飼い始めてから、ずいぶん長い時間が経っていた。
鉄製の鳥籠の劣化は激しい。
錆が酷くて、とっくの昔に鍵は壊れていた。
開けるのにかなり手間取った。
でも、無理やりペンチで籠を壊す。
そして、扉をこじ開けた。
でも、問題はここからだった。
青い鳥は、籠から出ようとはしない。
ずっと壊れた籠の中で、私をじっと見つめている。
いや、私だけじゃない。
わたしと、私の後ろにあるガラスの花瓶を見つめていた。
ガラスの花瓶の中では、色褪せて、朽ち果てた、花がある。
かつては青くて、美しかったあの花だ。
今は醜くて、汚らしいものに成り下がっていたのだけれども。
「出て行けよ」と私は鳥に言った。
「いやだね」と鳥は答えた。
「花は枯れたんだ」と私が花瓶を指差して、鳥に凄んだ。「見えるだろ。あんたの居場所はここにない」
「また咲くかもしれない」と鳥は言った。そして美しい羽を片方あげて、花を指し示した。「まだ生きている」
私はうんざりした。
そして苛立ちもした。
そもそも、あの人に出会った日がことの始まりだ。
この鳥が花の種をくわえてやって来たのだ。
その時、鳥は「君は花を咲かせなければならないよ」と言って、私の手のひらに種をのせた。
「咲かせた花は君の花だ。あの人にプレゼントするといい。きっと喜ぶさ」そう言って鳥は歌い出した。
「花なんて、育てたことがない」と私が答えると、「私をそばにおきなよ。上手く育つようにアドバイスするから」と鳥は言った。
私はこの鳥を信じて、花を育てた。
ずいぶん時間がかかってしまった。雨の日も風の日も、私は鳥のアドバイスに従った。
そして、花は咲いた。
青くて綺麗な花が。
その時、鳥は言った。「あの人に渡しなよ」と。
「きっと、喜んでくれるはずだ」と。
その結果、花は枯れてしまった。
この鳥の言うことはでたらめだった。
あの人は花を受け取らなかった。
花は枯れてしまった。
あんなに綺麗な花だったのに。
汚くて、醜い、惨めな姿に成り果てた。
それなのに、この鳥は花が生きている、と言っている。
まだ私に、この花を育てさせるつもりなのだ。
なんて残酷な鳥だろう。
こんな奴を飼っていたのか、と。
「花は枯れたんだ」私は声を震わせた。「見えるだろ、花は枯れたんだ」
「いや、生きている」と鳥は言った。まるで聖歌でも歌うかのように、晴れやかに。「また咲くはずだよ」
「いい加減にしろ」たまらず私は叫ぶ。「花は枯れたんだ、死んでいるんだ」
「いい加減にするのは君だ」呆れたように鳥は言った。「諦めるのだけは一人前だな。あんなに長く育てていたのに。私を飼っていたのに。簡単に捨てるのか。大切に育ててきたあの花のことも、私のことも」
「あの人は受け取らなかった!」私は顔を抑えてうずくまる。「わかるだろ? あの人はあの花を、いらないって言った。だから、あの花は、枯れたんだ。あの人は私の花はいらないのさ。他の人の、花が欲しいんだ。私の花は必要ないんだ」
「どうしてあんな分からず屋のためだけに花を育てるんだ?」鳥の声は、相変わらず落ち着いた声だった。「お前の花の価値もわからない、馬鹿のために」
「他の誰でもなく、あの人にあげたかった。どうしようもないんだ」涙をぬぐいながら私は答える。「自分でもわからない。それでも、あの人にあげたかった。あの人に受け取って欲しかった」
「君がすべきことは、探すことだよ」と鳥は優しい口調で語りかけてくる。「君の花を喜んで受け取ってくれる人を」
「時間がかかるかかる。それに、見つかるかわからないじゃないか」
「見つかるさ。君がしたいと思えばね」
つくづく残酷な鳥だ。
どこまで私を振り回すつもりなのだろう。
そして、それに付き合う私は底抜けの大馬鹿者だ。
私は目元をこすりながら、立ち上がった。
そしてまんまと鳥の思い通りに動いたのだ。
まず、壊れた籠をすっかり直してしまった。道具箱を引っ張り出してきて、テープも使ったらあっという間だった。
次に、今度は花瓶の花を捨てた。
枯れてからは一度も触らなかった花を触った時、胸が温かくなった気がした。
そして花瓶に新しい水を流し込む。
ガラスの花瓶の腹に水が溜まっていくように、私の内側にも新鮮な何かが流れ込んでくる。
これは何だろう。
わからないまま、新鮮な水を飲みこんでいく花を見つめながら私は軽くえづいた。
気持ちが悪いが、気分は悪くない。
吐き気がするのに、爽快だった。
矛盾している。
矛盾していることはわかっている。
それでも、汚い花が僅かに天を仰ぎ始めたように見えたのは、自分がすっかり忌々しいあの鳥に騙されているからかもしれない。
腹が立つけれども、わくわくしている自分がいる。
枯れたはずの花の吐息が聞こえてくるような気がした。
鳥飼律子
※青い字で書かれた名前はペンネームです。