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2026年5月1日金曜日

汐崎順子編『子どもの読書を考える事典』朝倉書店、2023年

 児童文学の歴史をつくった重要な人物や出来事、記念碑的な作品やシリーズ、出版史において重要な役割を果たした出版社など、児童文学についての事典は、子どもの本にまつわるさまざまなことに解説を加え、私たちに理解を促してくれます。ちょっと調べものをするだけのつもりが、いつの間にか時間を忘れて読み浸っていた……などという人も多いのではないでしょうか? 『子どもの読書を考える事典』も、そうした事典のひとつです。

考える人たちの輪の中に

 この事典の執筆者は、研究者や翻訳家、図書館員、教員、編集者、作家といった、さまざまな立場から子どもの読書に関わりをもつ人たちです。そんな、子どもの読書について長年考えてきた人たちが、〈つくる〉、〈読む〉、〈つなぐ〉の3つのチームに分かれ、それぞれのテーマについて書いています。この小さなブログ記事では紹介しきれないくらいの、盛りだくさんの内容は、索引なども含めると全部で495ページあります。

 子どもと読書に関するさまざまな事柄を整理し、読者に伝えることに加え、子どもと読書について一緒に考えようよと誘う、『子どもの読書を考える事典』。まだ読んだことがないという方も、この事典を手に取って、考える人たちの輪の中に、入ってみませんか?

本を〈つくる〉、子どもの〈読む〉を見つめる、本と子どもを〈つなぐ〉

 先ほど「3つのチーム」と呼びましたが、『子どもの読書を考える事典』では、「子どもの本作りに関わってきた人たち」、「子どもの姿を知る人たち」、「子どもに本をつないできた人たち」(汐崎順子「はじめに」p.2)が執筆者となり、子どもの読書に関連するさまざまなトピックを〈つくる〉〈読む〉〈つなぐ〉の3つの観点に整理し、解説します。

 総論も〈つくる〉〈読む〉〈つなぐ〉に分かれていますので、順に見ていきましょう。

 まず、〈つくる〉では、奥山恵(児童文学評論家)と水間千恵(白百合女子大学教授)が「『子ども』と『子どもの本』」と題して、「子ども」という概念の変遷と子どもの本の歴史について概説、21世紀の大人と子どもの関係性を人権の観点から素描します。「子ども」観と子どもの本の歴史は、時代や社会に左右されながら互いに関わり合って変化しており、子どもの本を〈つくる〉大人たちは、このような複雑さの中で仕事をしているのだということが分かります。

 次の〈読む〉は井元有里(元公共図書館員)・汐崎順子(慶應義塾大学・早稲田大学非常勤講師)の「『読書』と子ども」。読書とは何かという問いを、読書様式の変遷、言語や文字の習得、そして他者から言葉や物語を受け取る経験へと広げ、論じていきます。幼い頃は身近な大人から絵本を読み聞かせてもらっていたが、成長するに従い、徐々に一人読みへと移行したという人が多いと思いますが、子どもと読書を考えるにあたり、本を読むという行為の表層に囚われない、より本質的なものの見方が求められているようです。この章で、私たちは読書を根源的に捉え直すことを促されます。

 最後の〈つなぐ〉は村上恭子(学校司書)と渡邊春菜(学校法人桐朋学園桐朋小学校司書教諭)の「子どもと読書を『つなぐ』」という章題のもと、子どもと読書をつなぐ場としての図書館や、図書館行政に関わった人々、そして、関連する政策といったものの歴史を中心に概説します。公共図書館や学校図書館といった場は、貧富の差に関係なくその場所で生活をする人々に開かれています。図書館は〈つなぐ〉ことの意義を問い、考えるにはうってつけの場であることが分かります。

 〈つくる〉〈読む〉〈つなぐ〉の3つの側面からこの本の総論にあたる事柄を掴んだら、各論へ。大勢の人がそれぞれの立場から見て文章に綴った、子どもと読書のある風景が広がります。

大人たちのネットワーク

 子どもと読書をつなごうとする人たちの存在や、そんな人たちの取り組みについて教え、考えさせてくれるこの事典。でも、個人的には、この本を読んでいるうちに、子どもと読書をめぐる大人たちのネットワークが気になり始めてきました。

 子どもと読書をつなぐ様々な取り組みを続ける中で、大人もまた、自分と同じ志を持って取り組む別の大人たちとのつながりを手に入れることがあります。また、日々の取り組みの中で、そのようなつながりを切実に必要としています。

