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2023年1月13日金曜日

砂粒、歌う

 明るく穏やかな海の底に、砂粒はいました。

 砂粒は、昨⽇までは⼆枚⾙の⾙殻でした。ゆうべ、波に揺られていた⾙殻が岩にあたって割れ、そのときにできたかけらのひとつが砂粒なのでした。

砂粒はほかの砂粒たちや⾙殻、珊瑚のかけら、⽯ころ、それに死んだえびの殻などといっしょに、波に揺られていました。

海の底にいるほかの砂粒たちも、砂粒になる前の姿こそまちまちだったけれど、みんな似たような来歴を持っていました。彼らは波がつくる⽔のうねりにのって、たがいにこすれあい、さらさら、さらさらと、かるい、澄んだ⾳をたてました。

砂粒たちがこすれ合う⾳はとても⼩さかったので、いつも、別のもっと⼤きな⾳にかき消されていましたが、砂粒たちは、休みなく、さらさら、さらさらと鳴っていました。

 

割れた⾙殻の、⼤きなかけらたちは、波に押されてどこか遠いところに⾏ったようでした。砂粒もまた、波に揺られるたびに少しずつ場所を移っていました。そうして動いているあいだにも、砂粒はたえずほかの砂粒とこすれ合っていました。どんな砂粒が相⼿でも、同じように、かるい、澄んだ⾳がしました。

 

いつもは穏やかな波ですが、海の底の、鋭く傾いた坂にさしかかると、⼒強いうねりをつくることがありました。砂粒たちは⽔のうねりといっしょに浮き上がり、⾞輪のようにくるくるとまわりながら駆け上がりました。砂粒もやはり、坂をのぼりました。のぼりきって、うねりが⽔中に散ると、砂粒たちはゆっくりと下に降りていき、またいつものとおりに、さらさら、さらさらと鳴りだすのでした。

砂粒はふと、⾃分の⽴てる⾳が以前よりもかるく、いっそう澄んでいることに気がつきました。砂粒の表⾯からは、⼩さくとがったつののようなところが、⽋けて落ちていました。⽋けたところには刃のような鋭い断⾯が現れていました。

もっともっと⽋けていって、⼩さくなっていったら、最後はどうなるのか。

砂粒は考えそうになりましたが、やめました。物思いをするかわりに、ほかの砂粒たちとつくる、かるい、澄んだ⾳を聴きました。

 

はじめに⾙殻が割れたとき、ひとつだった⾙殻は、ふたつの⼤きなかけらと、いくつかの⼩さなかけらに分かれました。かけらたちがどこに⾏ったかを知るすべは、ありませんでした。

さらさら、さらさら、休みなく鳴りながら、あるとき、触れた相⼿に、砂粒は覚えがあるような気がしました。

もしかしたらその砂粒は、もとは同じ⾙殻だったのかもしれませんでした。砂粒はいつもより注意深く、こすれあう⾳を聴きました。けれど彼らのつくった⾳には、ほかの砂粒たちの⾳と違ったところはありませんでした。砂粒は考えることをやめて、さらさら、さらさらという⾳に聴き⼊るのでした。

 

絶え間なく波に揺られるうちに、砂粒の表⾯の、鋭い刃のようだったところは、波やほかの砂粒たちにすれてまるく滑らかになり、かわりに、新しく、鋭い断⾯が現れました。⾙殻だった頃のおもかげは、すこしずつ薄れていきました。

 

波がまた、砂粒たちを鋭く傾いた坂へと運びました。砂粒は海の底から浮き上がり、くるくると円を描きながら進みました。坂をのぼりきったところで、うねる⼒は⽔のなかへと散り、砂粒は海の底に引かれていきました。けれど、まだいくらも沈まないうちに、あとからやってきた⼤きな波が砂粒をとらえました。

波は⾼く、遠くまで進みました。そのうねりにのって砂粒がたどり着いた先は、⽔⾯の近くでした。そこまで来て、ようやく、⽔の⼒は弱まり、砂粒は太陽の光のあたたかさを感じながら、海の底へと降りて⾏きました。

ずいぶんと遠くまで来たけれど、どこに落ちていくかは、砂粒にはたやすく想像することができました。どこであろうと同じ、海の底なのです。どこに⾏っても、たくさんの砂粒たちがそこにはあって、みんないっしょに、波に揺られることでしょう。波に揺られ、こすれあい、かるい、澄んだ⾳をだすことでしょう。

