「ひつじなんて けがもしゃもしゃして たべにくいのに。みどりいろのくさのほうがおいしいのに。」
子羊のチリンには、オオカミが羊を食べるということも分からない。
しかし、ある日オオカミのウォーによってチリンの母は殺される。オオカミのウォーに弟子入りして…。
と、あらすじはこんな感じである。
羊と狼においては、多数の物語が存在する。
そしてその多くの物語では主人公の羊は孤独な狼の心を動かす存在として描かれている。
しかし現実では、狼は羊を生かしてそばに置くことはないし、羊自ら狼に近づくこともない。
そこには、フィクションにはあって現実にはないものがあると思う。
それは、「人間の感情」だろう。動物に感情があるのかないのかという討論になればこの書評を超えて多くの研究を重ねる必要があるが、確実に言えるのは、彼らには「人間の感情」はないということだ。しかし、そんな彼らに作者の「人間の感情」を加えるとどうだろう。
羊は、母のため狼にだって立ち向かうし、狼は餌である羊にだって心を開く。
他の動物にも、同じように同情や友情、愛情を感じるのが「人間の感情」の最大の特徴であるように思える。
「チリンのすず」でもそうだ。
チリンは、母を殺されたウォーへの憎しみと、おそらく母よりも長く弟子として連れ添ってきたウォーとの友情、両方を抱えている。
また、チリンのトレードマークである金色の鈴の音で、チリンの状況を示している。
”チリンのすずでおもいだす やさしいまつげを ほほえみを チリンのすずでおもいだす このよのさみしさかなしみを”
この文が物語の始まる前に書かれている。
子羊のチリンにとって、自分をかばって死んだ母が絶対的な正義であった。
よってその要因となったウォーは必然的に悪となるのだが、チリンの正義は、自分の中の、羊と狼の存在の曖昧さに自然移っていったのだと思う。
チリンは母を思い出す時、羊であったし、ウォーを思い出す時狼であったのではないか。
そしてそれは、読者サイドも同じで、羊であるチリンの気持ちで本を読み進めいつの間にか自分が羊なのか狼なのか、どちらの感情でいたら良いのかわからなくなる。
また、チリンの感情が多く描写されているのに対し、ウォーの感情はあまり描かれていない。
いっそウォーが最後まで完全な悪であったならば、この本を通して羊の感情で見ることができるのに、とも思った。
ウォーの感情を、読み手の「人間の感情」で考えさせるために、この作品は多くの人の心に残る作品となったに違いない。
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この書評は、2021年春に開催された書評コンクールの応募作品です(書評番号2)