 子どもにとって読書が貴重な経験であるのと同じように、大人にとっても、自分とよく似た仲間の存在を知るということは貴重な経験です(だって、ほら、大人になってしまうと、友達や仲間を作るのって、難しいじゃないですか)。子どもたちのためにと頑張っているように見えて、実は私たち大人の方が、子どもたちからかけがえのない経験をもらっているのかもしれません。


【書誌情報】

汐崎順子編『子どもの読書を考える事典』朝倉書店、2023年

※本文中に記載した、執筆者のプロフィールは本書の「執筆者プロフィール」によるものです。

遠藤知恵子(センター助手)

2024年7月5日金曜日

【書評番号1】チャールズ・M・シュルツ作、細谷亮太訳『チャーリー・ブラウンなぜなんだい?——ともだちがおもい病気になったとき』、岩崎書店、1991年

 いつも一緒に遊んでいた大切な友達が重い病気になったら、子どもの受けるショックはいかばかりだろう。ライナス——お気に入りの毛布がないと安心できない、「ライナスの毛布」のあのライナス——は、友達のジャニスが白血病で入院してしまい、味わったことのない心の痛みを感じる。

 ライナスの周りには、その痛みに寄り添ってくれる親友のチャーリー・ブラウンだけでなく、痛みをさらに強めるような子どもたちもいる。さわったら病気がうつると言ってくる姉のルーシーや、化学療法で髪が抜けたジャニスをからかういじめっ子、退院したジャニスが先生にえこひいきされていると陰口を叩くクラスメイトたち。そして、ジャニスが病気になってから、自分たちはいつもなにか放っておかれている感じがすると言う、ジャニスのきょうだいたち。

 無理解による敵意にさらされるジャニスを、ライナスはいつもかばい、守る。

  「ジャニスは、なにかわるいことをしたから、がんになったんじゃないよ。
  たまたま病気になった、ただそれだけのことだよ」

 この作品は、スヌーピーが登場する漫画『ピーナッツ』の作者シュルツ氏の元に届いた、小児病院の看護師からの手紙がきっかけで生まれた。「がんとたたかっている幼い子どもたちのために、スヌーピーと仲間たちの力をかしてほしいのです」——その願いに応えてテレビアニメが作られ、次に作られたのが本作、絵本である。

 アメリカでテレビアニメ版を観た日本人看護師たちが感激し、日本にいる小児がんの専門医に手紙で教え、絵本版を送ったことで、本作の日本語版が出版された。日本語への翻訳は、その小児科医が行っている。原書も日本語版も、小児がんとたたかう子どもたちを支えてきた医療従事者たちの働きかけで誕生したのだ。

 日本語版ではわかりづらいが、原書では、原画の紙の凹凸による水彩の微妙な濃淡が、そのままくっきりと印刷されている。アニメのフィルムを使ってフィルムコミックにするのではなく、自ら描き下ろした絵で絵本に仕上げたところに、シュルツ氏の熱い思いが感じられる。漫画ではなく絵本の形で、彼は健康な子にも病気の子にも、広く届け、伝えたかったのだ。つらい思いをしている子の気持ちを想像し、わかろうとすることの大切さを。そして、重い病気であることにうしろめたさを感じる必要など、まるでないのだということを。

 重いテーマの作品だが、どんなときも自由気ままにふるまうスヌーピーが、明るさと笑いをもたらしてくれている。

【書評番号2】『蛇の棲む水たまり』 梨木香歩 文 鹿児島睦 絵 ブルーシープ 2023年

 モスグリーンの分厚い表紙をまるくくり抜いたなかに、黒い地に描かれた植物の輪が見える。凝ったデザインに惹きつけられて手に取ると、手のひらよりやや大きいくらいのサイズに親しみ深さを覚える。

 黒い見返しと表題紙の淡い青磁色のコントラストにくらくらしながらページを捲れば、物語の始まりの2行を印字するページはオフホワイト。文章が始まる前に余白をたっぷり取って、「さあ、次のページをどうぞ」と促すかのようである。促されるままにさらにページを捲ると、蛇の棲む水たまりと出会う。物語はこうだ:群れから離れた馬が見つけた、蛇の棲む水たまりのなかには、もう一つの世界がある。この水たまりにやってきた動物が水たまりに飛び込むと、別の生き物に変身する。馬はこの変身の様子を見、やがて、自分も水たまりに飛び込んでみる。そして、変身する。

 文章と絵とは截然とわかたれており、物語の冒頭と終わりを除き、言葉のページは黒地に淡い青色の文字が浮き上がり、絵のページは白地に植物や生き物を組み合わせた、図案化された絵がプリントされている。