しかし、砂粒が落ちていった先は岩場でした。岩と岩とが互いの上に影を落とし、陰影を深めていました。その暗がりに根を張るようにして、がっしりとした⾙殻を具えた⼆枚⾙がありました。砂粒はうっすらと開いた⾙殻の中へと吸い込まれていきました。

 

砂粒が⼊ってくると、⾙殻のなかに住んでいる柔らかな⽣き物は、ぎゅっと⾝を縮めました。砂粒はこの種の⽣き物によくある、臆病な性格を思い出しました。

侵⼊者が危険な⽣物でなくただの砂粒であるということが分かると、⽣き物は⾙殻に⾝をくつろげました。

⾙の内側の、ごく狭いすきまを、砂粒は漂い、⽣き物に触れました。⾙殻に添ってひろがる外套膜。粘り強い弾⼒のある閉殻筋。あわあわと柔らかな襞を束ねたような鰓。しなやかな⽪膜に守られながら、蠕動している内臓―満ち⾜りた胃袋の傍らには、⽣殖巣がひっそりと息づいて、⽉が満ちるのを待っていました。まるい体をゆったりとひろげながらも、砂粒が触れるたび、触れたところは緊張しているのだということを、砂粒は知っていました。

 

不意に、⽣き物は何かの気配を感じたらしく、⾙殻をきつく閉じ、体に⼒をこめました。

砂粒は⽣き物の体に押し付けられ、そのまま、めりこみました。

砂粒が体の中に⼊ってくると、⽣き物は苦しげに⾝もだえし、⽪膜がひとかけら、ちぎれて、砂粒といっしょに⽣き物の体へと⼊っていきました。⽣き物は、しばらくは砂粒を外に出そうと体をうねらせましたが、動けば動くほど、砂粒は奥へと⼊っていくのでした。

きつい、⾎の匂いがしました。

砂粒はこの匂いに覚えがありました。

砂粒が⾙殻としてあるじを守っていたころのことです。ある恐ろしい⽣き物が、⾙殻に⼩さな⽳を開けて⼊ってきました。天敵があるじの体に⼝をつけて啜ると、⾎の匂いがこぼれ、柔らかだった体は固く萎み、動かなくなりました。

⾎の匂いは波に洗われ、じきに薄れていきました。それきりでした。⽔のうねりが、⾙殻と、そのあるじの亡骸を押し流しました。

 

⼆枚⾙に住む⽣き物の体内には、規則正しい⾳が響いています。⼼臓の動く⾳。呼吸する⾳。筋⾁の繊維どうしがこすれる⾳。内臓のうごめく⾳。⾎液が流れる⾳。これらの⾳は、砂粒の表⾯から伝わって芯まで届き、ささやかな震えに変わりました。

砂粒は、海の底でほかの砂粒たちとこすれあっていたときと同じように、この⾳に聴き⼊り、波のうねりに⾝を任せていたときのように、この震えに⾝を任せました。砂粒は、うとうとと眠りはじめました。

 

砂粒は夢を⾒ました。

夢の中で砂粒は、海の底で砂に埋もれた⾙殻でした。あるじだった⽣き物が死んで、間もないころの姿です。

⽉のあかるい夜でした。波は⽉の光にひかれて⼤きくうねり、海の底をめくり上げました。

波は⾙殻の上の砂粒たちを浮き上がらせ、連れ去るだけでは飽き⾜らず、⾙殻の下の砂地をえぐりました。⾙殻はえぐり取られた砂粒たちといっしょにもちあがり、ぱっくりと⼝を開きました。⾙殻の内側は⽉明かりを受け、ぬらりと妖しい光をかえしました。すると、⼆枚の⾙殻をつなぎとめていた蝶番が緩み、外れました。⾙殻はばらばらになり、砂粒たちにまじって波に揺られはじめたのでした。

 

砂粒が⽬覚めたとき、⾎の匂いは薄れていました。どれくらい眠ったのでしょうか。⽣き物の体からきこえてくる⾳は、さっきと同じように砂粒を包みこみ、砂粒を芯からやさしく震わせていました。しかし不思議なことに、砂粒はこの震えを、まるで⾃分が発しているような気がするのでした。ああ、自分は歌っているのだ、と、このことを、砂粒は好もしく感じました。

砂粒は幸せな気持ちで、もういちど眠りにつきました。

 

遠藤 知恵⼦(児童文化研究センター助手)

