、その分も数えてだいたい90人)。重複があるとはいえ、充分な大人数である。

この本は、誠光社で開催された展覧会(2019417-30日)と全5回のトークイベントが元となっているそうだ。軸原ヨウスケの「まえがき」(p.5)に、

研究ではなく、ただただ好きで調べ続けた結果、連想ゲームのように広がったその世界は、人と人の繋がり、時代背景や人間関係、様々なことを教えてくれた。

 と記されているように、先ほどの相関図は「好き」を追いかけて行った末に出来上がったマップなのである。研究者のアプローチ方法とは、最初から違っている。だが本書は、その「好き」のエネルギーのおかげで、美術や工芸といった一般的な区分で整頓しようとするとどうしても生じてしまう20世紀前半の知と芸術のすき間に食い込んでいる。

 「民藝」については、『美術手帖』20194月号の特集「100年後の民藝」を読むと、大体のイメージを掴むことができる。『アウト・オブ・民藝』は「民藝」に対し、「アウト・オブ」なものを集め、「民藝」に関わった人たちと「アウト・オブ・民藝」な人たちとを関連付け、つなぎ合わせることに眼目がある。「民藝」にしろ「郷土玩具」にしろ、それが呼び起こす美的感覚は微妙なもので、どこがどう魅力的なのか、それを知らない人に伝えるのが結構難しいのだ。実際の品物に触れ(見るだけでは足りない)、当時書かれた書物を参照し、人的なネットワークを通じて眺めたときに、「あ、そうなんだ」と、なんとなく納得できるようになる。
学ぶところの多い本なのだが、本書の一番の魅力は、「面白がり」だと思う。例えば、この本のもととなったトークイベントで考現学の今和次郎(1888-1973)の人柄をしのばせる映像を流し、今にツッコミを入れるという一幕がある。

いったい何の話だって感じですね。使われていたイラストを含めて愛嬌がありすぎて話しが頭に全然入ってこない。(軸原発言)(p.149

 考察対象をからかうのは感心しないが、「アウト・オブ・民藝」な人々が好きすぎて、今へのツッコミが必要以上にきびしくなってしまう気持ちは分からないでもない。こうした屈折した(?)愛情と「面白がり」のエネルギーが90人のマッピング作業を行う原動力になっているのだろう。

熊沢健児(ぬいぐるみ、名誉研究員)