 出版社のホームページによると、2023年6月から2024年6月にかけて各地で開催されている展覧会「鹿児島睦 まいにち」展に向けてこの絵本は作られた。陶芸家の鹿児島睦(かごしま まこと)氏が制作した新作の器を見て物語を作ることを依頼された梨木香歩氏が、200点の器を見てテキストを作り、そのテキストに合わせて鹿児島氏が新たに1枚の器を制作したという。

 この絵本が焼き物の器の写真を“絵”としていることを確認した上で、もう一度眺めてみると、真上からのアングルで撮影し、敢えて立体感のない画像にしているためなのだろうが、ぼーっと眺めているだけだとやはり“絵”にしか見えない。その平面的な見た目は、実は、器にとって不自然なものである。

 器の魅力はその立体的かつ触覚的な造形美、つまり、使っているときに掌に感じる心地よさに負うているところが大きいはずなのだが、この絵本ではその三次元の魅力を敢えて潰し、二次元のものとして扱う。本来の魅力を犠牲にする代わりに平面性を獲得した器は、一つ一つに施された絵付けの魅力はそのままに、あくまでも絵本の一要素として働き、他の要素、たとえばテキストやページを順に繰っていったときの絵本全体の構成といったものと調和している。

 奇妙にストイックな、しかし心惹かれる一冊である。


参考URL

「絵本「蛇の棲む水たまり」」BlueSheepホームページ

https://bluesheep.jp/projects/mizutamari/ (閲覧日2024/6/4)

【書評番号3】『ねずみじょうど』瀬田貞二 再話 丸木位里 画 福音館書店 1967年

 「ねずみのじょうど ねこさえ いなけりゃ このよは ごくらく とんとん」(p.13)

 あねさんねずみたちが歌う、この歌をきいたときほどショックだったことはないのにゃよ! 私、この絵本に出てくるねずみさんたちが可愛くてとっても好きなのにゃ。そもそもねずみさんたちは私のお友達にゃ。食べたりなんか、しないのにゃよ~!

 貧乏なおじいさんが、おばあさんにこしらえてもらったそばもち(そば粉を練って作ったお餅にゃ)を、地面の穴に落としてしまうことから事件は始まるのにゃけど、その穴はねずみさんたちの巣穴だったのにゃ! おじいさんが落としてくれた、おばあさんの美味しいそばもちのお礼に、ねずみさんがおじいさんを巣穴にご招待するのにゃよ。めくるめくアンダーグラウンド(土の下の巣穴にゃからね)の世界へようこそ!なのにゃ。

 お土産までもらって、おじいさんは嬉しい気持ちでおばあさんのところへ帰るのにゃよ。すると、隣に住んでいるめくされじいさんがやってきて…にゃっ、にゃにゃっ! いけないいけない。これ以上言うとネタバレになっちゃうのにゃ。昔話にゃから、大人の皆さまはなんとな~く想像がつくと思うのにゃけど、最後のオチは言わずに、お楽しみに取っておくのにゃ!

 再話は安定の瀬田貞二さんにゃ。絵を描いたのは丸木位里さんにゃよ。この絵本が出版された頃は、丸木さんは俊さん(赤松俊子さん)と共同制作で〈原爆の図〉のシリーズを描き続けていたのにゃ。日本画の手法をマスターしていた丸木さん。若い頃は、ヨーロッパ(アンドレ・ブルトンの「シュルレアリスム宣言」にゃ!)で起こった前衛芸術運動、シュルレアリスムに学んで実験的な方法をたくさん試していたのにゃって。『ねずみじょうど』では、大胆な滲みにゃとか、かすれにゃとかいったものを巧みに使って、ちょっと不気味な暗がりの中に息づいているねずみさんたちのおうちを表現しているのにゃ。ねずみさんたちの浄土(極楽)って、薄暗いのにゃね~。

【書評番号4】『かぼちゃ人類学入門』川原田徹 さく 福音館書店 1994年

 珍しい島もあったものである。でっかいかぼちゃなのである。いったいどのようにしてか分からないが、植物であるかぼちゃのなかに、虫や魚やカエルや鳥やけものや人のいのちが芽生えたのだという。

 このかぼちゃ島に起源をもつかぼちゃ人は、かぼちゃ島で一生を過ごす。何しろ、かぼちゃ島はそれ自体で豊かな資源なのである。かぼちゃ島は生きており、かぼちゃ島のかぼちゃ肉は食べられる。パンやケーキも作れるし、かぼちゃ酒も醸造することができる。