エメラルド

 とても悲しく目が覚めたのに、どんな夢を見ていたのかは忘れてしまった。

横になったまま、ベッドの上で目の端に溜った涙を乾かしていた。目を瞑るとじんわり滲んで冷たい。溜息が出た。

 そのときだった。ふわりと、シーツから何か小さなものが舞い上がった。しばらく浮いて、シーツの上に舞い戻る。埃とは違う。淡いグレーの、柔らかなもの。

 それは、蜘蛛のかたちをしていた。

死んで、乾ききってしまったのだろうか。軽くて頼りなく、ふわふわとしていて、息を吹きかけるとシーツの上を浮き上がり、床へと舞い降りた。ともかく、命あるものではないらしかった。

 私はベッドから這い出て、それをつまみ上げ、ベランダに行った。ベランダには小さな植木鉢があり、朝顔が芽を出している。双葉の間から本葉が伸び始めた朝顔の脇に、そのふわふわしたものを置き、上に薄く土をかける。

膝をつき、短く手を合わせたあと、部屋に戻って窓を開けた。

カーテンが風にそよぐ。とても悲しかったはずの夢のことは、結局思い出せなかった。

 寝巻を脱ぎ、ベッドの上に放った。

 すると寝巻の下から、小さなものが跳び出した。窓の横の壁を駆けのぼって止まり、私が近づくと、跳ね上がってカーテンにしがみついた。

 蜘蛛だった。私の目の高さよりももう少し高いところまで走って、そこで止まった。

たっぷりと水を含んだような、陽に透ける緑色の蜘蛛だった。それで、やっと分かった。

「あんた脱いだの。」

 私は言った。

 蜘蛛に息を吹きかけると、それはもう逃げずに、ひゅっと足をちぢこめた。体の中心に光が集まり、緑が深くなった。

 静かに息づくこの生き物を、私は、いつまでも見つめていたかった。

 

遠藤知恵子(児童文化研究センター助手)

丘の上

    1

 

ひとつがいのけだものたちが

ぼうぼうと草の生えた丘の上に

ひっそりとした小屋を建て、住んでいた。

 

けだものたちのからだからは

つんと鼻を刺す

あぶらくさいような

すえたようなにおいがした。

 

けだものたちは

おたがいの毛むくじゃらの顔を見あっては

あまりの醜さに

声を張り上げて泣いた。

涙と鼻水、汗と涎をだらだら流し

ぎゃあぎゃあ、ぎゃあぎゃあ、

泣き、わめき

自分たちの泣き声のいやらしさに

耳がもげそうになりながら、泣いた。

 

そして泣き疲れると

けだものたちは

寄り添い、眠るのだった。

 

   2

 

眠りから覚めると

けだものたちは小屋を出た。

 

生い茂る草のなかをくねくねと曲がる細い道を歩き、丘を下り、

行った先には花咲く庭があった。

空が水遣りをするこの庭に

けだものたちは、ほうぼうから花の種を集めてきて、蒔いていた。

 

花たちは入れ替わり、立ち替わりして

一年中、咲いた。

大きくひとつ、誇らかに咲く花も

身を寄せ合って咲く、細かな花の群れも

みんないっしょくたに、とりとめもなく咲き

咲き終わると、

あるものは地上に種を落として枯れ、

あるものは地下に根を残し、眠りについた。

 

けだものたちは園丁となって

雑草を引き抜き

葉っぱや花びらについた虫は

そうっと唇を寄せて吸い、

胃袋の中で退治した。

 

花々のあいだを風が吹きわたり

やさしく涼しい花の香りが

けだものたちの長い毛を梳るのだった。


遠藤知恵子(児童文化研究センター助手)

2021年4月8日木曜日

青い鳥と青い花

 青い花が枯れたから、長年飼っていた青い鳥を逃がすことにした。
 飼い始めてから、ずいぶん長い時間が経っていた。

 鉄製の鳥籠の劣化は激しい。
 錆が酷くて、とっくの昔に鍵は壊れていた。
 開けるのにかなり手間取った。
 でも、無理やりペンチで籠を壊す。
 そして、扉をこじ開けた。

 でも、問題はここからだった。

 青い鳥は、籠から出ようとはしない。
 ずっと壊れた籠の中で、私をじっと見つめている。

 いや、私だけじゃない。
 わたしと、私の後ろにあるガラスの花瓶を見つめていた。

 ガラスの花瓶の中では、色褪せて、朽ち果てた、花がある。
 かつては青くて、美しかったあの花だ。
 今は醜くて、汚らしいものに成り下がっていたのだけれども。

「出て行けよ」と私は鳥に言った。

「いやだね」と鳥は答えた。
「花は枯れたんだ」と私が花瓶を指差して、鳥に凄んだ。「見えるだろ。あんたの居場所はここにない」
「また咲くかもしれない」と鳥は言った。そして美しい羽を片方あげて、花を指し示した。「まだ生きている」
 私はうんざりした。
 そして苛立ちもした。

 そもそも、あの人に出会った日がことの始まりだ。
 この鳥が花の種をくわえてやって来たのだ。

 その時、鳥は「君は花を咲かせなければならないよ」と言って、私の手のひらに種をのせた。
「咲かせた花は君の花だ。あの人にプレゼントするといい。きっと喜ぶさ」そう言って鳥は歌い出した。
「花なんて、育てたことがない」と私が答えると、「私をそばにおきなよ。上手く育つようにアドバイスするから」と鳥は言った。
 私はこの鳥を信じて、花を育てた。
 ずいぶん時間がかかってしまった。雨の日も風の日も、私は鳥のアドバイスに従った。
 そして、花は咲いた。
 青くて綺麗な花が。
 その時、鳥は言った。「あの人に渡しなよ」と。
「きっと、喜んでくれるはずだ」と。
 その結果、花は枯れてしまった。
 
 この鳥の言うことはでたらめだった。
 あの人は花を受け取らなかった。

 花は枯れてしまった。
 あんなに綺麗な花だったのに。
 汚くて、醜い、惨めな姿に成り果てた。
 それなのに、この鳥は花が生きている、と言っている。
 まだ私に、この花を育てさせるつもりなのだ。
 なんて残酷な鳥だろう。
 こんな奴を飼っていたのか、と。

「花は枯れたんだ」私は声を震わせた。「見えるだろ、花は枯れたんだ」
「いや、生きている」と鳥は言った。まるで聖歌でも歌うかのように、晴れやかに。「また咲くはずだよ」
「いい加減にしろ」たまらず私は叫ぶ。「花は枯れたんだ、死んでいるんだ」
「いい加減にするのは君だ」呆れたように鳥は言った。「諦めるのだけは一人前だな。あんなに長く育てていたのに。私を飼っていたのに。簡単に捨てるのか。大切に育ててきたあの花のことも、私のことも」
「あの人は受け取らなかった!」私は顔を抑えてうずくまる。「わかるだろ? あの人はあの花を、いらないって言った。だから、あの花は、枯れたんだ。あの人は私の花はいらないのさ。他の人の、花が欲しいんだ。私の花は必要ないんだ」
「どうしてあんな分からず屋のためだけに花を育てるんだ?」鳥の声は、相変わらず落ち着いた声だった。「お前の花の価値もわからない、馬鹿のために」
「他の誰でもなく、あの人にあげたかった。どうしようもないんだ」涙をぬぐいながら私は答える。「自分でもわからない。それでも、あの人にあげたかった。あの人に受け取って欲しかった」
「君がすべきことは、探すことだよ」と鳥は優しい口調で語りかけてくる。「君の花を喜んで受け取ってくれる人を」
「時間がかかるかかる。それに、見つかるかわからないじゃないか」
「見つかるさ。君がしたいと思えばね」

 つくづく残酷な鳥だ。
 どこまで私を振り回すつもりなのだろう。

 そして、それに付き合う私は底抜けの大馬鹿者だ。

 私は目元をこすりながら、立ち上がった。
 そしてまんまと鳥の思い通りに動いたのだ。
 まず、壊れた籠をすっかり直してしまった。道具箱を引っ張り出してきて、テープも使ったらあっという間だった。

 次に、今度は花瓶の花を捨てた。
 枯れてからは一度も触らなかった花を触った時、胸が温かくなった気がした。
 そして花瓶に新しい水を流し込む。
 ガラスの花瓶の腹に水が溜まっていくように、私の内側にも新鮮な何かが流れ込んでくる。

 これは何だろう。

 わからないまま、新鮮な水を飲みこんでいく花を見つめながら私は軽くえづいた。
 気持ちが悪いが、気分は悪くない。
 吐き気がするのに、爽快だった。

 矛盾している。
 矛盾していることはわかっている。

 それでも、汚い花が僅かに天を仰ぎ始めたように見えたのは、自分がすっかり忌々しいあの鳥に騙されているからかもしれない。
 腹が立つけれども、わくわくしている自分がいる。
 枯れたはずの花の吐息が聞こえてくるような気がした。