 この豊富な資源に甘え切っていた、かつてのかぼちゃ人は、かぼちゃ肉やその加工品の輸出によって金儲けをし、かぼちゃ島をほりつくし、枯死寸前にまで追い込んだことがある。だが、かぼちゃ島の限界を知ったかぼちゃ人たちは、かぼちゃ島のめぐみを大切に使うことに決め、かぼちゃ島をよみがえらせることに成功した。そして、現在のかぼちゃ島がある。

 本書によれば、かぼちゃ島のかぼちゃ人は、のろまで、とんまなのだという。しかし、とんまは、あほうと似て非なるものである。たとえば、かぼちゃ島の都市計画は見事なのである。本書の20~21ページに記された、かぼちゃ人の町を見ていただきたい。テキストには、「せまい路地がまがりくねって、迷路みたいである」(20ページ)とある。共同の井戸やトイレもあり、水汲みのついでにおしゃべり(テキストの言葉を借りれば「井戸端会議」)、お年寄りが外でひなたぼっこを楽しめる。みんなてんでに好きなことをしているように見えて、人と人との距離感がものすごく近いからコミュニケーションが密なのである。

 かぼちゃ人の町は、ジェイン・ジェイコブズ(1916-2006)の『アメリカ大都市の死と生』(1961年)に記された、都市の多様性を作る四つの条件を見事に満たしている。嘘だと思ったら、鹿島出版会から出ている邦訳(1977年)を読むか、あるいは、映画『ジェイン・ジェイコブズ ニューヨーク都市計画革命』(2016年、アメリカ)を観るかして、ぜひ確認していただきたい。雑駁で、わいわいしているからこそ、多様性を保ちつつ何となくそれらしくまとまることができるのである。

 のろまで、とんまなかぼちゃ人の、それは見事な知恵なのである。そう、本書は知恵の詰まった書物なのである。

【書評番号5】東京子ども図書館編纂『児童図書館の先駆者たち アメリカ・日本』東京子ども図書館、2021年

 正味100ページに満たないブックレットです。Sybille A. Jaguschの論文“First Among Equals: Caroline M. Hewins and Anne C. Moore. Foundations of Library Work with Children”(1990)を紹介する張替惠子「アメリカ児童図書館の先達 ヤグッシュさんの論文から」と日本の図書館界に目を向けた内藤直子・加藤節子「日本児童図書館の黎明期」を収録しています。それぞれ、『こどもとしょかん』77号(1998年春)と78号(1998年夏)からの再録です。

 「アメリカ児童図書館の先達 ヤグッシュさんの論文から」では、二人の図書館員、キャロライン・ヒューインズ(1846-1926)とアン・キャロル・ムーア(1871-1961)が顔写真入りで紹介され、彼女たちの経歴や業績についてかいつまんで説明しています。

 ヒューインズもムーアも19世紀から20世紀初頭に活躍した人たちなのですが、ブックリスト作成や学校との連携といった、現代の図書館員の仕事内容とあまり変わらないことがこの時代に既に行われていたことに、驚きました。当時の取り組みが先駆的かつ実践的だったことが分かります。

 でも、次のくだりには、思わず苦笑してしまいました。


 さらに、児童サービス部門に入る若い女性には、成人部門の同僚より活躍が許されました。男性図書館員が自ら子ども相手の仕事を手がけることはなく“かよわき”女性たちが児童室にこもっていることを歓迎したために、児童図書館員は争いのない領地に陣取り、才能を開花させることができたのです。(p.11)


 彼女たちが先駆的な取り組みをすることができたのは、男性図書館員が児童サービスを自分たちの仕事と思っていなかったから…? それでも、「日本児童図書館の黎明期」のなかで顔写真とともに紹介されている重要人物が全員男性であることを思えば、自分の名前と顔を残すことができた女性図書館員が「いた」ということが、どれだけすごいことか思い知ることができます。

 ヒューインズやムーアが現代の児童サービス担当者・学校司書のロールモデルとなる存在であるのと同じように、現在、さまざまな図書館で子どもたちを相手に日々働いている女性たちは、子どもたちにとってのロールモデルになっています。このブックレットを読みながら、現代日本におけるヒューインズたち、あるいはムーアたちが幸せに活躍できる環境が整うように、祈らずにはいられなくなりました。


2024/7/24 人名の誤記を訂正いたしました。

(誤)アン・キャロライン・ムーア → (正)アン・キャロル・ムーア

2023年7月27日木曜日

リレー展示「本について話そう」⑧7月27日

 センター入り口で、センター蔵書のミニ展示を行っております。今回は、全8回の連続展示の最終回です。

 

マンロー・リーフ おはなし ロバート・ローソン え

『はなのすきなうし』

光吉夏弥 やく 岩波書店 1954年

 書誌情報をクリックすると、キャプションの代わりとなるテキストのリンクが開きます。展示期間中も貸し出しをすることができます。どうぞお気軽にご利用ください。

2023年7月21日金曜日

リレー展示「本について話そう」⑦7月21日~7月27日

 センター入り口で、センター蔵書のミニ展示を行っております。今回は、全8回の連続展示のうちの7回目です。

 

松本育子編集

『田島征三 アートのぼうけん展』

NHKエンタープライズ出版、2022年


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2023年7月14日金曜日

リレー展示「本について話そう」⑥7月14~20日

センター入り口で、センター蔵書のミニ展示を行っております。今回は、全8回の連続展示のうちの6回目です。

 

成相肇・ちひろ美術館・日本経済新聞社文化事業部編

『生誕100年 いわさきちひろ、絵描きです。』

日本経済新聞社、2018年

 

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 ※展示期間中も貸し出しをすることができます。どうぞお気軽にご利用ください。

2023年7月7日金曜日

リレー展示「本について話そう」⑤7月7~13日

 センター入り口で、センター蔵書のミニ展示を行っております。今回は、全8回の連続展示のうちの5回目です。


大竹聖美『植民地朝鮮と児童文化―近代日韓児童文化・文学関係史研究』社会評論社、2008年


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 展示期間中も貸し出しをすることができます。どうぞお気軽にご利用ください。

2023年6月29日木曜日

リレー展示「本について話そう」④6月29日~7月6日

センター入り口で、センター蔵書のミニ展示を行っております。今回は、全8回の連続展示のうちの4回目です。

 

山口博監修、正道寺康子編

『ユーラシアのなかの宇宙樹・生命の樹の文化史』

勉誠出版、2018年

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 展示期間中も貸し出しをすることができます。どうぞお気軽にご利用ください。

2023年6月23日金曜日

リレー展示「本について話そう」③6月23~28日

 センター入り口で、センター蔵書のミニ展示を行なっております。今回は、全8回のうちの3回目です。

齋木喜美子『沖縄児童文学の水脈』関西学院大学出版会、2021年

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 展示期間中も貸し出しをすることができます。どうぞお気軽にご利用ください。

2023年6月8日木曜日

リレー展示「本について話そう」②6月8~21日

 センター入り口で、センター蔵書のミニ展示を行なっております。今回は、全8回のうちの2回目です。


 書誌情報をクリックすると、キャプションの代わりとなるテキストのリンクが開きます。

 展示期間中も貸し出しをすることができます。どうぞお気軽にご利用ください。

2023年6月1日木曜日

リレー展示「本について話そう」① 6月1~7日

 センター入り口で、センター蔵書のミニ展示を行なっています。展示期間中も貸し出しをすることができます。どうぞお気軽にご利用ください。

国岡晶子「ブックトーク『原発と放射能』

——確かな本を選びとるために」


 今回から、全8回の連続展示(リレー展示)を始めます。毎回、1冊ずつ展示します。書誌情報をクリックするとテキストのリンクが開きます。テキストでは、その本を展示することについての説明をしています。

2023年5月31日水曜日

ミニ展示予告「本について話そう」―「戦争と平和について考える」をテーマに―

 6月から7月にかけて、「本について話そう」というタイトルのもと、センター蔵書(通称Z本)のリレー展示を行います。児童文化研究センター設立から31年が経ち、内外からのご寄贈によって構成されるセンター蔵書は、かなりの冊数になります。そろそろ、テーマごとの連続展示も可能なのではないかと考え、この展示を企画しました。場所はセンター入り口です。
 リレー展示「本について話そう」第Ⅰ期のテーマは、「戦争と平和について考える」です。深刻なテーマを扱った展示にはなりますが、1冊1冊の本がもつ魅力を大切にして、全8回のリレー展示を行おうと考えています。皆様、どうぞお付き合いください。