鳥飼律子
※青い字で書かれた名前はペンネームです。

2021年3月16日火曜日

創作童話

第36回 日産 童話と絵本のグランプリ 佳作 受賞作品

『雨の日は桜色』

三井 彩愛

わたしは足を踏み鳴らし、灰色の空を仰ぎながら待っていた。大量に降っている雫が少しでも収まるのを。雲の切れ間から日光が射し込むのを。

「雨なんて聞いてないんだけど……。朝はくもりだったのに」

 ため息とともに、ひとりごとが漏れた。置き傘もしていなければ、相合い傘をして帰る友だちもいなかった。一番の仲良しの葵は親せきのお葬式で欠席していた。今日、掃除当番が一緒だった結衣は習いごとがあると言って、そそくさと帰ってしまった。

 校舎に戻って壁の時計を見てみた。もう四時を過ぎていた。そろそろ帰らないと、お母さんに叱られるかもしれない。でも、雨は一向に収まる気配がない。それどころか雨の勢いは増してきている。

 ざあざあ降り続ける雨を見ているうちに、やぶれかぶれになってきた。ええい、仕方がない。走って帰ってやる。小学校から家までは歩いて十五分ほどかかるけど、走れば半分くらいの時間で済むだろう。

 覚悟を決めて右足を前に踏み出した、そのときだ。わたしは誰かに腕を強くつかまれた。バランスを崩し、うしろによろめきそうになった。

「傘ないの? 入りなよ」

 わたしのとなりに立ち、傘を掲げながらぶっきらぼうに言ったのはクラスメートの古池美帆だった。

「……どうも」

 五年生に進級して同じクラスになってから、ほとんど話したことのない美帆が急に親切にしてくれたことに驚いたけれど、わたしは素直に彼女の好意に甘えることにした。

 わたしと美帆は連れ立って学校をあとにした。美帆の傘は無地の淡い桜色をしていた。見ているだけで自然と笑みがこぼれそうな、やさしげな桜色だ。

「家はどこ?」

 校門を出たところで、美帆がこう尋ねてきた。

「すみれ公園の近くだよ」

「そう」

 それっきり、美帆は何も言わなかった。わたしも黙っていた。

 わたしたちは無言で歩いていた。沈黙が広がる。聞こえるのは、桜色の傘とぶつかり合う雨音だけだ。

 わたしは美帆に何か話題を作っておしゃべりをしようとしたが、うまく言葉が出てこない。もし、今となりにいるのが葵や他の友だちなら、他愛のないおしゃべりをして盛り上がることだろう。しかし、美帆とは何を話していいのかわからなかった。

 そもそも、美帆が誰かと一緒にいたり会話をしているのを見た覚えがない。休み時間はいつも一人で席についてブックカバーのついた本を読んでいる。あるいは頬づえをついて静かに座っている。笑顔もめったに見せない。美帆のことを「すましてるよね」「お高くとまってない?」などと悪く言う女の子も何人かいる。わたしも、嫌悪感までは抱かないものの、何となく近寄りがたい気がして親しく出来ないでいた。だから、美帆がすぐそばにいることは、わたしをとても不思議な気分にさせた。

 しばらくうつむいていた私は顔を上げ、静寂の中の雨景色を楽しむことにした。

 軒先に下がった手作りのてるてる坊主。

 庭に咲く、葉が露にぬれた花々。

 歓声をあげて、水たまりを踏んでいく長靴をはいた男の子。

 どれもこれも、今までは通り過ぎていたものばかりだ。ぱらぱらとした雨音も、次第に心地いいものになってきた。水たまりに踏みこんでしまったけれど、気にならない。はじける水音すら楽しげに聞こえた。

 視線を美帆に移した。彼女はまっすぐ前を向いていた。そのまなざしは、まばゆい光を宿していた。こんな目をしている人は見たことがない。もしかしたら、美帆もわたしと同じように雨の日の風景を眺めているのだろうか? それとも――。

 美帆は、雨の日に、わたしがとなりにいることに何を思っているのだろうか?

 思い切って尋ねようとしたときには、すみれ公園についていた。もう公園だなんて、信じられない。歩いている時は、いつも以上に時間の流れがゆっくりに感じられたのに。

 わたしは足を止め、笑顔を作って言った。

「美帆ちゃん、ありがとう。わたしの家、ここをまっすぐ行ってすぐだから、あとは走って帰るね」

 体の向きを変えて走り出そうとすると、美帆が手を握ってきた。

「えっ、何?」

 わたしがあわてて振り返ると、美帆は手をつないだまま、わたしのあいているほうの手にあの桜色の傘を持たせた。そして、今まで歩いてきた道を走り去っていった。

 あまりにも突然のことだったので、わたしは追いかけることも声をかけることも出来ずに、立ち尽くしていた。傘の柄には、まだ温もりが残っていた。

 そういえば、美帆の家はどの辺りにあったのかな?