リレー展示概要 PDFファイルはこちら

2023年5月26日金曜日

【書評番号1】 アフィニティ・コナー著、野口百合子訳『パールとスターシャ』東京創元社、2018年


 家畜運搬車の扉が開く。中にはやせ細った老人と女性、そして背丈も顔立ちもそっくりな二人の少女。警備兵が居丈高に祖父に質問し、母と娘たちは震えている。

 一家のすぐそばで、三つ子の少年たちが白衣の男に安全を請け合われ、他の人々とは別の場所へ進まされる。怯えていた母親の目に光が戻り、兵士に詰め寄るように尋ねる。

「ここでは−−双子なのはいいことなんですか?」


 家族が連れて来られたのはアウシュビッツ絶滅収容所。双子や三つ子を選別していた白衣の男はヨーゼフ・メンゲレ。ナチスで非道な人体実験を繰り返し、戦後も逃亡して罪を償うことのなかった人物である。

 主人公の双子の姉妹、12歳のパールとスターシャはメンゲレの手に引き渡され、「動物園」と呼ばれる施設へ入れられる。実験材料として保護されるとはいえ、その環境は悲惨だ。衛生面は酷く、食事も十分ではない。息を引き取る者がいれば、周囲は悲しむのではなく我先にと身ぐるみをはがしにかかる。

 物語は姉妹のそれぞれの視点から交互に語られる。過酷な状況だが、二人の語りは決して暗いものではない。互いへの愛情。収容者との間に芽生える絆。人が人として扱われない環境でも、人間性までは奪えない。

 特に妹のスターシャは想像力が豊かで、現実に空想を重ねることで自分を保つすべを知っている。人体の標本を見たショックを蝶の標本を連想することで和らげたり、ジャッカルになりきって苦境を凌いだり、スターシャの想像はしばしば動物と結びつく。これらの発想の源になっているのは全て、生物学者だった祖父から教わった知識だ。スターシャにとって空想は離れ離れになった家族との繋がりを確認する手段でもある。

 一方で、現実主義のパールは空想に逃げることができず、残酷な状況を直視し、疲弊していく。姉を自分の「最良の部分」と考え、全く同じ存在でありたいと願うスターシャの思いとは裏腹に、パールは収容所を生き延びられる可能性が高いのは妹だと判断し、彼女を生かそうと画策するようになる。

 そしてついに、姉妹が離れ離れになる日が来る。引き離された二人はどんな運命を辿るのか。つらく長い道のりになるが、希望ある結末が待っているので、ぜひ実際に読んでみてほしい。

 なお、パールとスターシャは架空の人物だが、物語には実在の人物がモデルとなったキャラクターも多数登場する。特に、多くの妊婦を苦渋の選択によって助けたユダヤ人女医のジゼラ・パールがモデルとおぼしきミリ医師の悲嘆は、我が子を奪われた全てのユダヤ人女性の嘆きが凝縮されているかのようで胸が引き裂かれる。

 この本を読み終えたときに覚えたのは、なんて美しい物語だろうという感動だ。被害者を美化しているわけではなく、描かれているのはおぞましい所業ばかり。それでも、パールとスターシャの目を通して見える世界は光に満ちている。人間の「最良の部分」を信じようと思わせてくれる力強い作品である。



***第6回書評コンクール 投票方法***

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皆様のご参加を、心よりお待ちしております。


【書評番号2】丸山宗利総監修『学研の図鑑LIVE 昆虫 新版』、学研プラス、2022年


 読んでいてこれほど胸の熱くなる、図鑑の監修者前書きもそうそうあるまい。昆虫への思いはもちろん、図鑑というものに対する思いがひしひしと伝わってくる。優れた図鑑は子どもたちを夢中にさせ、ボロボロになるまで毎日くり返し読まれるものなのだ。本書は明確にそれを目指している。


 出版界において、学習図鑑は長らく小学館と学研の二強体制が続いていた。だが、2000年から小・中学校と高等学校で「総合的な学習の時間」がはじまると、新しい様相を見せるようになる。最新情報や写真図版の収録に力を入れた「小学館の図鑑NEO」や「ポプラディア大図鑑WONDA」、家庭の本棚に収まりやすいサイズで動画のDVDを付録とした「講談社の動く図鑑MOVE」など、出版各社が工夫を凝らした新シリーズを展開する中、学研はどうにも出遅れている感じが否めなかった。


 しかし、本書はあまたある昆虫図鑑の中で群を抜いてすばらしい。収録されている昆虫などの種類が他社の学習図鑑よりも圧倒的に多いだけでなく、生きたものの写真だけを使っているところが、これまでの昆虫図鑑と異なっている。


「昆虫がいちばんきれいに見え、みなさんが手にとってみたときの印象で調べられるよう、生きたものだけをのせることにしました」


 さらっと書いてあるが、2,800種以上を収録している昆虫図鑑でそれを実現するには、どれほどの時間と労力がかかったことだろうか。死後の標本の写真で済ませれば、もっと楽であったろうに。約50名もの研究者たち(助手や学生を含めると、何百人にもなるだろう)が手分けして虫を探し、写真を撮影する日々。さらに友人・知人に広く声をかけ、情報や生体などを提供してもらって、この図鑑はできあがっているのだ。


 例えば、「カマキリのなかま」のページを見てみる。どのページのカマキリも、同じ角度で、同じポーズをとっている。きっと、カマキリの生態が一番よくわかり、一番美しく見える角度とポーズなのだろう。その瞬間になるまで、撮影チームはカメラを構え、固唾をのんで見守っていたのだ。逃げられない工夫も必要だっただろう。相手は生きているのだから。


 自分は昆虫にはさほど興味のない人間だが、この図鑑は面白い。何気なく開いたページを眺めているだけで、「オオセンチコガネは生息する地域によって色がこんなに違うのか。嘘みたいに違うな」など、思いもよらなかった知識が入ってきて、「昆虫ってすごいな」「生き物ってすごいな」「もっと知りたいな」という気持ちにさせられるのだ。昆虫好きな子どもなら、貪るように読むだろう。できれば本書を子どもの頃の自分に見せてやりたいという総監修者の言葉には、納得と尊敬と感動しかない。



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【書評番号3】『クマのプーさん展公式図録 百町森のうた』E. H. シェパード [画] 、安達まみ監修、ブルーシープ、2022年


 また、会えたね。

 子どものころ『クマのプーさん』を読みふけった人も、そうでない人も、ついそう口に出してしまうような空間が、2022年の夏、立川に広がっていた。赤い布張りの表紙が金文字で飾られ、プーとなかまたちが慰労会をしている場面が描かれた、豪華な装丁のこの本は、2022年7月16日から10月2日まで東京・立川のPLAY! MUSEUMで、次いで10月8日から11月27日まで名古屋市美術館で開催された「クマのプーさん」展の公式図録である。

 私は立川のほうにしか足を運んでいないのだが、PLAY! MUSEUMでの展覧会は、3部構成になっていた。まず、「Pooh A to Z」と題された、AからZまで順にプーのぬいぐるみや、クリストファー・ロビンの防水マントや長ぐつといったちょっとした展示とともにプーとなかまたちに関する紹介がなされたものがあり、次に、ぐるりと一周するスクリーンに物語の舞台であるアッシュダウンの森の景色が映されたインスタレーションを見ることができる。そしてそれからやっと、まるで昨日描かれたかのように鮮やかなシェパードの原画と向き合うのだ。

 本書は、本の性質上シェパードの絵が中心となるわけだが、展覧会での「A to Z」の展示は、展覧会を監修した安達まみによる「プー辞典」として引き継がれている。「もっとプーが好きになる50のお話」と題されたそれは、展覧会と同じくAから、ただし展覧会よりも分量を増やして、AはAlice、ミルンの詩「バッキンガムきゅうでん」に登場する乳母の名前、Zはzoo、ウィニー=ザ=プーの由来になった本物のクマの話、といったように丁寧に綴られている。終盤にあるたった15ページほどのもので、一見おまけのように見えなくもないのだが、これらのことを知ってからお話と絵に向き合うと、また違った景色が見えてくる。本当に辞典として、気になる項目を探して読んでもおもしろい。

 昨年展覧会には足を運べなかったという人も、この夏は本書を通して、プーとなかまたちに会いに、百町森に足を踏み入れてみてはいかがだろうか。



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【書評番号4】しおたにまみこ『いちじくのはなし』ブロンズ新社、2023年


 皆さまは、「おはなし会」はお好きかにゃ? 私はおはなし会を開くのも、聴きに行くのも、どっちも同じくらい大好きですにゃ。

 しおたにまみこさんの『いちじくのはなし』では、くだものかごのいちじくさんがおはなし会を開催するのにゃよ。いちじくさんのお話を、台所のみんなが聴きにいくのにゃ。三夜連続のスペクタクル、楽しみにゃね~。前作『たまごのはなし』の主役、たまごさんも、お友達のマシュマロさんと一緒にこのおはなし会に行くのにゃって。

 夕方、果物かごの前に蝋燭を灯したら、大冒険の、はじまりはじまり〜! キッチンのみんなの前で、いちじくさんが話す冒険譚、もちろん主人公はいちじくさんなのにゃ。いちじくさんは自分の大活躍を自信たっぷりに話すのにゃけど、さてさて、これってほんとのお話かにゃ?