 わたしの頭の中にそんな考えが浮かんだのは、とぼとぼ歩き始めてすぐのことだった。

 ひょっとしたら、すみれ公園とは反対方面に住んでいるのに、わざわざわたしのために公園のそばまで来てくれたのかもしれない。

 そう思うと、胸がちくりと痛んだ、好きになりかけていた雨が再び憎らしくなってきた。

 家に着いたのは四時半過ぎだった。わたしは洗面所からタオルを持ってきて、美帆の桜色の傘についた雫を丁寧にふき取った。

 

 次の日は雲がまばらに浮かんでいたけれども、澄んだ青空が広がっていた。

 わたしは教室に入ってすぐに、傘を返しに美帆のもとへ駆け寄った。相変わらず、分厚い小説を読んでいる。

「昨日は本当にありがとね。助かったよ」

 傘置き場に桜色の傘を立てておくだけでもよかったけれど、きちんと面と向かって、お礼を言いたかった。

「わざわざ教室まで持ってこなくてもいいのに……」

 美帆はこうつぶやきながらも、頬を染めていとおしそうに桜色の傘を見つめていた。

「あれから雨は大丈夫だった?」

 わたしの問いかけに、美帆は「大丈夫だから心配しないで」と言いたそうに目を合わせて、うなずいた。

 そして、美帆は桜色の傘を手に立ち上がり、教室のドアへゆっくりと歩いていった。

 あとを追ってもっと話をしようと一歩前へ出たところで、葵に声をかけられた。

「おはよう! 昨日はどうだった?」

 わたしは葵に帰り道の出来事を話そうと口を開きかけたが、やめた。美帆と歩いたあのときのことは、わたしの中だけに大切にしまっておこう。


 ※この作品は、私が学部2年のときに牧野節子先生の授業(当時:創作演習B)で創作したものを、5年の歲月を経て、加筆修正して応募したものです。

 ※日産には「もりかのん」というペンネームで応募いたしました。

2020年11月13日金曜日

戦国武将あいうえお作文

其之七(連作之完):徳川家康


とくになるなら

くろうもいとわず

がまんをかさねて

わがよのはるが

いまこそきたれり

えどばくふ

やさしいよになれ

すえながく


 作:しあわせもりあわせ

2020年11月5日木曜日

戦国武将あいうえお作文

其之六:真田信繁(真田幸村)


さいかくありとみとめられ

ながくつかえしとよとみけ

だれもがかちめのなしともうすが

のぞむはごおんにむくいることぞ

ぶゆうちりゃくでてきをうち

しょうりをあるじにもたらすが

げにもののふのほまれなりけり

  

 作:しあわせもりあわせ

2020年10月29日木曜日

戦国武将あいうえお作文

其之五:大谷吉継(大谷刑部) 


おもきやまいに

おかされしわれ

ただじぶのみが

にげずひるまず

よきともなりや

しからばめいうんともにして

つこうおぬしの

ぐなるいくさに

 

 作:しあわせもりあわせ

2020年10月22日木曜日

戦国武将あいうえお作文

其之四:石田三成(石田治部少)


いつもでんかのためおもい

しっそけんやく

だいじにす

みなあほうにて

つかれるが

なにもがすぐれしこのわたし

りかいあるのはぎょうぶのみ


作:しあわせもりあわせ 

2020年10月15日木曜日

戦国武将あいうえお作文

其之参:豊臣秀吉

 

とんまなさると

よばれても

とくにきにせず

みをたてる

ひきょうなうそも

でまかせも

よをてにするために

しゅだんはえらばず

 

作:しあわせもりあわせ

2020年10月9日金曜日

戦国武将あいうえお作文

其之弐:明智光秀


あれほどつくしつかえたが

けっきょくりそうのあるじにあらず

ちょうようされしはかこのこと

みなのまえにてあしげにされて

ついにむほんをおこせしが

ひでよしどのにうらぎられ

でんしょうじょうはわれのみがあく


作:しあわせもりあわせ

2020年10月1日木曜日

戦国武将あいうえお作文

其之壱:織田信長


おわりのおにとおそれられ

だまらぬてきはきりすてる

のぞむはてんか

ぶしのいただき

なをききおののけ

がをはるならばうぬもてき


作:しあわせもりあわせ

2020年3月6日金曜日

友を偲ぶ


夭折した友が
夢に出てきた

久しぶりに会えたのがうれしくて
楽しく語らっていたのだが
ふと 気がついた
現実では二度と会えないことに

わたしは泣き
友は困った顔をした

目が覚めて知る
嘆いてはいけなかったのだと

思い出話を肴に
旨いお酒でも飲んでと
友ならきっとそう言うだろう



作詩:しあわせもりあわせ

2020年1月10日金曜日

人生で学んだあいうえお(後編)


は:ハンバーグにレーズンを入れると美味
ひ:人にはそれぞれ事情がある
ふ:布団はこまめに干すと気持ちいい
へ:勉強していない自慢は大抵嘘
ほ:冒険を忘れた組織は腐る

ま:マヨネーズが苦手な子どももいる
み:見えない仕事をしている人を思え
む:難しい子どもの質問にも真摯に答えよ
め:面倒ごともいい修行
も:もう会えないつもりで悔いなく接しろ

や:やり直せないこともある
ゆ:ユーモアのある方が人生は楽しい
よ:他所には見えない問題を誰もが抱えている

ら:らっきょうの美味さは大人になるとわかる
り:りんごは上下の凹みが深いほど甘い
る:留守電を想定してから電話せよ
れ:練習するほど上手くなるのは本当
ろ:廊下に玩具を放置すると夜中に踏んで痛い

わ:悪酔いを防ぐには飲酒の前にバターを摂取
を:をかしと最期に思える人生にしたい
ん:「ん」で終わる言葉は意外と多い



※本作品は、お笑い芸人ザ・ギースの尾関さんのお嬢さんが作った「10年間生きてきて学んだことカルタ」に着想を得たものです。そのカルタを紹介するホームページのURL(最終閲覧日2019年12月18日)はこちら。


作・しあわせもりあわせ

2019年12月20日金曜日

人生で学んだあいうえお(前編)


あ:赤ちゃんの笑顔は破壊力がすごい
い:いくつになっても褒められればうれしい
う:運動不足解消はまずストレッチから
え:英語はしゃべった者勝ち
お:大人になっても理解できないことは多い

か:頑張っている人に「がんばれ」は禁句
き:きのこは冷凍保存し数種類を同時に使え
く:口から出た言葉は取り消せない
け:ケーキは炊飯器でも作れる
こ:言葉で付けた傷は消えない

さ:砂糖は茶色い方が塩と間違えなくてよい
し:〆切は死守せよ
す:優れたリーダーは人に任せるのが上手い
せ:性格は強い意志がなければ変わらない
そ:その子その子に発達のペースがある

た:たまの弁当作りは大変だが毎日なら慣れる
ち:忠告を受け入れるのも才能のうち
つ:強すぎる感情は視野を狭くする
て:徹夜は年を取ると無理
と:トイレに戸や壁がなく用が足せないのは夢

な:納豆は海藻類と一緒によく混ぜて食せ
に:人間に生まれたからには言葉を大切に
ぬ:ぬるすぎる温泉は夢。布団がはだけている
ね:寝言と会話してはいけない
の:残された時間を意識して生きよ


(→来年に続く)

※本作品は、お笑い芸人ザ・ギースの尾関さんのお嬢さんが作った「10年間生きてきて学んだことカルタ」に着想を得たものです。そのカルタを紹介するホームページのURL(最終閲覧日2019年12月18日)はこちら。
https://twitter.com/i/events/1175223274885632000



作・しあわせもりあわせ

2019年12月6日金曜日

荷物

電動自転車の前後ろ
子ども用の座席に巨大な荷物

白いビニールに透けている
クリスマス柄の包装紙

こがずに押して歩いている
この人もまた サンタクロース



作詩:しあわせもりあわせ

2019年11月28日木曜日

蟷螂(かまきり)


駐輪場のアスファルトに
季節外れの蟷螂
昨日も同じ場所にいた
踏み潰されてはかわいそう

大きな鎌による攻撃を恐れ
家の鍵を取り出すと
両前肢の付け根を横からすくい
持ち上げて庭木の根元へ移す
蟷螂はまるで動かなかった

ここでは日が当たりすぎるかと
今度は指でつまんだ瞬間
翅の重なりを勢いよく開き
最後の力を振り絞って
蟷螂はわたしを威嚇した

その気高さに胸を突かれ
動けぬわたしの目の前で
広げた翅から力が抜けて
体の色から生気が抜けた



作詩:しあわせもりあわせ

2019年11月18日月曜日

創作(お話)