 たまごさんやいちじくさんたちが暮らしている台所は、タイルに汚れがはねていたり、小さくひびが入っていたり、台にはちょっぴりごみが散らばっていたりして、生活感があるのにゃ。ぴっかぴかに綺麗で新しそうにゃった前作から、だいぶ時間が経ったように見えるのにゃ。たまごさんもマシュマロさんも、台所のみんなとすっかり打ち解けてお友達になっているみたいなのにゃよ。本に書かれた物語は終わっても、物語の中の時間は流れ続けているのかにゃ~?

 でも、変わっていないこともあって、第一作でたまごさんにかじられたマシュマロさんの頭、歯の跡がそのまま残っているのにゃよ。細部まで丁寧に描きこんであるから、一通り物語を辿り終えたら、ぜひ再読してにゃ。じっくりと絵だけ観察してみたり、前作と読み比べて違いを探したり、遊んで欲しいのにゃよ(私、家の間取りを想像してお絵描きをしたのにゃ!)。

 絵が繊細で細かいぶん、集団での読み聞かせに向いているとは言えないのにゃけど、二人か三人くらいでの読み聞かせにはおすすめにゃ。誰かに読んでもらうと、絵をじっくり見る余裕ができて楽しさ百倍にゃし、いちじくさんや台所の仲間たちになり切って読んであげるのも良い感じにゃ。

 ちなみにこの本、淡いいちじく色のジャケットを外すと、表紙見返しに船の舳先に立って望遠鏡を覗くいちじくがいるのにゃ。ということは、裏表紙の方は…にゃふ〜ん、教えてあげないのにゃ!



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【書評番号5】小林エリカ『光の子ども』第1部、全3巻、リトルモア、2013年/2016年/2019年


 1896年、日本では北海道から宮城にかけて大地震と津波が襲い(明治三陸地震津波)、ヨーロッパではヴィルヘルム・コンラート・レントゲンが発見したX線の存在に人々が夢中になった。それから115年後の日本に、このマンガの主人公、光が生まれる。東日本大震災と津波による福島第一原子力発電所の事故が起きた年に生まれた光に、母親は「ほんとうに、あなたは光みたいだったの」(第1巻、11ページ)と言う。光には「光」が見えた。

 「光」を帯びた雨が街に降り注ぐある日、光は猫のエルヴィンを追って1900年のパリに行き、マリ・キュリーとピエール・キュリーの娘、イレーヌと出会う。このときから、現在と過去、日本とヨーロッパを行き来して「光」を追う旅が始まる。

 12年前の震災を覚えている私たちは、光が見る「光」とはおそらく放射能のことだとすぐ気づくことができるのだが、物語のいわゆる設定に関する言及が極端に少ないため確かなことは言えない。この作品の作者が読者に示すものはおもに事柄の断片、歴史的事実に関する説明や図版、図表といったものであって、それらの資料の合間を縫うように、光と「光」の物語が進み、100年前を生きた実在の人々の物語が同時並行で進んでいく。それら、いくつもの物語を一冊の本の中に「まとめ上げよう」とする意思は、この作品からは感じ取れない…というより、「まとめてたまるか」という反骨精神すら、あるような気がする。複雑なことを一つの大きな物語に統合するような野蛮な真似はせず、十分に複雑であるように物語る。

 同じ時代に、異なる地域でどんなことが起きていたのか。その時代・その地域を生きた人々はどんな一生を送ったのか。世界を覆う大きな出来事である戦争や科学の進歩に、彼ら・彼女ら、一人一人、どんな意味を見出していたのか。1900年代初頭の人々は、存在を確認されたばかりの放射性物質が人類にもたらすかも知れない「進歩」に胸を躍らせ、放射能の危険性を理解している光はキュリーらの研究をなんとかして止めたいと願う。二つの願いは物語の中でぶつかり合う。

 物語の中で放射能を暗示する「光」にも、二面性がある。作者の小林は「光」に「過去の時間を伝えてくれる」(第1巻、12ページ)という能力を与えている。物語の登場人物を死に至らしめるかも知れない危険な「光」に、この物語のプロットを可能にする重要な役割を持たせているのだ。高村光太郎や吉本隆明、あるいは手塚治虫ならまだしも、21世紀の作家がこのような「光」のメタファーを用いて物語を書くとは。レントゲン博士やキュリー夫妻による研究は後続の研究者たちに引き継がれ、医療やエネルギー、そして軍事に「応用」された。その推移は私たちも知っている通りであるが、小林は既に知っていることを新鮮な物語にして語り起こしてくれる。第2部はどうなるのか、続きが気になる。



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