   砂浜の話

砂浜の砂粒と一口に言っても、世界中にはたくさんの砂浜がありますし、それぞれの砂浜には途方もない数の砂粒があります。個々の砂粒を分類するにも、そのための基準となる事柄がいくつかあります。
 たとえば砂粒になるまでの経歴――貝殻が壊れて細かくなったとか、防波堤のコンクリートが波に削られたとか、海底火山のマグマが冷えて固まった後にもろもろと崩れたとか、そこらへんの石ころが波に揺られるまま転がっているうちにいつのまにか小さくなっていたとか――、もっと単純に、砂粒の形状――丸いとか角張っているとか凸凹とか滑らかとか――、より科学的に、砂粒に含まれている成分――これは、いちいち例を挙げていると話が難しくなりすぎるので省略――など。
 まあとにかく、これからお話をする砂粒に関しては、このような砂粒の分類について、あまり気にしないでください。いちいち分類していると本当にややこしく、厄介ですから。

 砂粒は考えごとをしていました。砂粒は以前、その中に侵入したことのある、二枚貝を思っていました。その二枚貝は小さくて――砂粒からしたら百倍はあるのですけれど――、他の二枚貝と同じように斧の形をした脚を持っていました。その二枚貝が外敵から身を守ろうと砂の中にもぐりこんだ拍子に、砂粒は二枚貝の脚に触れ、その素晴らしい感触に、すっかりまいってしまったのでした。砂粒はまたあの脚に触れたいと願い、波がそのように動いてくれないものだろうかと、一日中、考えて過ごすようになりました。夜もあまり眠れなくて、祈ってばかりいました。砂粒の願いが叶ったのは、それから数日後のことでした。二枚貝がまた外敵から逃げようと慌てて砂に潜ったとき、砂粒は吸い込まれるように、貝の内部に入っていきました。急な出来事ではありましたが、砂粒はできるだけ奥のほうへ入りたいと強く念じ、とうとう本当にそのようになりました。恋焦がれていたあの感触に再び包まれることができ、砂粒はとても幸せでした。
 砂粒は二枚貝の中でいつの間にか眠ってしまいました。この数日間、ほとんど眠れずにいましたから。眠りに落ちていく直前に、砂粒はえもいわれぬ甘美な夢を見たような気がしました。そしてその夢がいつまでも続くと、ほとんど確信しながら意識の底へ沈んでいきました。久しぶりの深い眠りでした。
 しかし目を醒ますと砂粒は二枚貝の外にいました。二枚貝にとって砂粒は異物でした。ちょっと脚を動かすたびに、砂粒の表面にある小さな凸凹が当たって、二枚貝は痛くてたまりませんでした。砂粒が恍惚としているあいだにも、二枚貝は必死になって、砂粒を追い出そうと体を動かしていました。
 砂粒には二枚貝の事情はよく分かりません。したがって、なぜ自分が二枚貝の外にいるのか理解できません。仕方がないので、二枚貝のことを考え、脚の感触を思い出すことにしました。砂粒はわりあい記憶が良いほうなので、細部まで思い出すことができましたし、想像力も豊かでしたから、必要とあらば現実でないことを思い起こすことさえ可能でした。ただし一つだけ、あの夢の甘美な味わいだけ、どうしても再現することができませんでした。
 砂粒はそれでも二枚貝のことを思っていました。甘美な夢を忘れてしまったとしても、幸せな過去を生きることはできるのです。砂粒が思い出に浸っている間に、波は行きつ戻りつしながら、砂粒をより浅いほうへと運んでいきました。水際まで砂粒を送り届けると、波は帰っていきました。砂粒と他の砂粒たちの間は水で満たされていましたが、波が行ってしまうと、水のあったところに空気が入りました。しゅー、という音がしました。そろそろ潮が引く時間です。

遠藤知恵子(児童文化研究センター助手)


2019年11月13日水曜日

衝撃


あれからひと月も経つのに
同じ質問をくり返すのは

何度詳しい回答を得ても
すぐさま同じ質問をするのは

受け入れ難い出来事に
向き合う幼い心ゆえ

どうしてかがやきは
しずんじゃったの



作詩:しあわせもりあわせ

 2019年10月12日夜、台風19号が日本に上陸し、翌13日にかけて各地に甚大な被害をもたらしました。この台風により亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、ご遺族と被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。
 

2019年11月8日金曜日

知らせる


周りの誰も気づいておらず
教えてあげる連れもなく
自分一人ではもったいない

子どものように叫べれば
一番手っ取り早いのだけど
気恥ずかしさが先に立ち

スマホを空に掲げると
シャッター音を響かせる
ほら 虹だよ 皆見て



作詩:しあわせもりあわせ